音楽の魔法で「なりたい自分」になる! シンガーソングライター吉岡ちょこ(CHOCO)さん in NY

NYクイーンズ区でACE音楽スタジオを経営しながら、自ら作詞作曲をしてステージへ。
2003年より様々なショーのプロデュースを手掛ける。
今年(2018年)の日本単独ツアーでは、福島の郡山でも復興支援ライブを開催。
ISURUGI ACE Productionsでは、アーティスト専用ビザ取得支援のお仕事も。
info-fresh.comにてアーティスト対談を連載中。
3人のお子様を育てながら夢を追いかけ続けるCHOCOさんにしゃけがインタビューさせていただきました。

ブログ http://ameblo.jp/acemusicstudio/
インスタグラム https://www.instagram.com/chochochoco/
ツイッター https://twitter.com/Chocoaceisurugi
ACE音楽スタジオ http://acemusicstudio.com/
ALIVE Performance Show https://www.alivenyc.net/

しゃけ
郡山でのコンサートのことを詳しく教えていただけますか?

CHOCOさん
私は京都出身なのですが、母が宮城県の福島との県境の丸森出身で、私もそこで生まれました。2011年3月11日の東日本大震災で、その家も半壊し、その後少ししてお世話になった祖母も他界しました。みなさんもそうだと思いますが本当にショックで...何もできない自分が悔しくて。あるとき、世界中から被災地に送る愛のメッセージ「クリスマスカードプロジェクト」というものがあると知り、毎年クリスマスシーズンにスタジオの子供たちや仲間を集めてイベントをし、みんなでメッセージを作成して送っていました。

数年間やり取りさせて頂いた、プロジェクト代表の中央大学名誉教授の田中先生と娘さんの絵里子さんに、この夏一時帰国の活動で各地をまわる際に直接ご挨拶させて頂きたいというお話しをしたところ、せっかくですし子供たちのために音楽で繋がる機会にしましょうとご提案下さって。そこから福島の郡山市の幼稚園二校を訪問を企画して下さり、子供たちと一緒に時間を過ごしました。
今回福島では、5歳児さんのための演奏会だったので、前半は以前ニューヨークのパブリックスクールの子供たちにも教えていた英語のオリジナル曲、『Colors』と『I am hungry!』、そして皆も知っている『ABC』(キラキラ星)の歌を一緒に歌いました。後半は、私のオリジナル曲『雨ラジオ』、『Let My Heart Stay By Your Side』、そして副島行きの3日前の”海の日(7/16)”に突然思い浮かんで書き上げた曲『海』を歌いました。

園児の皆さんとCHOCOさん
幼稚園児の皆さんとCHOCOさん

最後の2曲には、震災時のエピソードが込められていて、5歳の女の子が「なんだか泣きそう」と言ってくれたのを思い出します。震災を知らない歳の子たちですし、どんな風に受け取ってくれたのかなぁと。

とにかく子供たちが元気!住んでらっしゃる皆様も本当に暖かく、彼らの周りにはいつも日だまりができるような笑顔で溢れていました。私は5年ほど前、宮城県石巻市を一人で訪問した事があるのですが、ちょうど川開き祭りのシーズンで、街の人たちがとにかく元気で。「被災地を訪問する」って、なんとなく「自分にも何かやるべき事がある」という使命感に駆り立てられるイメージですが、もう完全に「おのぼりさん」として美味しいもの食べて笑って、美しい景色を見て、至れり尽くせり。何しに行ったっけ?っていうくらい観光客気分で帰って来ました。

もちろん、現地の方が抱えていらっしゃる現実の苦悩や癒えない心の傷は、1、2回の訪問では到底見えず想像をはるかに超えるとは思うのですが、それでも希望がありエネルギーがあるあの街には、ただただ元気がもらえて。自分が元気づけられ癒された街なので、自分のためにまた行きたいです。

しゃけ
クリスマスプロジェクト、いいですね。
現在はACE音楽スタジオでピアノや作曲、歌を指導されているのですか?

CHOCOさん
スタジオでは3歳からシニアの方まで教えています。ピアノベースの音楽基礎や歌ですね。作曲は以前教えていましたが、大抵ミュージシャンの人にしか需要がないのでメジャーではありません。個人的に受けてもらいたいのが英歌詞作りです。英語力もつくし、ラップの様に韻を踏む「ことば遊び」の楽しみが学べると思います。

私の子供たち3人もピアノとバイオリンを頑張っています。とはいえこれで有名になって欲しいとか、プロにさせたいとか、そういう親目線での期待や理想を押し付けるつもりはなく。
当然甘くはない道ですし、3人とも個性が全く違って普通に育ててるだけでも大変で。(笑)成長する過程で当然たくさんのものに刺激を受けるでしょうし、他にもっとやりたいことができれば、そちらも応援して見守りたいとも思います。

しゃけ
CHOCOさん自身も幼少のころから音楽に親しんでいましたか?

