踊ることは生きること!エミー賞キッズ部門授賞式エキシビションで「フラッシュモブ」に参加!NYのダンサー、Yuka Ogawaさん

Yuka Ogawa Instagram
福島県出身 ニューヨーク在住
ダンサー、パフォーマー、ダンス講師、振付師、ソムリエ

9歳 福島のダンススタジオ、ダンスファクトリーKマニフィックに通い始める
14歳 ラボ国際交流のホームステイプログラムでサウスダコタ州へ
16歳 オーストラリアへ 高校の交換留学生
2007年 19歳 短期でNYへ 
現地でストリートジャズに目覚める
2011年 地元福島で地震を経験
福島復興支援のダンスパフォーマーとして活躍
同年 10月、Broadway Dance Center NYCの留学生として再び渡米
在学中に、同校の講師Michelle Barberのアシスタントの一人として抜擢される
2014年 日本に帰国し、ダンサーとして福島県に復興支援活動に積極的に参加
ダンス講師・振付師としては、福島県立橘高校ダンス部、ダンスファクトリーKマニフィックにて指導
2015年Peridance Capezio Centerの留学生として再び渡米
2019年ソムリエの資格を取得
現在はダンス学校でトレーニングを受けながら、人気講師Chioのアシスタントを務める
NY在住10年目 ダンス歴25年

しゃけ:
ニューヨークをダンス留学先に選んだ理由を聞かせていただけたら嬉しいです。初めてのNYはいかがでしたか?

Yukaさん:
ブリトニー・スピアーズのダンサーに憧れてアメリカに来ました!彼女のバックダンサーをしていたブライアン・フリードマンが大好きです。ニューヨークを選んだのはダンス学校の留学プログラムに参加する為です。

初めてニューヨークに来たのは19歳の時でした。高校時代にオーストラリアへの留学体験があり、海外も英語も大好きだ!私は世界で活躍するんだ!と何の不安もなく自信たっぷりで、「さあ、友達作るぞ」という気持ちでニューヨークに一人で来ました。

でもその日はあいにく大嵐。私は雷が苦手で。怖くて泣き出しましたね。2007年でしたから、まだ携帯電話がそんなに普及していなくて、Wi-Fiも繋がらなかったのです。

住む家にたどり着くことはできたのですが、一緒に暮らすはずのルームメイトが出かけていて独りぼっち。ニューヨーク初日は一人で泣いていた思い出があります。完全にパニックになっていましたね。

次の日には落ち着いて踊り始めましたけど(笑)

しゃけ:
わお!立ち直りが早い!

Yukaさん:
不思議ですが、大抵のことはダンスで乗り越えられます!この境地に来るまでには時間がかかりましたけど、今はそんな感じです。むしろダンスがなくなったら生きていけないかもしれないですけどね(笑)

しゃけ:
幼少期からダンスが好きだったのですか?英語は得意ですか?

Yukaさん:
9歳からダンススタジオに通いだしましたが、後ろでひっそり踊っていたような、目立たないタイプの子どもだったと思います。ダンスの先生から「ゆかちゃんがダンスを続けるとは思わなかった」と言われたことがありますが、今も講師として通わせていただいています。

幼稚園生時代に英語を教えてくれたALTの先生が大好きで、英語は楽しい!私に合っている!とは思っていました。英語が通じた時の感動が大きかったと思います。暗号のようでワクワクしましたね。英語劇で演技をしたこともあります。

ダンスも暗号のような感じで、伝わる人にはこちらのメッセージが伝わるんですよね。観客の方の気持ちもダイレクトに伝わってきます。この快感!(笑)

しゃけ:
言葉を使わないのに通じる楽しさですね!得意のジャンルはありますか?

Choreographer: Nobuya Nagahama

Yukaさん:
ジャズやヒップホップでダンスを始めました。好きな音楽はハウスミュージック、得意なジャンルはストリートジャズです。ニューヨークでストリートジャズに出会った時は、「これだ!」と思いましたね。

「フラッシュモブ」にも出会いました。

街中などで急にみんなが踊り出すドッキリのようなパフォーマンスがありますよね。派手にプロポーズする時に仕掛け人達が集まって、踊ってサッと消えるみたいなパフォーマンスが「フラッシュモブ」です。

当時、ダンス学校在学中にお世話になっていた、Derek Mitchell先生に誘われて、たくさんのフラッシュモブの企画に参加させていただきました! 特に国際エミー・キッズ賞(International Emmy Kids Award)の授賞式でのエキシビションとしてフラッシュモブに参加した事は貴重な経験です。

舞台のお仕事にも声をかけていただく事が多くなったので、アーティストとしてニューヨークでダンスのお仕事をしていきたいと思っています。

しゃけ:
日本では福島の復興支援のダンスパフォーマンスをされていたのですね。

Yukaさん:
はい。東日本大震災の時には日本にいました。幸い家族は全員無事でしたが、震災後の10日間くらいは水や食べ物を確保することに必死な日々を送りました。震災後両親は職場を失ったので、明日がどうなるかわからないという状態でした。

Choreographer: Chio

その時、見知らぬ海外の方たちからのたくさんのドネイションに本当に感動しました。あたたかいメッセージや寄付にどれだけ力をいただいたかわかりません。

ただ、「Fukushima」という言葉が有名になってしまったので、放射能のことなどで海外で差別的に扱われたりするのではないか?という不安もありました。NYでのダンス学校の初日のオリエンテーションでの自己紹介の時に、出身地を言うのに緊張したのを覚えています。

私は思い切って福島県代表の気持ちで震災の時のお礼を言いました。「福島から来ました。東日本大震災の時は助けていただきありがとうございました」と。そうしたら、差別どころか、たくさんの方が優しい声をかけてくださり、ハグしてくれました。

そんな体験もあり、私がニューヨークで吸収してきたダンスが福島の復興に少しでも役に立ったら本当に嬉しいし、この感謝の気持ちをこれからも世界中に伝え続けていきたいと思って踊っています。

しゃけ:
Yukaさんの人生経験がダンスとして表現されているのですね。ワインもお好きだと聞きました。

Yukaさん:
はい。休日にはワイナリーに行くのが趣味です。趣味が高じてソムリエの資格も取得しました。ニューヨークのワイン、美味しいですよ。

いずれは自分のダンスカンパニーを持ちたいという夢がありますが、今はニューヨークで思いっきり踊りたいと思います。

Yukaさん×しゃけ音声インタビューはこちら

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