世界最高のブレイクダンスバトルRed Bull BC One World Final 2016にて、世界各国から選抜されたB-BOY(ブレイクダンスが踊れる男性)らとのバトルを交わし、見事勝ち抜いて優勝したのは日本人のIsseiだ。同大会は2016年の12月に名古屋で行われた。Isseiは最年少の19歳という若さで、初の日本人優勝者となった。
IsseiのチームメイトであるWingzeroと、2017年の5月にNJで行われたTMHダンススクールのチャリティーイベントSmileにゲストとして参加するため渡米、NYに滞在中の彼らに取材することができた。山梨県出身のWingzeroと、福岡県出身のIssei、二人とも東京に拠点をおいて、世界で行われるブレークダンスのバトルに参加したり、ブレークダンスバトルの審査員として活躍しているという。
まず二人がダンスをはじめたきっかけは?
Wingzero「中学生の高学年くらいからブレイクダンスに関心をもちはじめました。高校のころはダンスの練習にはまってしまい、大学受験で第一志望校には落ちてしまったんです。ダンスをするために上京したいと親には言えず、東京の大学に進学することにしました」
Issei「6歳のころに、ヒップホップのダンスレッスンに通っている友達に誘われて、自分も行きたいと母にお願いしました。まさしく今回ゲストとしてイベントに参加することとなった、TMHダンススクールみたいな感じのスクールです。高校時代にはダンスが好きすぎて、ダンスばかりやってて勉強はまったくやらなかったです。ペンも手にしたことがないくらい(笑)」
まず二人がダンスをはじめたきっかけは?
Wingzero「中学生の高学年くらいからブレイクダンスに関心をもちはじめました。高校のころはダンスの練習にはまってしまい、大学受験で第一志望校には落ちてしまったんです。ダンスをするために上京したいと親には言えず、東京の大学に進学することにしました」
Issei「6歳のころに、ヒップホップのダンスレッスンに通っている友達に誘われて、自分も行きたいと母にお願いしました。まさしく今回ゲストとしてイベントに参加することとなった、TMHダンススクールみたいな感じのスクールです。高校時代にはダンスが好きすぎて、ダンスばかりやってて勉強はまったくやらなかったです。ペンも手にしたことがないくらい(笑)」
上京してから二人は、新宿にあるB-BOYの聖地ともいえる安田ビル(現損保ジャパンビル)へ通って練習したという。彼らの出会いもそこにあり、ブレイクダンスのチームFound Nationへ参加することとなった。
ブレイクダンスはニューヨークのサウス・ブロンクスが発祥の地。1970年ごろにアフリカン・アメリカンやラテン系の少年たちがはじめたストリートダンスだ。アフリカ・バンバータ(同地区出身のDJ・ミュージシャン)の提案で、ギャングの銃撃戦をブレイクダンスのバトルを用いることで発展したという。
だからか、ブレイクダンスをやってる人たちっていまだにギャングがやっているってイメージがあるのだが?文部科学省の学習指導によりダンスを履修科目として取り入れられたこともあって、日本では変わってきているのか。
Wingzero「さすがに時代がかわったこともあって、日本ではアイドルグループがダンスをしていたりすることも多いですし、ダンスは一般に浸透しています。
今も夜にクラブでバトルはもちろんありますが、バトルだけでなくショーケース(ダンスのショー)もやります。あとダンサーに子供が増えてることもあって、夜のクラブだと未成年者が入れないから、クラブをイベントに使うときは昼間にしたり、ショッピングモールを使ったり、体育館だったりと、クラブ以外でやることが増えてます」
これまでさまざまなダンサーの方を取材してきた中で、ステージに上る前、イメージトレーニングをやる人が多いが、イメージトレーニングはやるのか?
Wingzero「ブレイクダンスは実際に動いてみないと、わからないことが多いです。動きをイメージして練習場所に行ってみて、自分が実際に動いてみると、何か違うな?ってことがあったり。
逆にイメージした動きよりも、自分でも想像してなかったところで、もっとスゴイ動きが生まれてきたりします。想定内の踊りだけだと、あまり面白くないと思います。即興でつくった動きを自分でおぼえて、自分のシグニチャー(必殺技・オリジナルの技)にしていきます」
イメージしていたのが「何か違う」っていうのは?という問いに、具体的な答えが彼らからはでてこなかった。自分の踊る姿をビデオで客観的に見たり、観客からの反応をえることで、判断しているらしい。実際に彼らのブレイクダンスを見ているとき、私の主観だが、「何か違う」の部分がクリアになった。
彼らのダンステクニックがトップクラスであることはもちろんだが、ほかの国のダンサーと比較してわかったのは、彼らのダンスは、難しい技術ばかりを披露するのではなく、見ている人を楽しませるダイナミックな動きがたくさん盛り込まれているのだ。おそらくビデオで自分の動きを客観的に見ることによって、人の楽しませるための動きを判断する。つまり、彼らにとってダンスは人を楽しませる為のものなのかもしれない。
はじめて頭で回ったりするときって、怖くなかった?
Issei「子供だったので、身体も小さかったしそんなに負担にはなりませんでした。怖いっていうより、やらなきゃできない、回りたいっていう思いのほうが先行してました。怪我をしたこともありますが、2,3ヶ月踊れないことのほうが、ストレスになりました。自分が動けないうちにも友達は、練習して技術を磨いているわけで。ダンスのバトルでもそうですが、負けると悔しいから、もっとダンスを頑張ります。B-BOYは負けず嫌いな人が多いかもしれません」
ブレイクダンスをやっていて良かったことは?
