絶え間ない川の流れのようなゆったりとした旋律が通り過ぎたかと思えば、鋭い音の飛礫が息つく間もなく押し寄せる。
波のように寄せては返す音のリズムに体を揺らせ続ける人、微動だにせずステージを釘付けになる人、そこにいるだれもが食い入るように彼らの演奏を見つめる。
大地に轟くような弦の震え。水底に漂うような音色は望郷の念を刺激する。
変幻自在の三味線の音色が、ニューヨークの夜を幻想の世界にいざなった。
YOSHIDA BROTHERS US TOUR 2010ニューヨーク公演が8月3日Highline Ballroomで行われた。
2003年の初の海外ツアー以来、アメリカだけでなくヨーロッパ、アジアなど世界中で公演を続ける吉田兄弟の8回目の全米ツアー。
ボルチモアで開かれた日本のサブカルチャーを通した国際交流イベントOTAKON 2010での公演を大盛況のうちに終えたばかりの8月3日(火)、
ニューヨークライブを数時間後に控えた吉田兄弟の津軽三味線への思いと、ツアーへの意気込みをインタビューした。
「今まではアメリカの音楽性にあわせた激しめな曲目が多かったのですが、
今回はより三味線の魅力を引き出すためにフレーズを大事にした民謡性の濃い内容になっています」(弟・健一)
すでにヨーロッパやアジア、世界各国での公演を成功させれいる吉田兄弟に、日本の伝統芸能を演奏するうえでの各国の反応の違いをたずねてみた。
「日本では型がきまっているというか”ここで拍手がくるな”とだいたい予想ができるんですが、アメリカではそれがまったくといっていいほどないですね。
ジャズの国ならではの反応というか、観客のみなさんがとても自由な聴きかたをしてくれます。一方、ヨーロッパではクラッシックというか、
伝統音楽を聞くという姿勢で臨んでくれているようです。逆にアジアではアイドルのような扱いで声援がものすごい」(兄・良一郎)
アメリカでは日本の県と同じで州ごとにそれぞれ違った反応があるのも醍醐味だという。
「津軽三味線はもともとアドリブの要素が強い楽器なので、反応が予想できないぶん逆に演奏しやすいということもありますね」(健一)
幕末・明治から大正にかけて青森県津軽地方で独自に発達した津軽三味線。
起源は諸説あるが、新潟地方の瞽女(ゴゼ)の三味線音楽が日本海を通って現在の青森県西部にまで伝わった。
やがて「坊様(ボサマ)」とよばれた盲目の門付け(カドツケ)たちが、風雪吹きすさぶ厳しい環境のなか、生活の糧を得るために日々演奏の腕を競い会う中で、
北国の哀切をはらんだ音色とともに、即興性の強い、テンポの速い奏法がうまれた。
地唄などの伴奏として唄を引き立てるために使われる三味線とは異なり、独奏での弾き手の表現やオリジナリティが重視される津軽三味線。
吉田兄弟の繰り出すダイナミックで雄々しい音色や演奏スタイルは、一見するとまったく関係のないような現代音楽であるロックの魂を思い起こさせる。
「特に僕らの音には生まれ故郷である北海道の色が濃く現れていると思います。僕らが育った登別というところは、
海も山も川も雪も、北海道を代表的する自然がすべてあるところなので」(良一郎)
「ジミ・ヘンドリックスに似てると言われることがありますが、意識したことはありません。子供のころずっと聞いてたのもロックというよりはJポップが多かったですし。
ワールドミュージックなどをを聞くようになったのもデビュー後です。純粋にかっこいいと思えるものを追求してきた結果ですが、
似てるといわれたり不思議と共通するところがあるのは、三味線という楽器が日本だけでなく、世界の音楽の中の一部であるという証拠だと思います」(健一)
ピアノやストリングス、和太鼓など和洋さまざまな楽器と共演、”日加ハイブリッド”のロックバンドMONKEY MAJIKとコラボレーションをはかるなど、
純邦楽の枠内にとどまらず、あえてリズムも音階もまったく異なる洋楽とのセッションを重ねることで
和楽器としての三味線の魅力を存分に発揮させることに成功している。
「三味線にはコードというものがなく、譜面もまったく違います。三拍子や四拍子など洋楽のリズムに合わせるのにはじめはかなり苦戦しました」(良一郎)
「アンダーグラウンドでしか見られなかったものを、玄人のみといった狭い範囲だけじゃなく、多くの人にも見てもらえるようにしたいと思っています」(健一)
健一の、鬼気迫る演奏。狂ったように三味線をかき鳴らす、激しくも流れるような旋律。
「パット・メセニーというジャズギタリストがいます。ソロ、トリオ、グループなんでもできる人なんですが、僕もいずれは彼のようになりたいと思っています。
たとえば三味線ひとつですべてを聴かせられるような。結局はそれが究極のものだと思うので」
常に革新的な挑戦を続ける吉田兄弟と、貪欲に音の可能性を開拓し、
緻密に計算された完成度の高い作品を打ち出し続けているボーダーレスなアメリカ人ミュージシャン、パット・メセニーは、
根底の部分で共通する部分がいくつもある。
一方で、楽しげに身体の一部のようになった三味線を叩き弾く、雄々しく躍動するような良一郎のプレイを見ていると、こちらまで祭りに参加しているような気になる。
その演奏スタイルが確立されるにはあるきっかけがあった。
「都内にある民謡を聞かせる店で住み込みで演奏をしていたとき、自らのスタイルに行き詰まったことがあったんです。
民謡を知り尽くしたお客さんからの厳しい意見などもあり、先が見えなくなっていた。そんな時、太鼓奏者の林英哲さんの演奏をみたんです」(良一郎)
大小さまざまな太鼓を使用し、ロックやジャズなどとのジャンルを越えた共演を通して、かつてない斬新な表現を確立している太鼓奏者の第一人者・林英哲との出会いは、
伝統楽器の津軽三味線奏者として袋小路から抜け出せずにいた良一郎に新たな扉を示した。
「まっすぐ前を見て、背筋をピンと伸ばして演奏しないといけないのを、体を揺らして、感じるままに演奏してみたんです。
すると”いいね!”言ってくれる新しいお客さんが増えはじめたんです」(良一郎)
「時代にあった新しい伝統を見せていく。僕らが新しくつくるというのではなく、三味線が本来持つ要素、引き出しを新たに開けるという感じですね。
”こうじゃないといけない”というのがないところで勝負したい。”これはあり”、”これはなし”とはじめから決めつけるのではなく、
それは聞いてくれたみんながジャッジすることだと思います。僕たちが今やっている音楽がもしかしたら50年後100年後に伝統として残っているかもしれない」(健一)
ブルースをおもわせるようなナンバーを聴いていると、インタビューでも語ってくれたとおり、三味線が日本だけでなく世界のひとつの楽器なのだと納得させられる。
夜の海にしっとりと沈み込むような「朧(おぼろ)月夜」。
長い異国暮らしで耳にする三味線の音色はどこにいても無条件に帰るべき場所はかならずあるのだと思い出させてくれる。
ライブ終盤、「津軽じょんがら節」を吉田兄弟それぞれのアレンジで披露すると、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。
あらゆる人種と文化、価値観が入り混じるニューヨークで、
和楽器・津軽三味線の可能性と伝統を切り開き続ける吉田兄弟の底知れぬパワーを世界に見せ付けた一夜となった。
(インタビュー:Yoshiko Sakamoto)
【関連サイト】
●吉田兄弟オフィシャルサイト
●Yoshida Brothers (USA) Domo Music Group