NYで新たな挑戦!宝塚歌劇団出身の漣レイラさん

男役を宝塚(宝塚歌劇団)で14年演じてきた。そこで得たものすべてをつぎ込んでニューヨークへやってきたという。

「ダンスやファッションも好きで、いろいろな経験に投資することに価値を感じているので渡米することにしました。ダンサーの皆さんの中には、ダンス留学をする方も多いのですが、私は語学留学をしています。ダンスも言葉の一つだと私は思っていて、言葉の数を増やすことは、ダンスの表現を広げることにつながります。」

宝塚で14年も演じていらっしゃったならば、卒業にはとても勇気が必要でしたよね。

「たしかに宝塚という独特な世界にいて、14年間それしか知らなかったです。今はニューヨークにいて、何が起こるかわからない毎日で、明日が待ち遠しくて、毎日ワクワクしてるうち、あっという間に1年半たってしまいました。

暮らしている中で、日本に比べると不自由も多いなとは思います。」
©Layla Sazanami

 ニューヨークのどんなことに不自由がありますか?

「道がガタガタしていたり、駅のエスカレーターが少ないですし、止まってることも多いです。その分、お母さんベビーカーを抱えて階段をのぼるのを助けたり、重い荷物を持ってる人を助けたり、人同士の助け合いがあります。


そういう姿を見ていて、必ずしも便利になりすぎることが美しいことではないのだと知りました。日本は便利になりすぎて、カフェでもロボットと話したり、人と関わらないことで、楽をしようとする傾向にあります。ニューヨークは、この不自由さが心地よいです。」

いつ頃ニューヨークへ移住されたのですか?

「コロナが終わってからです。すでにニューヨークではマスクも外していました。劇場へ入るときにはワクチン証明が必要なところもありました。こちらへ来てから、なぜか毎月風邪をひいてしまって、なにか免疫が必要なのでしょうか?宝塚では、いまだコロナにかかった出演者がでると、演劇が中止になるんです。」

なんと!それは、大変ですね。さすがにニューヨークで演劇が中止ということは、めったにないようですが。

「ブロードウェイでは、アンダースタディー※1.がスタンバイしているのですが、宝塚にはいないんです。今、いろいろな演劇をみると、それがいかにスゴイことだったのか感じます。宝塚に入ってすぐ、まだファンがいないころから、自分の代わりはいないという責任感にもなっていました。週に10回公演し、それを1か月半続けていました。」

実際に宝塚では、どういう役を演じていらっしゃったんですか?

「老若男女、ダンスで活躍の場をいただくことが多かったです。14年、ダンスのキャプテンというポジションでした。宝塚へ入るための学校へ17歳で入って2年通って、そのあと14年間は男役を演じていました。

『男役10年』という宝塚ことわざのようなものがあって、男役は10年演じてようやく一人前になるということなのですが、それに憧れがありました。10年やったら違う世界があるのか?って思っていました。演じているうちに、自分の夢とはなんだろうというのを考えるようになったんです。

そして10年たって、どういう役がやりたいとか、どういう歌が歌いたいというのではなく、どんな生き方をするのかが自分の夢なんだな~ってわかりました。」

どんな生き方をするのが夢だったんですか?

「挑戦し続けることです。ニューヨークに来たのもその一つ。コンフォートゾーン(心地よい居場所)にとどまるのではなく、新しいことをやり続けるために一歩ふみだす。

そういう生き方を見つけました。

もちろん宝塚でも、全てをやりきったわけではありません。やりきったから退団したのではなく、挑戦する次がみつかって、何に挑戦しても心の折れない自分を知ったことで退団を決意しました。」
©Karin Shikata

語学学校以外はニューヨークで、どのように暮らしているのですか?

「ブロードウェイのミュージカルや演劇をすでに97回観ています。本当に劇場が好きで、劇場へ留学したんだくらいに思っています。」

どなたと行かれるのですか?好きな作品や感動した作品も教えてください。

「一人で行くことがほとんどです。シカゴが大好きで78回は観ています。

ハミルトンを観たとき、なにに感動したかといえば、アメリカの歴史をミュージカルにしたもので、カッコいいラップやヒップホップによって演じられ、それを子供から大人までが楽しんでいるところです。

日本ではそういう風に舞台を通して、自国の歴史を知ることがなくて、そこに感動しました。自分もダンスを通して、子供たちをワクワクさせたいという思いから、日本でコーチングの資格をとりました。」

役者さんのコーチングって、どんなことをやるのですか?

「アメリカでは、役者さんやアーティストがセラピー(手術や投薬を伴わない、心理療法・物理療法)やコーチング(自発的行動を促進するコミュニケーション)に行くのは当たり前で、役者さんにセラピストが3人くらいついています。私がいる間、宝塚ではいなかったです。

心が元気じゃないことは恥ずかしいことという風潮が日本ではあり、自分一人で解決しなければなりませんでした。アメリカでは、メンタル(精神面)も色々な人の力をかりて、パーフェクトなパフォーマンスをすることに整えていくことが当たり前なのです。

いまだメンタルケアといえば、日本ではまだマイナスなイメージがあるので、自分がまずはコーチングをする立場になって、サポートしていきたいと思いました。」

なぜ人を助けようという気持ちになったのですか?