Wingzero「B-BOY同士すぐに友達になれることです。世界どこにいても、声をかけあって、すぐに仲良くなってます。家に海外からきているB-BOYを泊めてあげたりしたこともありますし、海外で泊めてもらったこともあります」
これから目指していることは?
Wingzero「ブレイクダンスで世界の第一線にいれるのは30代後半から40代前半くらいまで、年齢的には寿命が短いのですが、40歳くらいになっても現役でできる人が今も何人かいるので、そういう人になりたいです」
Issei「これからも誰もまだやっていないことを攻め続けたいです。ブレイクダンスは、オリジナルの動きをすることが大事ですから。人から憧れるような存在になりたいです」
彼らの仕事場は、海外が多いという。ヨーロッパはフランス、オランダ、ベルギーほか、アジアは中国、台湾、シンガポール、マレーシア、ベトナムやインドなど、今はアメリカで仕事をすることも増えてきた。バトルイベントに招待されたり、ショーケースを行ったり、バトルの審査員としても仕事を依頼されるのだとか。
ブレイクダンスはニューヨークのサウス・ブロンクスが発祥の地。1970年ごろにアフリカン・アメリカンやラテン系の少年たちがはじめたストリートダンスだ。アフリカ・バンバータ(同地区出身のDJ・ミュージシャン)の提案で、ギャングの銃撃戦をブレイクダンスのバトルを用いることで発展したという。
だからか、ブレイクダンスをやってる人たちっていまだにギャングがやっているってイメージがあるのだが?文部科学省の学習指導によりダンスを履修科目として取り入れられたこともあって、日本では変わってきているのか。
Wingzero「さすがに時代がかわったこともあって、日本ではアイドルグループがダンスをしていたりすることも多いですし、ダンスは一般に浸透しています。
今も夜にクラブでバトルはもちろんありますが、バトルだけでなくショーケース(ダンスのショー)もやります。あとダンサーに子供が増えてることもあって、夜のクラブだと未成年者が入れないから、クラブをイベントに使うときは昼間にしたり、ショッピングモールを使ったり、体育館だったりと、クラブ以外でやることが増えてます」
これまでさまざまなダンサーの方を取材してきた中で、ステージに上る前、イメージトレーニングをやる人が多いが、イメージトレーニングはやるのか?
Wingzero「ブレイクダンスは実際に動いてみないと、わからないことが多いです。動きをイメージして練習場所に行ってみて、自分が実際に動いてみると、何か違うな?ってことがあったり。
逆にイメージした動きよりも、自分でも想像してなかったところで、もっとスゴイ動きが生まれてきたりします。想定内の踊りだけだと、あまり面白くないと思います。即興でつくった動きを自分でおぼえて、自分のシグニチャー(必殺技・オリジナルの技)にしていきます」
イメージしていたのが「何か違う」っていうのは?という問いに、具体的な答えが彼らからはでてこなかった。自分の踊る姿をビデオで客観的に見たり、観客からの反応をえることで、判断しているらしい。実際に彼らのブレイクダンスを見ているとき、私の主観だが、「何か違う」の部分がクリアになった。
彼らのダンステクニックがトップクラスであることはもちろんだが、ほかの国のダンサーと比較してわかったのは、彼らのダンスは、難しい技術ばかりを披露するのではなく、見ている人を楽しませるダイナミックな動きがたくさん盛り込まれているのだ。おそらくビデオで自分の動きを客観的に見ることによって、人の楽しませるための動きを判断する。つまり、彼らにとってダンスは人を楽しませる為のものなのかもしれない。
はじめて頭で回ったりするときって、怖くなかった?

Issei「子供だったので、身体も小さかったしそんなに負担にはなりませんでした。怖いっていうより、やらなきゃできない、回りたいっていう思いのほうが先行してました。怪我をしたこともありますが、2,3ヶ月踊れないことのほうが、ストレスになりました。自分が動けないうちにも友達は、練習して技術を磨いているわけで。ダンスのバトルでもそうですが、負けると悔しいから、もっとダンスを頑張ります。B-BOYは負けず嫌いな人が多いかもしれません」
ブレイクダンスをやっていて良かったことは?
Wingzero「B-BOY同士すぐに友達になれることです。世界どこにいても、声をかけあって、すぐに仲良くなってます。家に海外からきているB-BOYを泊めてあげたりしたこともありますし、海外で泊めてもらったこともあります」
これから目指していることは?
Wingzero「ブレイクダンスで世界の第一線にいれるのは30代後半から40代前半くらいまで、年齢的には寿命が短いのですが、40歳くらいになっても現役でできる人が今も何人かいるので、そういう人になりたいです」
Issei「これからも誰もまだやっていないことを攻め続けたいです。ブレイクダンスは、オリジナルの動きをすることが大事ですから。人から憧れるような存在になりたいです」
彼らの仕事場は、海外が多いという。ヨーロッパはフランス、オランダ、ベルギーほか、アジアは中国、台湾、シンガポール、マレーシア、ベトナムやインドなど、今はアメリカで仕事をすることも増えてきた。バトルイベントに招待されたり、ショーケースを行ったり、バトルの審査員としても仕事を依頼されるのだとか。
「もっと世界をまわって、自分たちを知ってもらいたい。生きているうちに、できるだけいろんな人に名前をおぼえてほしい」という。IsseiとWingzeroは、まさしく世界を股にかけるブレイクダンサーなのだ。<敬称略 取材・撮影 ベイリー弘恵>
【関連URL】
●Winzeroプロフィール
●Isseiプロフィール
●Found Nationオフィシャルサイト