エンドユーザーの予想を裏切れ、期待は裏切るな!脚本家・演出家・ライター、市川大河(Ichikawa Taiga)さん page.2

市川大河
フリーランスライター・脚本家・演出家・元映画助監督・制作

1966年 東京・青山出身。大学在学中から、東映、松竹を中心に助監督・制作進行の仕事を開始。
助監督・制作進行仕事は、プロダクションの刑事ドラマから、Vシネマ、本編や、松竹出資のバズ・カンパニーでの、2時間サスペンスやVシネマ等、映画業時代に、60本近くの映像作品に携わった。
30代初頭で過労に伴う大病で倒れ現場仕事を断念。フリーランスの物書きとして人生再スタート。当初は海外輸入ビデオの紹介記事やプレス用資料が多かったが、別冊宝島『このゲームがすごい!』や『月刊ゲーム批評』等でゲームレビューが好評。
その前後も60年代・70年代サブカルチャーをメインに『別冊宝島』『月刊バラエティ』『季刊宇宙船』『月刊アームズマガジン』等で活躍。
主要ジャンルは、SF・ミステリー等の文学評論をはじめとして、邦画・洋画・邦楽洋楽ロック・70年代ドラマ・特撮・アニメ・刑事ドラマ・NHK朝ドラ等々の批評や評論等を手広く展開。
2000年代に入ってからPNをいくつか使い分ける事で職業範囲を細分化。
2014年にはニッポン放送主催の演劇『カミサマ未満』で企画・脚本・演出を務めた。

近年の主な仕事
㈱KADOKAWA 『電脳たけくまメモ』(2014年)構成・執筆
㈱ニッポン放送主催 『ニートの神様』(2014年)企画
㈱ニッポン放送主催 『カミサマ未満』(2014年)企画・脚本・演出
調布ラジオ 『アトレクタイム・元気UP↑ラジオ』!(2015年)構成・トーク
劇場用映画 『ロリさつ』(2016年)プロジェクト・コーディネーター
㈱ディー・オー・エム コラムサイト『Middle Edge』『ガンプラり歩き旅』(2017年~2019年)
単著(株)地研『スマホ・SNS時代の多事争論 令和日本のゆくえ』を2020年に出版。

しゃけ:
引き続き、どうぞよろしくお願いします!page1.バブル時代の映画界を語る市川大河さんはこちらです
2014年ニッポン放送で『ニートの神様』(主演・小林ゆう)と『カミサマ未満』の舞台芝居の企画とをされ、『カミサマ未満』では脚本と演出もされたと。

大河さん:
やっちゃいけないジャンルに手を出しちゃったっていうね(笑)

しゃけ:
映画、ライター、舞台コンテンツの演出等、様々な表現のお仕事をされていたんですね。出来上がった『カミサマ未満』は、ご自身で演出された立場から見ていかがでしたか?

大河さん:
やはり数字的にみれば失敗ではありましたね。一応満席にはなったみたいだけれども。いろいろクドクドとは言い訳はしたいんだけど、今回の結果を見て、今後こういう仕事を僕に依頼してくる間抜けなプロダクツもいないでしょうし、無難な結果ではあると思っています。ただ、業務というレベルで考えていった時に、やはりアニメの声優さん、それもアイドル声優を推しているファン層向けのコンテンツで、こういうものがやれたというのは、現状のアイドル界とか声優界を俯瞰していった時に、無駄足を踏ませたことにはならないのよねという自負があります。

しゃけ:
「こういうもの」とは?

大河さん:
大きな括りで言ってしまえば「エヴァ以降のエヴァ的なる物」全てですよ。とにかく今のアニメは、新海アニメが細田アニメでも、人物造形が心理学のパッチワークで、記号的で「キャラ」なんです。それは声優さん達の業務対応としてはそれでもいいし、その方が技巧的にやりやすい部分、声優をでっち上げやすいという部分があるんだろうと思いますが、でっち上げやすいという事は、同時に消費しやすい、消耗品としてのサイクルが早くなるという事でもあります。

そうなることが分かっている時に、それはまぁ『進撃の巨人』でも『鬼滅の刃』でもいいんだけど、そういうものをテクストとしていくと、人間が本来持っている本能としての活力とか、ただでさえ記号の集積であるアニメという表現が、文字面とは逆に命をもたなくなっている。命を持っている筈の声優が、命を吹き込める雛形を用意してもらえなくなっていけば、待っているのはボカロのような、プログラム音声による世代交代ですよ。

