
昨年1月、WHOにより新型コロナウィルスが確認された。ニュースでは聞きながらもその頃はまだあまり自分に関係のない事のように思っていたが、未知のウイルスは瞬く間に拡散し世界中で目に見えない恐怖との戦いが始まった。ここニューヨークでも3月には非常事態宣言が出され、商店やブロードウェイが閉鎖となり眠らない街がひと気のないゴーストタウンと化した。これまでの日常をあっという間に奪い去ったコロナウィルスは様々な業界に打撃を与えたが、その中でも特に深刻な状況に追いやられたのがレストラン業界だ。前にこのサイトで取り上げた Chef Yuu Shimano、そして戦友の Chef Tomohiro Urata の二人がExecutive Chef を務めるレストラン Mifune New York ももちろん例外ではない。今回はこの一流シェフ二人にこの一年の振り返りとこれからの希望を語ってもらった。

Yuu Shimano(以下Chef Yuu)
辻調理師専門学校(大阪校、フランス校)にて料理を学ぶ。カンヌのマジェスティックホテルにあるレストラン La Villa des Lys (ミシュラン二つ星) を経て, パリのミシュラン三つ星 Guy Savoy にて部門シェフとしフランス料理の要ともいえるソース作りを担当。2015年、日本の料理人コンペティション「RED U-35」にてブロンズエッグ受賞。現在 Mifune New York にてExecutive Chef を務める。

Tomohiro Urata (以下Chef Tomo)
辻調理師専門学校(大阪校、フランス校)にて料理を学ぶ。フランス南西部にあるミシュラン二つ星 La Relais de la Poste で部門シェフとし魚料理と前菜を担当。その後 Régis & Jacques Marcon (ミシェラン三つ星)を経て50年以上ミシュランの三つ星に君臨する名門 Maison Troisgros に身を置く。2017年、日本の料理人コンペティション「RED U-35」にてブロンズエッグ受賞。在は Mifune New York にてExecutive Chef を務める。
筆者: E.Villagestone (以下 E)
コロナの始まり、そして医療従事者支援
E: ニューヨーク市の非常事態宣言、そして都市封鎖でお店の閉鎖も余儀なくされた時はどうしていましたか?
Chef Yuu: 丁度そのころ個人的に日本でイベントにでることになっててモチベーションがそれに向けて上がってたんですよ。4人のシェフが世界から集まるっていう二日に亘るイベントで、日本に帰るのもすごく久しぶりだし、スターシェフの兄貴分たちと一緒に出来るって事もあって。最年少だったし、一緒に出るその兄貴分の人達と毎日打ち合わせもしてたし。それがコロナでキャンセルになったのがロックダウンの1週間前くらいで。休みも取ってしまっていたので、まだその時は大丈夫だったペルーに行くことにしたんですよ。でも向こうでニューヨークの様子を見て、リーダーですし心配で早く帰ろうと二日後にマチュピチュもキャンセルして(航空)チケットも買ったんですけどペルーがその日にロックダウンになっちゃって。しかもペルーって県境でロックダウンだったんで、出れないって噂を聞いて僕だけじゃなくもう街がパニックで。帰れたんですけど本当に色々あって。チリ行ってまたチケット買って、航空会社がつぶれるとか。。。帰るのにお金も結構かかりました。帰ってきた後はニューヨークもロックダウンで、会社の指令もあって自宅待機です。その時はそれしか出来ないですからね。
Chef Tomo: あの時は先が見えない状況でもう地下鉄も動かなくなるんじゃないかという感じでしたからね。ニューヨークにずっと住んでいるマネージャーでアメリカの状況がいつも良く分かっている彼女ですらどうなるか分からないというので、そう言われると余計不安になって。最初は店どころじゃないって感じでしたね。食材どうするかとかよりまず世界がパニックでしたからね。
E: 4月に入り医療従事者支援で食事の提供を始められましたが、そのきっかけは?