CHOCOさん
初めて「歌いたい!」と思ったのは、小学生が国民的トップスターに変身し歌を届けるテレビアニメ、『魔法の天使クリィミーマミ』に憧れたからです。幼稚園の卒業アルバムに、しょうらいのゆめ:かしゅ と書いてありました。(笑)
音楽家の家に生まれたので(祖母バイオリニスト、父ピアニスト、母ソプラノ声楽)幼少の頃から音楽はごく自然と身近にあったのですが、私の声というのが・・・本当にひどくて。音の割れたガラガラ声のドラミちゃんと言われていました。「この子には、声を使う仕事だけはさせられないな」と家族から言われていたような。それでも歌が好きで、気がつけばジャイアンのように声を張り上げて歌っていたと思います。

左CHOCOさんお母さま右
左CHOCOさん 右お母様

しゃけ
ジャイアン!?(笑)
インスタグラムで歌っている動画を見せていただきましたが、グレイテストショーマンの『This is me』すばらしかったです。

CHOCOさん
『The Greatest Showman』は、私の中で「個性際立つ多人種が集まり、これがわたしだ!ってオリジナリティを武器に舞台に立つニューヨーク」のイメージと重なるんです。

NYはビジネスが大変な上に家賃や物価が高いからか、どんどん店や会社が潰れたりオーナーが変わったり、ニューヨークに住み着きに来る人と、同時に出て行く人の入れ替わりスピードがすごい気がします。もともと超大金持ちだとかの例外もありますが、ニューヨークで生まれ育ったアメリカ人でも生活し辛く、自由な独り身ならまだしも家庭を持ったら本当に大変。いわゆる5 boroughs(マンハッタン、ブルックリン、クイーンズ、ブロンクス、スタンテンアイランド)のニューヨークシティでは、エキサイティングな事は日々多いですが、定住者向けというより、制限時間内で何かを掴みたいと思っている人たちのjunction pointなのかも知れません。アメリカ人でも、平均的な家庭でも生活が大変なのは当然なのですが、移民の場合や働けるビザが無い場合はさらに大変だと思います。生活というのはつまり「お金」、ビザというのは「時間」ですね。夢と情熱があれば乗り切れると自信満々だった私も、ビザ問題では完全に打ちのめされました。

私は幸いにもちょっと有名なアーティストの東海岸ツアーに呼ばれステージに立ったり、レコーディングをしたりで、ビザクレジットが集まり取得できましたが、あの当時はインターネットも普及しておらず、告知できる範囲も狭く、それなりに大変でした。その後もビザに関しては、本当にここでは書き切れないほどの挫折と自信喪失ばかりでした。その経験が誰かのためになったらと、弁護士の先生と連帯でアーティスト用ビザと言われるO1Bビザを専門に、コンサルティングや必須要件のスクリーニング、英語関係の文書など、サポートを仕事の一つとしています。
近年の移民法取り締まり強化も加わって、かなりアーティストにとって不利な現状になってきていますが、世界中から素晴らしいアーティストたちが集まるこのニューヨークの「血」を失わないためにも、頑張っているアーティストたちにはぜひここで生き抜いて頂きたいという願いもあって、ニューヨークに来た2003年くらいから様々なイベントプロデュースもしています。

しゃけ
NYにいる日本人アーティストのショーをプロデュースしているということですか?

CHOCOさん
はじめは、オーディションでピックアップした人種バラバラのパフォーマーを集めたショーを作っていましたが、今は日本人がメインです。と言っても、日本人しか出られないというような意味ではなく、日本人がアメリカ人や他の移民の前に出て堂々と主役を取れるほどの実力があることを証明するためのショーがコンセプトです。2014年からプロデュースしてきたALIVEパフォーマンスショーは、まさに「移民である自分だからこそ表現できること」として、この街を生き抜く邦人のために立ち上げたものでした。

