ミラクルに支えられるダンサー〜上田富士子

「ダンスを上手に見せるのは得意なのですが、基礎がないことに引け目を感じていたので、バレエのクラスに通っていたこともありました。結局、いつも中途半端になるのですが、仕事が忙しくなって通えなくなりました」ニューヨーク老舗のダンスクラブ、コパカバーナのヒップホップのフロアで踊ったり、ニューヨークの様々なパフォーマンス経歴を持ち合わせた上、アメリカのダンススタジオでも10年以上ダンスのインストラクターを勤めていたのに、ダンスの基礎がないと言い出すのは不思議。おそらくダンスを始めたきっかけが、想定外だったからそう感じていたのだろう。加えて、富士子には現段階に及ばない実力以上のチャンスをつかめるというミラクルなパワーが宿っているのかもしれない。


中学生のころ歌やダンスそして芝居をやったことがなかったにもかかわらず、友達に誘われて東京までアニーのオーディションを受けにいった。1万3000人の応募の中から、なんと24人の出演者に選ばれたのだった。パフォーマンスの世界とは無縁だったはずの、まったくの素人が選出されたことは、まさにミラクル。「13歳になるまで歌はもちろん、ダンスやお芝居をやったことがなかったので、5歳の女の子と一緒に泣きながらダンスの練習をさせられていました。それでも千秋楽が終わった瞬間には、感動で涙がでて、ステージに立つのが好きなのだと実感したのです」アニー出演の後は、普通の中学生にもどったのだが、ダンスの楽しみを知ったことから高校生になってからは友達と集まってヒップホップの練習を続けた。メンバーの中には、夏休みの間ニューヨークまでダンス練習のため渡航していた男子高校生もいたという。

「高校卒業後は、東京コミュニケーションアーツという専門学校のダンス科に入りました。ここでもまたしても変に運がよくて、ダブルダッチを日本で初めてやった人たちのチームがその専門学校の先輩だったのですが、大塚製薬さんのオロナミンCの全国プロモーションでツアーのパフォーマンスメンバーとして私も採用されました。

ダブルダッチについて専門学校に入るまでは、知りませんでした。ただお遊び感覚で、放課後にダブルダッチを友達同士やっていたくらいでしたから。ところが木村拓哉さんが、オロナミンCのコマーシャルにアメリカのダブルダッチチームと出演し話題になったのです」

オロナミンC全国プロモーションツアーに、ダブルダッチのパフォーマンスチームで専門学校の先輩らが起用され、同メンバーに後輩2人を選ぶということになり、メンバーとして選ばれのだという。ミラクルな結果、学生でありながら日本各地をツアーして回ることとなった。

「ニューヨークには、ダブルダッチの大会にチームで来たことがあって、その時は2位になりました。日本人は、チームワークと練習量がハンパではないからか、今や同大会ではいつも日本人が1位になっているんです」卒業後はダンススタジオに通っていたが、同スタジオにいた先生からの紹介で、劇団ひまわりの先生というポジションを受け継ぎダンスの先生となった。自分は子供のころにダンスをやらなかったというが、子供たちにダンスを教える立場になるとは、人生って不思議。

2000年に専門学校時代の友人がニューヨークに住んでいたこともあり、ダンスをやるためニューヨークへ渡ってきた。「自分が受かりたいオーディションで落選するのは、まず日本人の標準より身体が大きいことがマイナス要因であり、自分にダンスの基礎がないからだということも言い訳にしていました。

ニューヨークへ行けば、身体が大きい事はマイナス要因でなくなるし、アジア人だということを生かせることは、日本にいるより有利かなと思っていました。だからかニューヨークに行けば日本にいるより簡単に仕事も見つかるのだと信じていました」予想は的中だった。NFLの第2リーグでチアダンサーに選ばれたり、たまたま友達と遊びに行ったクラブで知り合ったプロモーターにダンサーとして雇ってもらえることとなった。
クラブというのも、当時は数々のセレブが来る事で知られたClub Cheetah。ホストに、A. J. CallowayとWendy Williams(BETブラック・エンターテイメント・テレビジョンでホストとして活躍中だった)。DJはGoldfinger、Funkmaster Flex(Hot 97ラジオ局のホスト)という、超人気なクラブだった。

その後からは、ナイトクラブで踊る仕事が次々と舞い込んできた。JAY-Z、P.Diddy(両者ともアメリカ音楽史上トップの財をなしたミュージシャンとしてForbesに掲載された)らが行うセレブの集まるパーティでもダンサーとして踊った。

アーティストビザも無事取得し、老舗のクラブ、コパカバーナでは、自身もダンサーをしながらダンサーを雇うというディレクター業もこなすようになった。トランプのホテルでもカジノのダンサーとして働きながら、アシスタントディレクターとしても活躍、30人以上のアメリカ人ダンサーを従えた。