Chef Yuu: 自宅待機で必然的に携帯でSNS見る時間がすごく多くなって日本とか自分が長くいたフランスとかの事を色々見てたんです。フランスって一番最初に(飲食業界に)補償が下りて、あれってやっぱりシェフの地位がフランスではすごく高いんですよね。僕がいた Guy Savoy とかは直接大統領に話が出来るみたいな感じなんですよ。その時アメリカはまだPPP*もなかったし、日本でも何の補償も出ていなかったし。国によってシェフの地位って違うんだなとシェフとして悔しい思いもありましたね。そんな時パリのシェフが医療従事者の方に食事で支援するっていうシステムを作った事を知ったんです。その先頭を切ってる人が僕もかわいがって頂いていた先輩シェフで。その人に色々聞いて教えてもらったんですよ。あくまでも主役は医療従事者の人達、僕たちはサポートという形でやらなきゃダメだって。そのシステムだとドネーションで食料を送ってくれる生産者やデリバリーの人達はシフトで組んであって、シェフは家に材料が来たら食事を作るのみっていう、すごくちゃんとしたチームが出来ているんです。これなら出来るかもと生産者をあたったんですけど断られましたね。アメリカは補償がなかったからどこもドネーションを行う余裕がないんですよ。そんな感じでここでは無理なのかなあと思っていた時にサッカー仲間で仲のいい日本人の医師がコロナにかかったんです。大丈夫かなとメールしたら、自分は大丈夫だって。でもその時に「ゆうさん(病院に)弁当作って下さいよ。」って言われたんですよ。それなら出来ると思ったし、それ以上にやりたかった。そしたら同じサッカー仲間の会計士とか銀行のコンサルとが全然違う分野の友達が手伝ってくれる事になって。
* PPP: Paycheck Protection Plan (従業員の給与,賃料,保険,公共料金等の支払のために一事業者あたり最大1,000万ドルの融資資金を提供するもの)
E: クラウドファンディングをなされてましたよね?
Chef Yuu: そう。そのころ丁度その会計士の友達がMifune のファンだしMifuneのクラウドファンディングをしますよって言ってくれてたんですよ。だから僕はMifuneじゃなくて医療従事者支援を助けて欲しいって言ったんです。一人の人間として、料理人として、世の中に出来ることがないかっていう純粋な思いで、ゼロから(のスタートで)どこまで出来るか分からないけど試してみたい。でも一人じゃ出来ないからそこを助けてくれって。給料も減っててお金もなかったし、一人でやるより作戦に乗ってくれる仲間がいたほうが心強い。結局、最初は全部自分でやったんです。箱代も食材費も自分で出して。でもあいつら(友人)が後で1/4づつ出してくれたんですけどね。食料調達は大変でしたね。アジアンヘイトもあったし、買いだめみたいに思われちゃったり。(スーパーに)人数制限もあったから買い忘れとかあるとまた並ばなきゃいけないですしね。それと何よりここ(Mifune の調理場)1か月くらい使ってなくて、ミッドタウンはゴーストタウンで夜一人で仕事するのがめちゃくちゃ怖かった。
E: 不法侵入ができないように板を張っているお店も沢山ありましたからね。治安も悪くなっていましたし。
Chef Yuu: 最初はコロナの事もあり厨房を3日くらいかけて大掃除して。徹夜とまでは行きませんが大変でした。でもメディアで取り上げられた効果もあってドネーション(クラウドファンディング)が1万ドルちょい集まって。メディアで知って僕も手伝うって言ってくれる元スタッフもいたり。初回は会計士の友達とかが車でデリバリーしてくれたんですけど、本当に一つ一つの行動に緊張感がありました。まだ4月で何もわかってなくて僕も病院行くの怖かったし。
E: ともひろさんも手伝われていたんですよね?やってみてどうでしたか?
Chef Tomo: あの頃コロナ禍になり家にみんな引きこもりで、最初の回は手伝いたくても出来なかった状況だったんですよね。 ゆうやみんなにお願いして途中参加させてもらう形で僕は手伝わせてもらいました。その時一番思っていたのは医療の方々に感謝の気持ちを伝えたいって事です。少し無理をしてでも何かしらしたいと思って一緒にやらせていただきました。あれはやってよかったです。やはり医療 (関係者) の方に何か出来ないかっていうのはありましたから。また違う目線で医療の方って普段何を食べているんだろうみたいな事も考えて。そこが僕達が何か出来る所だし。聞いたらやっぱり普段はデリのものとか軽いものとかで、家でも(コロナ感染を防ぐために)家族に会えない人もいて食事も儘ならないみたいで。そんな状況の中で(彼らの食事が)作れたっていうのはお互いにとって良かったかなっていうのはありますね。
E: この援助はどれくらいの期間やっていたのですか?