ALIVE Performance Show
ALIVEパフォーマンスショー

日本人は気質的にシャイと言うか、perfectionistで恥をかく事を避け、頼まれた役割は完璧にこなすのに、自発的に表現することが苦手な人が多い気がします。努力家で実力がある人なのにアピールが弱く、いつもアメリカ人や他の移民たちの後ろにいるのはもったいないと思って。そういう機会の積み重ねがビザのクレジットとなり、プロのアーティストとして生き延びて行く人たちが増え、日本人アーティストコミュニティ熱い!って言われたい。アメリカ人に憧れて、アメリカ人のまねごとをしてアメリカナイズされるのではなく、「日本人らしさ」で堂々と勝負できるように。それが移民の街ニューヨークでは叶うと思うんです。

しゃけ
アピールが弱い、そうですね。私もロスに住んでいた時みんな自己主張がすごいなと感じました。CHOCOさんは昔からアピール力がお強そうですが・・(笑)

CHOCOさん
確かにアクは強かったかも(笑)高校生のとき、地元京都の河原町通にあるGRiNDというクラブのオープン記念イベントが、私のパフォーマンスデビューでした。当時、友人たちの間の流行りでヒップホップダンスをかじってみたのですが、音楽を全身で感じているうちにとてもブラックミュージックにハマりまして。歌いたいと店のオーナーに掛け合って、イベントなどに出させてもらったら嬉しい事にかなり評価を頂き。

そのうち、関西地域でのクラブ系イベントなどに呼ばれるようになりました。高校生ってことはごまかして一応20歳と言ってましたけど。(笑)その頃通っていた大きいダンススタジオの発表会では、文化会館のような大舞台で、私だけ先生たちの作品に混じって歌のソロステージをもらったり、大阪のDance Delightの準優勝チームをバックダンサーに迎え、元祇園マハラジャの場所でショーをさせて頂いたり、素晴らしい経験をさせて頂きました。一番お世話になったクラブGRiNDは、20年以上経った今でも続いている超老舗で、未だに一時帰国中にはライブに呼んで頂いています。この事があって、私はブラック系ミュージックが未だに自分のルーツだと思っていますし、ダンスがとにかく大好きで。そういう電波みたいなものを発信しているのか、周りにはダンサーが多いんです。残念ながらダンスの才能は無かったようなのですが、いつもダンサーだと間違われていました。

でも活動しているうちに、英語の歌詞もちゃんと理解できていない自分が、拙い英語で洋楽カバーソングを歌ったところで誰が感動するのか、と疑念を持ち始めました。周りからも、それって結局カラオケじゃないの?と言われ、とても悔しかったのを覚えています。ダンスは身体表現ですし、楽器は演奏表現だから、これは英語曲だから踊れないとか、弾けない!なんて事はないと思うんですが、歌は言葉が命。これを解決するには本場でちゃんと学ばないと!と思い、98年に父の知り合いのジャズピアニストが先生をされていたボストンのバークリー音楽院で夏期スクールに参加し、その後観光ビザ滞在期間ギリギリの3ヶ月間、東海岸と西海岸を一人旅しました。

中央バークリー時代のCHOCOさん
バークリー時代 中央CHOCOさん

両親はこれでほとぼりが冷めるだろうと思っていたみたいだったんですが、私は完全にこっちの世界にハマってしまいまして。「日本には帰らないのでよろしく」と国際電話で伝えました。(笑)しかしさすがにビザが切れるため一度戻って、当然NOという両親の説得と、ビザの申請や留学の準備をして、一ヶ月半後にまたすぐ渡米し、今度は一年間西海岸に住んだ後、大学入学のためボストンにまた戻りました。色々大変でしたが、私には渡米しか見えてなくて、勢いで押し切った感じです。私は三人姉弟の真ん中で、一番目が届きにくいという特権?があったからこそかもしれませんが、「お前は将来遠くに行くだろう」と昔から言われていましたし、言い出したら聞かない私に何言っても無駄だとスパッ!と諦めてくれた父母に感謝です。

しゃけ
そしてNYへ?英語の習得はどのようにされましたか?

CHOCOさん
バークリーには日本人も多く、音楽という同じ道での目標がある者同士でとても仲良くなって、未だに繋がっている人たちもいます。英語習得は初めのころ結構ストリクトに頑張りました。英語圏の人と積極的に集まったり、日本人同士でも英語でしゃべったり。バークリー音楽院を卒業したあと、2003年にニューヨークに移りました。ボストンは大学が多く「学生の街、New England」と呼ばれるだけあって落ち着いた英国風のイメージでしたが、ニューヨークはもっとギラギラとした、誘惑だらけで勉強にはあまり向いていないような。貧富の差が目に見える気がします。ドライで目まぐるしく競争意識が強いと感じるニューヨークと違って、ゆったりしたボストンでは結構あちこちで人と繋がって仲良くなったり、出演場所もコミュニティも定着しやすかったですね。

