NYで活躍中の女優「米倉裕子」

ニューヨークのOff-Off Broadway「沓掛時次郎」で、おきぬ役を演じた女優米倉裕子(Yonekura Hiroko)さんに、
しゃけがインタビュ~!!NYで女優をしている理由ときっかけ、NYで生き抜く術についてお聞きしました。


福岡県出身。 劇団四季退団後渡米。Black Nexxus(現The Susan Batson Studio)にてロベルタ・ウォラック氏に師事。

出演作品:「エルリックコスモスの239時間」,「The Lion King」(東京・大阪・福岡),
沓掛時次郎The Flea Theater,「Kiss Me, Kate」HAFT Theater 他多数

しゃけ:
「沓掛時次郎」の千秋楽を終えたということで、インタビューを承諾していただきありがとうございます。おきぬ役はいかがでしたか?

米倉さん:
「おきぬ」は2年前のステージリーディング、去年のスタジオパフォーマンス、そして今回の本公演と演じさせていただいたのですが、
毎回新しい発見があって自分の中で役が育っていくという感じがありました。
「おきぬ」は自分の亭主を殺した相手、時次郎と旅に出て、彼に思いを寄せるようになるという役柄。
周りの俳優陣がどんなにいいお芝居をしても
私がお客様を信じさせることができなかったらストーリーが成り立たないというプレッシャーを感じながら、
自分がやってきた役作りを信じて演じました。

この役は本当に大好きな役なので、「絶対誰にも渡さないっっ!!」と言い続けていました。また「おきぬ」を演じられる日が来るといいなぁと思っています。

しゃけ:
女優になることは子供の時からの夢でしたか?

米倉さん:
小さいころの夢はいろいろありました。漫画家、コメディアン、歌手・・でも女優は考えていなかったです。でも、3歳からバレエを習っていました。まぁ、これもひょんなことから習い始めたんですが・・
母が、ある日、「裕子ちゃん、何かやりたいコトな~い?」と聞いてきたんです。
Photos by Liam O’Brien
有り余っているパワーをどこかで発散させようと考えたようで。とってもお転婆娘だったので母は毎日怪我をしないか、
と心配していたんだと思います。

私はそのとき、「バレー」と答えました。・・・そう・・「バレーボール」のつもりで言ったのですが。連れて行かれたのはクラシックバレエの教室でした。途中で「何かが違う・・」とは気がついたんですけどね。踊ることはとっても楽しくて好きになり、今でも踊り続けています(笑)。

Photos by Liam O’Brien

女優になるのが夢!となったのは高校2年生の時です。
福岡市内で上演されていた「CATS」を友達に誘われて観に行ったのがミュージカルとのはじめての出会いでした。
ミュージカルを観に行くなんて、最初はあまり乗り気ではなかったんですけど。
でも公演終了後には「私はミュージカル女優になる!劇団四季に入る!」と、将来の夢がはっきり決まっていました。
それほどすごい衝撃でした。

劇団のオーディションは4回くらい受けました。
初めは書類審査で落ちて、その次からは書類は通ったんですけどなかなか本選は通りませんでした。
私たちの頃はオーディションが年に1回しかなかったので、それはもう必死でした。

オーディションは歌・ダンス・お芝居・研究生と4つのコースに分けられていて、
自分の得意分野でオーディションを受けることができました。
私はダンスがわりと得意だったのですが、私くらいのダンサーではきっと落とされると思い、研究生として受験しました。

当時、研究生は年齢制限が25歳だったんです。25歳になる年に「これで最後か??」と思いながら、また研究生として書類を提出したのですが、劇団側から連絡があって演技コースで受けることになりました。
ほとんど演技の経験もないのにですよ(笑)

オーディション当日は・・あまりにも昔のことで記憶も定かではないのですが、
確か事前にもらっていた台詞のプリントを手にして受験することができたので比較的落ち着いて台詞を言うことができたように記憶しています。結局、合格したのは研究生としてだったのですが、入ってしまえばこっちのものです!!劇団に入ってからはダンサーとして扱われるようになりました。母の勘違いから始まったのですが(笑)、母には感謝しています。

 

 

 

幼稚園生の頃 左端が米倉さん

しゃけ:

最近「ブラックスワン」という映画を観て、舞台裏って怖い!と思っている私ですが、劇団四季の舞台裏はいかがでしたか?