Chef Yuu: 2か月くらいかな。アウトサイド(ダイニング)がオッケーになる1週間くらい前まで。
E: この支援で何が一番大変でしたか?
Chef Yuu: デリバリーです。もう宅配の人は怒らないようになりました(笑)他のレストランの仲の良いパティシエが自宅で(デザートを)作ってくれてたんですが、材料を持って行って出来上がったデザートを持って帰って来るっていう。最初は自転車で彼女の住む150丁目あたりまで材料持って行ったんですよ。その後はともひろにジップカー**で行ってもらったりして。何しろお昼に合わせなきゃいけないから早朝から活動しないと間に合わないので大変でした。
**ジップカー:1時間・1日単位で借りれるカーシェア
Chef Tomo: 材料集めですかね。ゆうとゆうの友人で募ったドネーションの中からやりくりさせてもらったんですが、あの時初めのほうは業者のオーダーとかもスムーズではなくて、オーダー出来る物もありましたけど出来ない物は自分たちで調達して箱も用意してっていう、やった事のない事だったんで。パティシエの子にも何が欲しいか聞いてその材料を揃えて持って行って。当日はドネーションの時間のちょっと前に彼女の所にピックアップに行って、そこから一度帰ってきてここのやつ(Mifuneで用意した食事)をかき集めて(病院に)行くっていう。
E: 朝から休む暇もなくという感じだったんですね。あの状況でこの様な支援をするのは本当に大変だったとは思いますが、反対にこの支援をやって良かったことは?
Chef Yuu: インスタとかでお医者さん達が沢山メッセージを送ってくれたことです。医者のシフトって班で組まれてるから、そのメッセージをみて別の班の人から次はうちの班でやってよ、って言われたり、この日は別の病院だからそこでやってよ、という感じでそこから繋がったりして。他にも同じようなドネーションやっている所もあるんですけど、うちはは手間で勝負してたんで「一番おいしい!」って言ってもらえるのをモチベーションにしてました。お医者さんに何が食べたいか聞いてそれ作ったり、手伝ってくれてたパティシエの子も100個分一つ一つありがとうって言う手書きのメッセージ入れたり。
Chef Tomo: 直接医療(関係者)の方がメッセージくれたのは嬉しかったですね。ビデオでもメッセージくれたり。食べている風景をビデオで撮ってくれてそこで皆がわーっと喜んで食べてる姿を見ることが出来たのは良かった。僕らはそこまで入れないんで。
Chef Yuu: あとは良いチームが出来たことは本当にうれしかった。基本はともひろ、それから前に一緒に働いてたやつとか、デリバリーしてくれた人とか、パティシエの子とか。こうやって人巻き込んでいいチームを作れる力が自分にあるのかなっていう自信にもなりましたね。あとはお弁当運んだ時に(病院の人が)皆下りてくるんですよ。「Mifune来た~!」って。やっぱりそれはうれしかったですね。
厳しい環境下でのレストラン営業

E: 支援が終わって6月中旬にアウトドアダイニングが解禁になりましたよね。その時メニューも工夫されたと思うのですが、どのようにメニューを考えられましたか?
Chef Yuu: まずはお客さんが来るかわからなかったですし、やってみたかった物を入れました。今までは寿司とか、アラカルトもテリヤキみたいな日本食的な物を出してましたけど、テラスってフランスの文化じゃないですか。だから遊び心も入れてカモのコンフィみたいなバリバリフレンチのアラカルトをかなり安く出しました。そしたらそれが当たって(笑)当たって、というより応援してくれる人がめちゃくちゃいましたね。
E: 今までと勝手が違って不安だったり大変なところも多かったのではないですか?