「英語の勉強や暮らしていくことに苦労しているのですが、ニューヨークで周りの人々に助けられたおかげです。

コーチングを学んでいく中で、50%できたら進んでいい。100%になるまで待たなくても、やりながら学ぶことが大切ということを知りました。」

ニューヨークで周囲の人の助けや、コーチングを学んだことによって、ご自身もパワーを得たということですね。

「まだ足りない、もっと稽古してからって思ってたら、いつまでたっても始められないので。今になって、ようやくニューヨークで自分もアーティストビザをとり、始めようって気になっています。

コーチングを学んだ理由は、もう一つありました。祖父は耳が聞こえなかったのですが、私が宝塚に入ったときにとても喜んでくれました。ところが、耳の聞こえない祖父が、どうやって観劇を楽しむの?ということで、宝塚歌劇団には前例がなかったこともあり。」

聴覚障害者が観劇をするという前例がなかったということは、ご自身で探しだしたのですか?

「タブレットを使えば画面が明るくなるので、ほかのお客さんにも迷惑がかかりますし、最初は劇場からいいお返事をもらえませんでした。字幕だけを薄暗い画面で、舞台のタイミングにあわせて表示するようにしました。

14年たった今、宝塚歌劇団では台本を見ながら楽しめるシステムができました。

アメリカでは、もちろん字幕のサポートもありますし、暗闇が怖くなる人のために照明を少し明るくしたまま公演したり、刺激的な音が苦手な人のために音を抑えたり、サポートを必要とする人をサポートするスタッフが劇場にいたりします。このようにサポートの仕方が、幅広いです。

そんな中で、エンターテイメントは、すべての人に平等であるべきで、すべての人が安心してエンターテイメントを楽しめる環境を劇場側が整えることが当たり前なのだと学びました。日本もこれからそうなっていけばいいと思い、私が何かできないかって思ったのです。まずは、演者のサポートから始めようと、コーチングを勉強しました。」

舞台のお仕事は、続けられるのですか?

「今、挑戦しないと後で後悔するって思い、アーティストビザをとるために推薦状を書いていただいたりしますが、周りの人に支えられることは涙が出るほどうれしくて、頑張ろうって思えます。

好きな言葉で、ジョン・レノンの『一人で見る夢はただの夢、みんなで見る夢は現実になる』

私がこうして挑戦しつづけることができるのは、応援してくれる人がいるからできることでもあるし、それが夢なのだと思います。」

いまさらなのですが、宝塚で男役だったってことは、花形ですよね?

「歌やダンスも好きでしたが、私は男役がやりたくて宝塚に入りました。宝塚をやめてからは、男役やそういうことをしようという気がなかったのですが。こちらへきて、歌舞伎は男性が女性を演じ、宝塚では女性が男性を演じる。宝塚も今年で110周年を迎えます。もしかして、異性を演じるのは、日本の伝統芸能なのではって思っています。」

LGBTQ2+がもてはやされるニューヨークなのですから、ブロードウェイで男役に挑戦してみるのはいかがですか?

「リーゼントをニューヨークで一番きれいに作れるのは私って思うのですが(笑)。。。

女性の役も演じてみたいですが、シカゴの見どころは私にとって男役でした。自分が演じているときには、ハットを斜めにかぶって煙草をふかしながらという役だったこともあり、シカゴをみると、自分も演じてみたいって思いました。」

男役を演じるために、これまで色々と研究してきたのですね。

「ハットが目にどのくらい隠れていたらカッコいいかなとか、ハットをなぞる手の形がこうとか、ひとつひとつにこだわりを感じて男役をつくってきたので。いまだに舞台でも、そういうところを見ています。表情やしぐさから得る情報は、すごく大きいですから。」

これからオーディションをたくさん受けて、レイラさんが舞台に立つ日を楽しみにしています。

ありがとうございます。日本人ならではの丁寧さ、細やかな表現そして宝塚で学んだ挑戦しつづける精神を武器に、自分が納得いくまで進みつづけたいと思います。私にはもう少し大胆さも必要ですね。

自分の気持ちに正直に、好きな事を貫きたいです。どんなに失敗を重ねても、どんなにダメな私でも、私には変わらぬ愛情を注いでくれる家族がいますからその面では無敵です。日々小さな『ありがとう』が生まれるニューヨークで、感謝を忘れず頑張ります。」

©Layla Sazanami

【プロフィール】
漣 (さざなみ)レイラ
2006年宝塚音楽学校に主席入学。 2008年月組『ME AND MY GIRL』で初舞台、その後、星組に配属。男役として14年間在籍。2021年12月、宝塚歌劇団を卒業。 恵まれた体格を活かしたダイナミックなダンスで存在感を放ち、個性的な役もこなす星組の戦力として幅広く活躍。第8期スカイ・レポーターズに就任。また、唯一無二なファッション、センスに加え、文才も発揮。3年間「歌劇」で組レポを執筆、好評を博した。

【関連リンク】
漣レイラさんInstagram

※1.アンダースタディー・・・演劇において、主要な役柄を演じる俳優に不慮の事態が生じる場合に備え、予めその代役を務められるように準備をすること。(ウィキペディアより引用)

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