ディレクターという仕事は思いのほか向いていたようだ。彼女自身がミラクルなパワーを秘めている上、長年、様々なダンスの世界を経験したことによって、目利きがあるのだろう。2005年から5年間、日本へ連れていったダンサーや振付師たちは、今となってはセレブな面々。彼らがまだ芽が出ていなかった時代に富士子が一緒にダンススタジオの発表会で一緒に踊ったり、ナイトクラブの仕事を一緒にしていたのだとか。

中でもシェリル村上(NYで最もリスペクトされる振付師の一人でビヨンセやガガの振付師としても有名)やジョンテ・モーニング(2007年にビヨンセの世界ツアーの振付・演出した世界的に有名なダンサー)に関して、ワークショップやショーのオーガナイズもこなした。「ジョンテは日本で安室奈美恵&Doubleのプロモーション・ビデオの振り付けを担当したり、日本でのレコードデビューも果たしたので、それをマネージメントしました」


現在、結婚や出産を機にこれまでほどの活動はできなくなったが、トライステートエリアのスタジオでダンスのインストラクターを12年続けている。

「私のようにスタートから運によって得た仕事が大きいものだと、年月をかけて努力して実力や自信をつけていく期間がありません。そんな蓄積のない上に築かれた実力や自信だからか、簡単に崩れてしまいそうな、もろいものです。それでも自分にはなぜだか、いつも運だけでそこそこ仕事が舞い込んで来て、ダンスでそこそこ食べていけました。反面、いつも自分のやりたい仕事が取れないというジレンマを抱えていました。

あの頃はよく考えなかったけれど、きっとニューヨークへ来たのは、日本で思うような仕事がとれない自分から逃げたいという気持ちに圧迫されて来たのだなって思います。ニューヨークに来て自分なりに努力はしたと思います。しかし本当に凄いダンサーさん達をマネージメントしてきたおかげで、自分の目が肥えてきて、自分のダンスを客観的にみれるようになって、自分には才能ないのかな?って思えたり(笑)」

これまでの色々な経験を通して、人間どこへ行っても言葉と場所が違うだけで、目指していることから逃げずに続けられるのかどうかというところで、結局は同じなのだと思えてきたという。

「私って、自分ががんばろうって思ってがんばってきた事って、案外つづかなかったり、うまくいかなかったりすることが多いのです。逆に何もがんばっていないのに、舞いこんでくることのほうが多い。ある日近所のカフェで出会った老夫婦と話していたら、公立学校に先生を派遣する仕事をしていて、私のダンスを見たこともないのに、アメリカの公立学校のアフタースクールのダンスの先生として雇って頂いたり。急に友達ができなくなったクラスを代講したら、そのままそこで10年以上も雇って頂くことになっちゃったり。初心にかえってみれば、友達に連いていって受かっちゃったアニーのオーディションもそうなのです。

だったら自分の運を信じてドーンと構えて待っていよう、その方が自分はいい方向に向いて行くんだなって思えるようになりました。空っぽの自信と足りない実力の間で空回りしていた自分を捨てることができたのです。自分の目の前に来た物をコツコツこなしていけばよいのだと、楽になりました。これまでの運で勝ち得た経験、そして今ある仕事とご縁、それが私の実力なのです。

子供がいる今はなかなか自分の時間を持つのが難しいのですが、これからは今までの数々の経験を生かして、私なりのダンスの楽しさを伝えれる場を作っていけたらなと思います。ダンサーを育てるというだけの場所ではなく、そこにいるみんながどんなレベルでもダンスを通じて、一緒にその空間を楽しめるような場所。それを続けながら、将来的には日本とアメリカの橋渡しをできるような仕事に発展させていけたらいいなと思っています」ミラクルのパワーに支えられる自分に自信を持つことができた今、富士子にはこれから、さらなるミラクルが舞い降りるにちがいない。<敬称略〜取材・執筆 ベイリー弘恵  取材協力 TMH Dance, LLCTMH Dance, LLC>  ©写真無断転載禁止


【プロフィール】
上田富士子(うえだふじこ)
13歳の時に受けた明治生命ミュージカルANNIEのオーディションにJuly役で合格し東京、名古屋、大阪公演に出演。高校を卒業後東京コミュニケーションアート専門学校ダンス科に入学し本格的にダンスを始める。2000年に渡米、数々のイベントやパフォーマンスに出演、2005年からNew York Dance Projectを立ち上げNYから日本へビヨンセの振り付け師(シェリル村上,ジョンテ・モーニング等)やダンス映画step upのキャスト ダンサーを来日させクラブイベントでのShow、全国ワークショップツアーをオーガナイズ。2011年に出産、NJ,CT,NYの3つのスタジオでHip Hop &Funk Jazz インストラクターとして現在勤務中。2018年にNJにて行われたRevolution Talent CompetitionにてChoreography Award受賞。
(www.fujikoueda.net)

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