Chef Tomo: お客さんが本当に来てくれるのかっていうのが一番の不安でした。皆あの時期は待ちわびてた感があって、バーの前とかでもテイクアウトのみのはずなのに店の前で飲んでる人も見かけたりしましたし。そういうのは目にしていてもレストランには本当に来てくれるんだろうかって。そこで僕らがどこまで用意して良いのかが全然読めなくて。そこが本当に不安だったんですけどすぐ払拭されましたね。めっちゃ忙しかったです(笑)
E: 私も一度リオープン後に友達とレストランで食事させていただきましたけど、私達のいる間常に満席でしたね。
Chef Tomo: おかげさまで。色々な人に助けていただきました。でもやりだしたときはどういうメニューをおいて良いかもわからなかったし。それでゆうと話して、好きなことやろうって。前はジャパニーズレストランなので寿司カウンターで寿司シェフを呼んで刺身とか寿司とかも出してたんですけど、コロナでそうもいかない。俺らしかいない。とりあえず美味しい物作って皆に喜んでもらおうぜって。そうしたら自然と埋まるっしょ、みたいな感じで(笑)そこから徐々にメニューを増やしたんです。やはりフレンチだけではなく日本食的な物を好む顧客さんもいらっしゃいましたので、お刺身とかを入れたりして少しずつ戻して行きました。まあでも全部手探り状態でしたね。
E: でもパティオがあるのとないのでは天と地ほどの差だったと思うのですが、その点はラッキーでしたね。
Chef Yuu: 本当に。うちは外のスペースがあったんで。
Chef Tomo: 場所に恵まれてましたね。パティオがあったから今のうちがある。
E: そうですよね。2月にまた店内25%で飲食可能になりましたが、外席がなく店内25%のみでは開けているほうがコストが掛かってしまうと聞いたのですが。
Chef Yuu: そうそう。でも(夏の間)パティオに毎日机、椅子、テントってはると40分位かかったんですよ。そこの1時間弱って今までに必要なかった時間ですよね。今も外でテント(冬用のバブル)張って椅子と机用意してってやってると、かなりそこで時間とられますね。
E: バブルはいくつくらい用意してるんですか?
Chef Tomo: 4つです。組み立てやすいテントだったらいいんですけど、パーツがすぐ壊れたりするんでそこをつぎはぎして組み立てていくと時間が掛かかるんですよね。
E: このバブルだと夏のパティオの時より席の数が減るのでは?
Chef Tomo: 減りますね。(夏は)マックス12位出していましたからね。歩道の方にも許可を取って出してましたし。
E: レストランでは屋台みたいに大きなテント一つでやってるところが多いですけど、こうやって個別のほうが安心するお客さんも多いかもしれませんね。
Chef Yuu: そうですね。あと炬燵やってるところもあるし。知り合いのところなんですけど Izakaya とジンギスカンの Dr.Clark 。やっぱりニューヨークって生きる力が凄いなってめちゃくちゃ感じましたね。
Chef Tomo:(バブルは)プライベートですし、意外と寒くないんですよ。最近(2021年2月)雪が降りましたけど、この冬は12月のぎりぎりまで結構暖かかったじゃないですか。だから天候にも恵まれましたね。

E: 店内飲食が25%という条件付きで再開されたのは今回(2021年2月)2回目で、昨年の9月から12月中旬も許可されていましたが、店内飲食再開が発表された時ははすぐ店内も始めようとなったのですか?
Chef Yuu: 決めるまで色々と話し合いがありました。すべてにおいて正解がないし。何個か選択肢を考えて、すべてに対応出来るようにして後は様子見。いきなり勝負に出てお金を稼ぐって考えると絶対ダメになると思うので。急に客数増やした所で皆の体も鈍ってたりするし、予約制限もあるので色々と違う事するとお客さんにも迷惑かかるし。(それに応じて)発注もやって納入もやってとなると間違いなく負担はシェフにかかるんです。もちろんサーバーにもですけど。そこを毎回対応して予想して、あとはシェフの友達にもどうするのか聞いて、色々な選択肢を頭に入れながらどれが一番いいか考えて。大体僕が決めるんですけど、うちは本社もあるので本社とも話して決めてます。人件費なども絡んでくるので。いつも悩みますね。
E: 衛生面などでも今まで以上の配慮が必要になると思いますが、その辺でも時間が取られるのでは?
Chef Yuu: 始めは紙皿でやろうかって案も出たくらいで。そう(几帳面に)なりすぎるのは良い事でもあるし。メニューも携帯で(コードをスキャンして)見てもらおうって思ってたんですけど、結局お客さんは紙でメニュー見るほうがよいと思うので、紙で作って使い捨てにして。その紙代とかも馬鹿にならないから、そうすると単価を上げないと、とか本当に色々考えますよね。
E: 12月から今まで外のみの営業で、そのためのバブルやヒーターなど色々と出費もあったのでは?
