しゃけの美味しい留学・海外滞在情報~米系ホテル勤務を終えて日本帰国を決意したヒロミさん

留学・海外滞在体験インタビュー第2回目は私と高校3年間を一緒に過ごしたヒロミさんです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒロミさん略歴 
1976年 誕生 
1995年(18歳) 沼津西高等学校 卒業(静岡県) 
1997年(20歳) 東洋女子短期大学 卒業(千葉県) 
1997年(20歳) エステサロン勤務(東京) 
1999年(23歳) アメリカ テキサス州 ヒューストン 語学留学 
2005年(28歳) Houston Community College 卒業 
2007年(30歳) University of Houston 卒業 
(学生時代はウエイトレス、ベビーシッターのバイトで授業料、 
生活費に当てていました。) 
2007年(30歳) 日系旅行会社勤務(ヒューストン) 
2008年(31歳) 米系ホテル勤務 (ヒューストン) 
2008年(32歳) 帰国 

しゃけ:
お帰り~!!
10年ぶりに日本に帰ってきた気分はどう?

ヒロミさん:
ただいま~!
いや~、日本は楽だね~気分的に!
でも、不安もいっぱいだよ。

しゃけ:
帰国したのはビザの関係でしかたなく?

ヒロミさん:
その通り、よくわかったね~。夏の一時帰国でビザを拒否されたの!
したがって、持っていた滞在権もなくなりました。(苦笑)
アメリカでは「え~っ?!!」って予想外な事はよくあるので、またやられた・・と思ったよ。
でも、拒否される筋合いは無いので(笑)弁護士を通して、再面接の要求は出させていただきました!

しゃけ:
ではこの先どうなるのかはまだ未定なんだね。

ヒロミさん:
う~ん。帰国前は「私、日本で生きていけない。」なんて弱気だったけど、
生きていけます私。だんだん慣れてきたよ。今は日本で暮らすつもり。まず仕事を見つけないとねっ。

しゃけ:
ところでなんでまた留学先にヒューストンを選んだの?

ヒロミさん:
私は寒いところが苦手な為、とにかく寒くない!そして、日本人がいない!!が希望だったの。
日本で短大を卒業後2年間働いた頃、ヒューストンに留学していた方と知り合い、ヒューストンは寒くなく日本人が少ないと。それでヒューストンに決めたの。

しゃけ:
着いたときの印象はどうだった?

ヒロミさん:
学校初日に思ったのは、日本人がいない!良かったけど、困ったな~。(笑)
日本人は少ないとは聞いてはいたけど、短大時代にホームステイをした時に学校中日本人だらけだったから、いないといってもいるだろうと。いない事に驚いたよ。

しゃけ:
そうか、本当に日本人がいないんだね。牛はいるんでしょ?

ヒロミさん:
(爆笑)牛も馬もアルマジロもいるよ。
ヒューストンはアメリカ中南部テキサス州にある一番大きな市、NASAがある所。
何でもかんでも大きくて広くて、車が無いとどこにもいけなくて、広大な牧場があったり、高層ビルがあったりと都市と田舎が一緒になったような場所。
夏は暑くて耐えられないと人は言うけど、私は好き。

しゃけ:
友達はすぐにできたの?彼氏は?

ヒロミさん:
私もそこが不安だったけど、意外と友達とかすぐできたの。クラスメートがみんなフレンドリーで。いろいろな国の友達ができて、テレビで他の国が映ると○○ちゃんの国だ~。と親近感。
もう1つの言語を話すようになっただけで世界中の人とコミュニケーションが取れる様になるなんてお得な誤算だったよ。
ちなみに彼氏はアルゼンチン人。

留学してすぐ知り合って、1年後くらいに彼氏に昇格しました。(笑)

しゃけ:
英語はやっぱり世界共通語? 今は海を隔てて遠距離恋愛中なのね。
差別や悲しかったこと、大変だったことは?

ヒロミさん:
悪意のある差別はあまり感じなかったかな。本人目の前にしてあからさまにしないのかも。
又は、されたのを覚えていないだけかもね。

悲しかった体験は祖父が亡くなりそう。という事に気づいてあげられなかった事。
長 い夏休みに入り、帰国しようと安い航空券を探してたの。 でも、帰国日の2日前に祖父は亡くなり、お葬式にも間に合わなかったの。で、亡くなってから厳しい状況だった事に気づき、こんな事になるなら航空券の値段 なんて気にしなかったのに!!とすごく後悔して、今でも申し訳なくって。

5年後に祖母の具合が悪くなった時は、両親の大丈夫だから。という言葉を信じず(笑)すぐ航空券を手配。
私が日本に着いた日に祖母は亡くなったけど、お葬式にも参加でき、見送る事もでき、今回は出来るだけの事はやったので後悔は残らなかった。

しゃけ:
そうかー。すぐに帰れる距離じゃないもんね。お金に苦労はした?