また、母が俳句家である影響なのか私は言葉の世界がとても好きで。通訳や翻訳、大学入試のTOEFL講師などをしていましたので、英語に関しては仕事上必要で学んで行った気がします。
また、普段から英文を読んだり作詞も好きなので、あまり専門的に勉強したり苦労した記憶はなくて、好きで嗜んでいった感じです。歌っている以上さすがに発音に関してはちゃんとしないとと思っていますが、本当は言葉の壁ではなく、心の壁、文化の壁ではないのかなと思っています。異国について調べたり相手と心を通じ合わせるのに、言葉は一番身近で便利なツールですが、言葉自体が問題になるってことは、考えてみたらそんなにないと思うんです。

相手の言ってる事が分からなかったり、こちらの言う事に耳を貸してもらえない時って、どちらかが「聴こうとしていない」だけ。特に移民だらけのニューヨークでは、ものすごい数の外国語(英語以外)が飛び交います。たとえ自分が流暢でも、向こうが分かってくれない事も多い。英語に関するお仕事をしているならまだしも、生活に関しては完璧に英語が話せる必要はない。
相手を敬って、理解してもらう努力、心を通い合わせるのが一番大切だと思います。

しゃけ
まだまだNYを離れたくはないですか?

お父様とCHOCOさん
ピアニストのお父様とCHOCOさん

CHOCOさん
考えてみれば、私は自分の人生でニューヨークでの生活が一番長いんです。宮城で生まれ、幼少の頃は大阪と京都で育ち、西海岸に少し住んだ後、ボストンの大学に行き、その後ニューヨークに来て16年目。子供たち三人もニューヨークで生まれ、来年長男はハイスクール、長女はミドルスクール(中学校)へ。仕事や活動も主にニューヨークでの地域性が関わっていますし、やはり簡単には動けないだろうなと思います。でも最愛の父になかなか会えないことが本当に本当に辛くて。(涙)

日本人にとってみれば、日本に住めばもちろんビザの心配がないし、高額なこっちの保険と違って所得に合わせた制度が利用できる。子供の保育園でもこちらでは月2000ドル掛かるようなところもあるし、ベビーシッターや習いごとなどの教育費の相場も割高。私は日本での就労経験がなく、20年以上日本に住んでいないので、日本の皆さんが実際に抱えていらっしゃる大変な部分が見えてないかもしれませんが、日本人にとって日本の安定した国民のシステムを利用できるのがごく自然な事で、そういう「移民」扱いの圧迫がないのは素晴らしいです。

それに、日本食のおいしさは驚異的。お米一つ、お茶一つとっても、味が繊細でいつも感動。ですが、それ故にこちらに戻って来たときはこっちの大味に慣れ戻るまで辛くて。変に舌が肥えるのって良いことなのか分かりません。(笑)

しゃけ
何でも美味しく食べられる(ある意味鈍感な)舌をもつ方が幸せかもしれませんね。(笑)
今後はどんなイベントの予定がありますか?

CHOCOさん
ちょうど先週、私のポストバースデーソロライブを終えたところで、オリジナル10曲を完全ソロで弾き語りをしました。次は、12月22日(土)にハーレムの老舗ライブハウスでホリデーチャリティショーを主催するので、今そのための曲を書いています。今度はミュージカルアクターやダンサーを巻き込んで、子供から大人までホッコリ楽しめるようなイベントにします。前述した、被災地復興支援のクリスマスカードプロジェクトの一環でもあります。皆で集まって、幸せなホリデーシーズンに笑顔を残したい。日本のみなさんにその笑顔を伝染させたい。

来年の夏はまた2ヶ月間一時帰国をして、今年の夏にライブや講演をさせて頂いた地元京都をはじめ、奈良、名古屋、神戸、東京、そして生まれ故郷の宮城と福島にも戻りたいと思っています。私は日本人なのに日本について知らない事がとても多いので、叶うなら他の地域にも足を伸ばしてみたいですね。
子供たちの日本語の勉強も兼ねていますし、彼らには自分のルーツである日本についても学んでもらいたいです。

音楽は一生楽しめるものですし、私自身がそうであったように、大変な時には音楽が寄り添って救ってくれるものです。
私の作った曲を好きと言ってくれて、もっと歌って!と言ってくれる子供たちに支えられていますので、子供たちに恥ずかしくないよう私も学ぶことを怠らず、成長し、活動して行きたいと思っています。https://www.patreon.com/ny1page?fan_landing=true

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