Chef Yuu: そうですね。延長コードとかも。例年にない物が増えましたね。
E: バブルなどはどのくらい前から用意されてたんですか?
Chef Yuu:(ニュースを聞いたら)すぐ対応。(品も)すぐ売り切れるし。
E: ここまでやってこれたのもチームワークがあったからこそですかね。
Chef Yuu: そうですね。ジェネラルマネージャーがすごく敏感に見てくれているので。そこに対して僕たちも意見をいうし。独断が必要な時もあると思うし、口論になるときもあるけど、皆店を守りたいと思ってやっている事なので。
E: レストランウィーク(2021年2月)にも参加されいますよね。先ほども詰める作業をされてましたけど、テイクアウトとかデリバリーなどの詰める作業も時間がかかるのではないですか?
Chef Tomo: そうですね。少人数でいかにやるかって所ですよね。
E: インスタなどで(キッチンの様子)をシェアてますが、いつも(シェフ含め)同じ人が3人しか出て来ないので何人でやってるのかなあって思ってたんです。
Chef Tomo: いや、本当に3人でやってるんです(笑)あとは本当に忙しい時はもう一人いるくらいで。

E: デリバリーとかテイクアウトって毎日やっているんですか?
Chef Tomo: レストランウィーク中はお店が閉まっててもやってましたね。あとは医療関係者支援をやってた頃くらいから続けているテイスティングメニューのデリバリー、ピックアップを金曜日にやってます。
E: テイスティングメニューというのはコースメニューのデリバリー/テイクアウトという感じですか?
Chef Tomo: そうですね。18種類入れてます。始めたころはマックス40件くらい(注文)が入ってて、あの頃はピックアップにいらっしゃる方がそんなにいなかったんですよね。皆外に出たがらなかったじゃないですか。今だとレストランウィークでもピックアップの方が多いんです。もう皆外に出てるから。なのであの時はデリバリーをどうするかってなって、結局自分達でやりましたね。マネージャーが車を持っていて、僕も免許持っているのでジップカー借りて二手に分かれて。デリバリーの範囲がマンハッタン、ブルックリン、クイーンズと広範囲で大変でした。
E: それは時間もかかり大変そうですね。Executive Chef 自らのデリバリーはどれくらいの間やっていたんですか?
Chef Tomo: 最初にアウトドアが解禁になる直前までやっていたので1か月くらいですかね。今はデリバリー会社に頼んだりピックアップに来ていただけるので僕たちが自分で運転してということはないですけど。

E: まだコロナで混乱した生活の中で 医療従事者の方々への支援からテイスティングメニューのデリバリーまで怒涛の日々を過ごされたようですが、今はお休みはとれているのですか?
Chef Yuu: 前より全然とれてます。でも不規則なので脳のチェンジが難しく必要以上に疲れてます(笑)
E: お休みの時は何をしてらっしゃるんですか?
Chef Tomo: 友達の所で料理することが多いですかね。鍋したりとか。
E: お友達が羨ましいです(笑)
Chef Tomo: あとは知らない音楽を常に探してます。
Chef Yuu: 休みの時は。。。Netflix とアメトーク(笑)あとサッカーしたり。あとは家で料理したり。結構充実してます。
1年の振り返り、そしてこれから
E: このパンデミックの影響で老舗のレストランも数多く閉店を余儀なくされていますが、その事につきどう思いますか?
Chef Yuu: チャンスだと思います。あれだけのレストランが潰れたのにうちは何とかやってると。
E: 今もまだ前途多難なレストラン業界ではありますが、この業界への思い、またはこれからの希望などをお聞きしてもよろしいですか?