ヒロミさん:
経済的には大変だったよ~。(苦笑)
学生時代は、ウエイトレスやベビーシッターをして学校と両立をしてたんだけど、
それでも、私は恵まれている方だと思っていたからそれほど苦ではなかったかも。
日本での短大時代、授業料もアパート代も生活費もはたまたお小遣いまでもらっていたのが異常だよね。
アメリカのほとんどの学生がすべて自分で払ってて、国に仕送りをしている留学生もいるし。
子供のいる学生とか、仕事をフルタイムでやってる人とか、 そんな中にいれば、私だってがんばるしかないでしょ~。

しゃけ:
そうかー。そこが日本の大学生たちと感覚が違うね。

「自分の稼いだお金で大学に通う」そうすれば、勉強にも真剣になるよね。
アメリカ滞在中、一番思い出に残ったことはなあに?

ヒロミさん:
心に残っている出来事は2005年のハリケーンリタと2008年のアイクかな。

リタの時は上陸の2日前から学校も閉鎖になり、私は彼氏の家族と西へ避難したんだけど、
とにかく大渋滞で携帯もつながらず、どこのお店も閉まってて、トイレにも行けないし、ハイウェイ上は犬の散歩やピクニック(?)をしている人やら、普段では考えられない光景で。
途中から反対車線も逆走出来るようになり、それでも通常なら3時間もあればつくヒューストンの西のサンアントニオに16時間かかって、みんなぐったり。
幸いハリケーンは上陸と同時に小さくなり2泊3日の楽しい旅行で終わったけど、彼氏の愛犬に2つ面白い発見があったの。
1つ、冷たい水しか飲まない。車に水を確保してあったんだけど、それは飲まないの。わがままだよ~。
2 つ、階段は苦手。 こういう状況とはいえ、大きな犬が嫌いな人もいるよね、とホテルではエレベーターではなく非常階段を使おうとしたの。したら4本の足が絡まる絡まる。階段 は初だったらしい。彼氏が抱えて上りました。全く、手がかかる。おりこうさんな犬だと思ってたのに~。

アイク上陸時は日本にいたんだけど、3日後にヒューストンに着いて散乱している市内にビックリ。 500万戸が停電になり、10日後にも36%は復旧せず2週間くらいで電気が復旧した人が多くて、 日没後の電気のない地域は本当に真っ暗でこんな暗闇世界は初めての体験。
夜 間は外出禁止令が出てて、全米4位の都市で信号機も作動していないのに混乱も無く、料理も出来ない、冷たいシャワーしかない、冷房もない、インターネット も使えない、6時の日没から日の出まで何も見えないのに、みんな落ち着いていたのには驚いた。 みんな、いい人~。って思ったよ。

しゃけ:

わ!映画の中だけの話だと思っていたけど、そういうことが実際あるんだねー。貴重な写真もありがとう。
日本に帰りたい!!と思うことはなかったの?

ヒロミさん:
ホームシックは無かったかも。
でも、家族とか友達が遊びに来て、空港で見送る時が一番寂しいと思う時で、いつも泣きながら家まで帰ってた。
自分でアメリカに来たから普段はホームシックを感じないけれど、置いていかれる立場は嫌みたい。勝手だよね。

しゃけ:
恋しくなる日本のものってなーに?

ヒロミさん:
やっぱり温泉だな~!

しゃけ:
今後はどっちで暮らしたい?

ヒロミさん:
日本も好きだし、アメリカも好きだし。どちらもいいところあり大変な事もあり。今は流れに任せて、日本で暮らしていくつもり。

しゃけ:
10年後の日本を10年前の日本と比べて、なにか変化してた?

ヒロミさん:
10年前と比べると、公共の駐車場などに障害者用の駐車スペースが出来始め、 車椅子の方などを外でよく見かけるようになったな~ってこの頃思う。
でも、健常者を中心に建てたような公共のスペースをもっと改善し、すべてのコンディションの人々が安心して外出できるような街づくりを考えるともっと良いと思う。
健常者が障害者用の駐車スペースに駐車したり、点字の上に自転車を駐輪したりよく見るもん。厳しく取り締まるべき。 そうすることによって、健常者は障害者の事に気づいてあげられるのでは。

しゃけ:
ふむふむ。確かにそうだね。
留学したことを後悔したことはない?また学んだことは?

ヒロミさん:
行って後悔なんてこれっぽっちもないよ。行かなかったら今頃も行きたいけど~なんて毎日思っていたはず。
でも、行く前はぐずぐずしてたよ~私。(笑)行きたいけど怖いよ~。みたいな。
そんな時に仕事先の先輩に今行くべき!!とはっきり言われ踏ん切りがついた。

学んだことは、
無理だと思う事はたいてい無理ではないということ。
私の思う常識はみんなの常識ではないということ。
でも、意外にみんな一緒じゃん、という事。

しゃけ:
おお!なんだか高校時代と印象が変わったな~。
この写真なんてすごく頭よさそうに見えるしね!!(私とヒロミさんは高校時代、最下位争いをしたこともあったり)

ヒロミさん:
(爆笑)そんな事ここで言わないでよ~!

しゃけ:
ははは。
いや、でもだからこそ、今英語ぜんぜんできないけど、海外行ってみたいな、と思っている若い子たちに、激励の言葉をどうぞ。

ヒロミさん:
わかりました・・。

<<行きたいのなら行くべきです>>
遠慮することはありません。
行くと決めたら後は方法を考えるのみ。
方法はいくらでもあります。 私は恐る恐る留学しましたが、決断してよかったと思っています。

しゃけ:
すごい!力強いお言葉をありがとうございました。
では仕事探し、がんばってね。

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