早ければ10年もしないうちに、そういう時代がくるんじゃないでしょうか。その中で「そもそも論」で言えば、声優という職業はとてもあやふやな時代性の中で「俳優の特別職」みたいなところで需要が築かれてきた成り立ちみたいなものはあるじゃないですか。どこまでいっても、俳優なんだという気概というかプライドというか。そういうビハインドをすら持てない世代が、声優とアイドルのタスクを兼ねて生き延びなければいけないという時代の中で、僕が出来る事はなんだろうというのが、当初からの業務のテーマに含まれていたわけです。差別化という意味では、それは他でも散々提言してきたのだけれども、アニメキャラではなくて人を演じるという経験則を持たせなければいけなかった。埋め草捨て企画だからこそ、やれることもあるじゃないかと。これが億の金が動くアニメコンテンツだったら怖くて出来やしないわけです(笑)

しゃけ:
なるほど。

大河さん:
最初は全員手探りなんですよ。そりゃそうだ僕が手探りなんだから。その中で、感性だけでオーディションで選んだ村田綾野にしたって、ロジックがあっての選抜ではなかったんですから。ただ、とにかく時間はなかったから、キャラを演じさせるのか、人間を演じさせるのかは差別化しました。それはこの作品の中で混在しているという。それは業務対応的な意味の中で、あまりにもアニメ風的世界観やファン層と乖離しても、僕の自慰行為にしかならないしという。

しゃけ:
でも、本番の反響は良い物が多かったそうですね。

大河さん:
徹底的に「生々しさ」だけで勝負に出ましたからね今回は。企画の初動から、ドラマが完璧でテーマもしっかりしていて、ストーリーも骨太な『ニートの神様』のスピンオフで、こっちは新人の声優を一山いくらで背負わされるのは分かっていましたから、じゃあって僕はそれらの要素を全部捨て去るところから作劇を始めました。何をやったって前田氏と小林ゆうさんと『ニートの神様』にはかないっこない。だったら全部逆を行けと。

しかしどこかにジョイントは残しておかないとスピンオフにはならない。そう考えた時にそのジョイントが「生々しさ」だったんです。あれに拮抗するには、群像劇しかない。全員にくまなく生々しさを与えて、後はドラマもテーマもストーリーも捨て去る。全部削ぎ落した時に「生々しさ」さえ残れば、それはどんな「エンターティメントのコツ」よりも勝ち抜ける鍵になるはずだ、そう思い込むことに決めたんです。極論を言ってしまえば「人が声をあてること前提ならば、決して惨めな結果にはならないはずの脚本」を「しかしどこにもスタンドアローンで勝てる要素がない脚本」でもいいので、それを用意するだけでよかったんですよ。

ラストにしても、あの曲(『いつかまた生まれた時のために』作詞:小峰公子、井荻麟/作曲:保刈久明/編曲:karak/ 歌:karak)を選んだのだって、イマジンスタジオの下見に行った時の、初対面のマツ氏に「エンディング曲ってもう決まってるんですか?」って尋ねられたからで、全くラストの落とし方なんて考えてもいなかったのに尋ねられて、でも反射的に数秒でこの曲がスッと出てきたんです。『世にも奇妙な物語』みたいな、一番嫌いなタイプの落とし方にはなったんだけど、この曲が流れてくれたことで、あぁファンタジーだったのかっていう落としになってる。という意味では、僕はやっぱり、むしろ僕の一番嫌いなところを今回エンディングとしてああいう風にやってみたっていうことに関しては、気に入ってはいます。もっと平たく言うと「なんだ、僕も芝居の演出が出来るんだ」って。だからちゃんと演劇の仕事もやってみたいなって思うようになった。僕、演出家出来るんじゃない?って。

しゃけ:
ラストまで見てしまえば、分かりやすい作品だったんですよね。

大河さん:
そういう意味じゃ分かりやすい作品なんですよ。僕は脚本・演出の立場にいたから、練習を見ると僕が暴走していると思っていたんだけれども、出来上がりの舞台を見てくれれば分かるでしょ。そういう意味で僕は出演者、関係者一同にかなり生気吸い取られたんだよね。

大河さんって自分で自分に感心するけど、かなりタフだよね。肉体的にも精神的にも確かに消耗はしたけれど、僕自身の感性って意味ではかなりリフレッシュされています。僕は来年あたり舞台演劇の仕事をしているかもしれないね。これで『カミサマ未満』の思い出は全部吐き出したつもりです。もう何もないです(笑)

しゃけ:
出し切っていただきありがとうございます!
「ロリさつ」(2016年)観させていただきました。「ロリさつ」のお話、ぜひゆっくり聞かせていただきたいのですが、三ページ目作らせていただいてもよろしいでしょうか?

2016年に公開され話題をさらった劇場用映画『ロリさつ』より

大河さん:
あの作品に関しては、元々増井公二監督という天才が、日本の映画界の、コンテンツビジネスと自主映画と短編映画の、まさに跨いだところで頂点にいるというところが発端なんで、僕は添え物でしかないんですが・・・では三ページ目でまた会いましょう!

しゃけ:
楽しみにしております。大河さんの著書はこちらです。

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