Chef Yuu: いまClubhouseがはやっててそういうの色々聞いているんですけど、今回思ったのはやっぱりシェフが頑張ってるレストランが生き残ってるって事ですかね。大きいチェーン店はなんとなく生き残っている所もあるけど潰れてる所も多い。シェフが死に物狂いでああしようこうしようって考えている所がレストランのレベルに関係なく生き残っている。どこもテイクアウトしたりデリバリーしたり何かしらやってて、そこに対して(頑張っているレストランに対して)ニューヨークは暖かいのかなって凄く思いました。ビジネスの How to ってあると思うんですけど、とりあえず手探りでやったことが今答えになってるのを見ると、やっぱりシェフって力があるのかなと思いましたね。
Chef Tomo: コロナでレストランの業態っていうのが変わって、僕たちみたいにレストラン(店内)だけやっていた店がデリバリーやったりテイクアウトやったりしなければいけない状況になったじゃないですか。だからある意味レストランの業態の幅が広がった気がします。例えば(今までテイクアウトがなかったような)いいセットをテイクアウトしてみようとか、自宅で料理をする時間ができたからレストランからソースだけ買って自分で作ったものと合わせようとか。消費者に届けるためのツールが増えたと言うか。そういう可能性がこれからももっと広がるといいかなと。
E: 確かに足が悪いとか色々な理由でレストランに行くのが大変な人でもテイスティングメニューまでデリバリーしてもらえますからね。
Chef Tomo: そうですね。(色々な客層への)窓口が広がりましたね。
E: ではこの一年を振り返って一番つらかったこと、また良かったことや学べたことなどがあればお聞かせ頂けますか?
Chef Tomo: 一番つらかったのは今まで一緒にやってきた仲間が減ってしまった所ですかね。前は(厨房)9人とか10人くらいでやってたんですよ。僕たちのほかにSous Chef が二人いてそのほかにキッチンヘルパーとか皿洗いとか。それは今じゃもう3人かいて4人とかで。
E: この状況でどこのレストランも人材削減はやむを得ないですからね。
Chef Tomo: よかったことは、視野が広がった事ですかね。さっきも言いましたけど(飲食の業態への)色々な可能性に目を向けられるようになりました。あとは医療(従事者)の方々へのドネーションを通して(シェフというのは)喜びを伝えやすい職業なんだなというのを改めて実感しました。
E: 人に笑顔を与えられる職業ですよね。
Chef Yuu: 辛かったことは 個人的にはChef としてのモチベーションかな。僕ももう料理人として20年目になるけど、コロナがなくても前を向き続けることってすごく難しくって。今から中堅に入る中で会社に与えられたノルマにモチベーションを持っていきやすいと思うけど、僕はそれは嫌だから。料理人の価値を高めることを試みようって(この一年)考えてたのかな。今考えてみると。
E: 色々と深く考えることの多い一年だったようですね。最後になりますが、今年、または今後やりたいと思うことはありますか?
Chef Tomo: 一度止まってしまったレストラン。それをまた、お客様がゆっくり時間が過ごせて楽しく食事できる場所として提供出来る様にしたいですね。Mifune を特別な日にも選んでご利用していただけるような店にしたいです。それにプラスしてアイデンティティーというか、自分の持っている物をもうすこし何らかの形で前に出せたらいいなと思っています。
Chef Yuu: チームを戻したいですね。ファミリーだったので。最初は一人でやってて、そこに人が戻ってくるたびに皆で久しぶり!っていうあの感じってやっぱり家族なんだなと思って。俺よいチーム作ってたんだなって。なのでまずは忙しい店に戻して皆が、もちろんお客さんも、ハッピーになれる所。そんな場所に戻したいと思ってます。そして前より良くしたい。その良くっていうのはデリバリーの話じゃないけど、当たり前の事に感謝できるように。そしたら絶対料理にも出ると思うんです。後は単純にもっと料理がうまくなりたいですね(笑)将来的にはいつかは独立したいなとも思っています。自分より才能のあるメンバーを集めて楽しい事をしたら必然的に強いチームになると思うし。(人を)巻き込むのが才能だと思うから。誰にも負けない実力とか自信もあるし。もうこの年になってきたらそこを謙遜するんじゃなくて武器にして行きたいなと。僕今年で39になって、今の目標は40代の青春です!

インタビューはとてもポジティブなトーンで終わった。散々メディアで今のレストラン業界の苦悩が報道される中、二人の前向きな言葉に私も元気づけられた。この一年、前代未聞の状況下で戦ってきたシェフ達。彼らはこの経験を力にして益々素晴らしい料理を生み出していくのだろう。そんな彼らのこれからに期待が高まる。
-e
Yuu Shimano
Instagram: https://www.instagram.com/yuushimano/
Tomohiro Urata
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