米倉さん:
「ブラックスワン」は私も見ました。劇団四季とは全く違いますね~(笑)。劇団と言っても、その中にいくつものカンパニーがあるので、そのそれぞれでカラーが違っていて面白かったです。公演場所によっても雰囲気が全く違いましたし。公演後みんなでご飯を食べに行ったり、休みの日にバーベキューをしに海へ出かけたりしたこともありました。
ウサギ役 7歳

メンバーの誰かが誕生日の時にはケーキを買ってきてお祝いしたり、わりと和気あいあいとしていましたね~。
もちろんレッスン・稽古・本番はちゃんとやっていましたよ。メリ・ハリは大事ですからね。
先輩・後輩という関係は存在します。新人の頃は分らないコトも多かったので、先輩に怒られながらやっていました。
でも、団員はみんな舞台に立つことで生活がきるようになっていて、特別な上下関係はありませんでした。

アルバイトをしないでも食べていけるというのは、俳優としては本当にうれしいことです。
まぁ、アルバイトをするような時間もありませんでしたけど・・。
在籍中は「エルリックコスモスの239時間」というファミリーミュージカルと「The Lion King」の東京・大阪・福岡に出演しました。

しゃけ:
NYに来たきっかけは?

米倉さん:
NYで開催された、日本のとある劇団主催のアクティング・ワークショップを受けるためにNYに来たのがきっかけです。
ワークショップで、私のアクティングの師匠、ロベルタ・ウォラック先生に、
俳優がどのように自分の楽器(体や心)を使うかという基本の基本を教えていただきました。
ロベルタはそれまでミュージカルにしか興味がなかった自分に、
お芝居というものがどんなに面白いものかということを気付かせてくれました。
その後2回ほどNYに来たのですが、もう我慢が出来なくなってこっちに来ちゃいました!

日本では「リアリズム」を求めてお芝居をするという考えはあるのですが、
それに到達するまでのメソッドやらテクニックやらを教えられる人というのが本当に少ないんです。
ロベルタの他にもたくさんのいい先生と出会い、今も毎日勉強しています。終わりはありませんね。

しゃけ:
日本とNYの違いはどんなところですか?

米倉さん:
日本にいるとどうしても他の人と一緒であることで安心してしまうので・・
私、チャレンジしていくのが好きなんです。少しでも少しずつでも自分を磨いていきたい。それができる街なんですよね。
それにNYにいると年齢を気にしなくていい!!(笑) おかしいかもしれないですけどね。
でも日本って若いほうがいいみたいなところがあるでしょ?
若いことは素敵なことだけど、だからって年を取ることが悪いことではない。
「もういい年なんだから・・」と言われないNYは私にとって自分にブレーキをかけずに何でもチャレンジできる場所なんです。

しゃけ:
言語や文化の違いで大変なことはありますか?

米倉さん:
まず、自己主張をはっきりとしないと生き抜いていけないと思います。本当に強くならなくちゃならないとは思いますね。
年齢がいってからの留学でしたから柔軟性に欠けたというか・・基本的にはシャイなので、英語には苦労しています。
最近は何でも話せる友達ができてかなり激しいケンカもするようになり、進歩したな~と我ながら思ったり(笑)。
アクティングと一緒で、「自分の思いを伝える」というのが一番大切なんだと思いました。

NYでは、知らない人同士も友達のように話しはじめる、ということにとても驚きました。
「あれ~?この人たち違う駅から乗ってきたよね・・確か・・」みたいな。
英語だけでなく、スペイン語も中国語も飛び交っています。日本人も多いので、日本語も使います。

それから歩行者は信号を完全に無視しているのが普通で、警察官が近くにいてもお構いなし。彼らも何も言いません。
日本に帰った時は信号無視の癖が出ないよう注意しないと・・。

ショーの日程を組む時は、宗教的な行事と重ならないかをチェックする必要があります。
家族での時間や宗教をとても大切にする人たちが多いので、うっかりショーの日程を
何かのホリデーのさなかに持ってこようものなら劇場はガラガラになってしまうんです。
特にユダヤ人さんのホリデーは日本人の私は忘れがちになるので気を使っています。
いろんな人種の人たちが住んでいますから、とにかく刺激が多いです。

でも、私もこのごろは大抵のことでは驚かなくなってきたかな・・。
自分が毎日変化していくのを楽しめているのかもしれません。

 

Photo by Liam O’Brien

【関連サイト】
米倉裕子さんのブログ

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