伊地知徹生(いじち てつき)Ijichi Tetsuki twitter Instagram
京都府出身 サンフランシスコ→サンタフェ→フィラデルフィア在住
レイン・トレイル・ピクチャーズ(RAIN TRAIL PICTURES)CEO
タイドポイントピクチャーズ(TIDEPOINT PICTURES)CEO
日本映画を全世界にグローバル配給
上映、配信の推進、コーディネートなどと併行し、
自作監督短編映画「ランドロマット・オン・ザ・コーナー」を完成
カルト・ムービーズ国際映画祭でBest Fantasy Short Movie賞を受賞
同作の長編映画化を企画中
著書「自主映画人ガイド」をkindle出版 twitter @IndiePro2
ツイッタースペースにて、映画界を語るルームをシネマプランナーズ社と共同で開催中(隔週日曜日の朝10時より)
しゃけさんと「映画の中の家族・夫婦・男女の描き方を検証する」ルームをクラブハウスでオープン準備予定
しゃけ:
伊地知さん、五回目のインタビューありがとうございます。前回の記事はこちらです。
「ランドロマット・オン・ザ・コーナー」の予告編を見せていただけるとのことで。ありがとうございます。ランドロマット(コインランドリー)を舞台にしようと思ったきっかけは何かあったのですか?
伊地知さん:
以前に住んでいたカリフォルニアのベイエリアやサンタフェでもそれぞれインスパイアを受けて、ここにいるならこういう映画を撮りたいというストーリーはあったんですが、行動には移せなかったんですね。フィラデルフィアに来て、映画を作らなきゃいけない環境に自分を自ら追い込んだというところはありました。
まず、僕がやりたいのはダークファンタジーとかホラー映画だな、というのはわかっていました。そしてアメリカではどこへ行っても、「自分が移民である」ということは強く感じていたのでそれを題材にしたいなと。
ブルックリンやニューヨークを歩いているときに特に中国系移民の女性にインスパイアを受けて、アメリカ移民の中でも中国人女性を主役にしたいと考えました。
それで中国系移民のことを調べていたら、「洗濯屋」というキーワードが出てきました。昔のディズニーのアニメーターの中に一人だけ中国人の方がいて、彼がドキュメンタリーの中で「洗濯屋にはなりたくない。自分のやりたいことは絵を描くことだ」と言っていたのを思い出したりして。
確かに今のアメリカのクリーニング屋でも中国系の方が経営していることが多いです。中国系移民がアメリカで手に職をつけて暮らしていく最初の一歩は洗濯屋だったのではないかな。
そこで「ランドロマット(コインランドリー)に、中国人女性の幽霊」というところにたどり着きました。
しゃけ:
キャストやクルーに日本人はいたのですか?
伊地知さん:
最初はいませんでした。100%フィラデルフィア内で作ろうと思っていたので、その中に日本人の方はいなかったんですね。しかし、中国人のコック役の香港出身の方、しかも現役のシェフが突然「出られない」ということになり、急遽コネチカットから俳優加治慶三さんに参加していただきました。
コネチカットからフィラデルフィアにはアムトラック(電車)で二時間半かかるんですけど、日帰りで二回も来ていただいて。夜の撮影だったので大変だったと思います。香港出身の方にハングリーゴースト(中国の儀式)の監修をしてもらいながら無事に撮影ができてよかったです。
しゃけ:
企画・脚本・キャスティング・予算の確保・撮影現場交渉・撮影・編集などの中で、一番熱くなるのはやはり撮影時ですか?
伊地知さん:
うん。そうですね。撮影現場では、そこにいる全員が一つのものに向かっている情熱というのかな、その空気感が最高ですね。時間も忘れてのめり込んでしまうというか、映画作りの楽しさというのを久しぶりに味わうことができました。
初めて映画を作った学生時代と同じです。やっぱりこれがやりたいんだな、という初心に戻った気分でしたね。これからどこまでできるのかが正念場ですけど。
東京に寄った際に東京での飲み仲間の金子修介監督に、監督は役者とどう付き合えばいいのか聞いたんですよ。そうしたら、現場に入ったら役者にお願いするしかないと。そしてちょっと違うなと思ったらヒントを出す、あとは役者に任せる。と話してくれました。OKが出るまで10テイクも20テイクも撮る監督もいるし、1テイクしかやらない監督もいますね。役者が疲れる前の2、3テイクからOKを出すっていうのがいいのかなあ。
シカゴの方から監督の仕事の誘いがあったりもしたんですが、コロナのリスクを考えるとちょっとね。
しゃけ:
コロナ禍で長編化への道が止まったことでkindle本の執筆になったのですね?
伊地知さん:
そうですね。本業は配給なんですけどね。今年やろうとしているのは今井正監督の「キクとイサム」というクラッシック映画のリストアと海外配給です。戦後の黒人兵と日本女性との間にできた子供(姉と弟)が日本の小さな町でおばあさんに育てられる映画です。
ダイバーシティーとか人種差別とかっていう話題が出ている今だからこそ、この映画を日本だけでなく海外に配給して広めていきたいですね。こういう映画はハリウッドでは作れないんじゃないかな。
ハリウッドで注目された日本映画って「shall we dance」とか「おくりびと」がありましたが、そのあとに続いてこないっていうのがあってね。日本の映画界の産業としての構造が古いから、新しいことが進め難いっていうのもあるんですけど、「ドライブ・マイカー」の濱口竜介監督には是非日本映画の波のきっかけを作ってもらいたいですね。
彼の大学卒業制作の「パッション」っていう40分くらいの作品は昔観ていたんですが、その演出力がすごいな、と思った記憶はあるんです。その時にその作品を購入させてもらっておけばよかったですね(笑)
ハリウッドでも人生でも、成功の仕方は一人ひとり違うんですよね。人生の道は最初からあるものではなくて、まっさらなところに独自の道を自分で切り開くしかない。振り返ったときに、ああ、自分はこういう道を歩いてきたのか、って初めて気が付いたり。そして何歳になっても、未来には夢を持っていられたらいいなあ。「ランドロマット・オン・ザ・コーナー」も2年後には長編化してたりしててね。
「メランコリック」という映画なんかもそうですが、今は主役の方が自分で演じたい役を作って、お金を集めて、人を集めて、自分で映画を作るというやり方が加速していますね。そんな中で僕の本、「自主映画人ガイド」が少しでもお役に立てたら嬉しいです。
しゃけ:
NY1pageでも、5ページにわたり連載させていただいてありがとうございました。ちょっとした自叙伝ですね。
伊地知さん:
自叙伝ね。死ぬ間際に遺書のノリで書こうかな。(笑)「日本の家族の姿」というのにずっと興味があって、特に映画の中での家族の描き方が時代でどんどん変わっていくのが面白いです。そんな話題をクラブハウスでしゃけさんとも話していけたらいいな、と思っているのでこれからもよろしくお願いします。