久しぶりの旅行記である。
映画の仕事でモントリオールに行ってきた。
そういえば子供が生まれてからこの一年、かみさんの実家のイリノイ州にクリスマスに帰った以外はどこにも行っていなかった。
仕事とはいえ、やはり旅はいい。魂のストレッチである。
今回はなんとアン・リー監督の映画の仕事をいただいた。残念ながら役者としてではない。どんな仕事をしたかはまだ撮影が残っているのでここでは言えません。
ごめんなさい。
火曜日の朝、9時45分にリムジンが家まで迎えに来るというので、早朝7時のヨガのクラスを教えた後、最後の荷造りをしていた。久しぶりの海外旅行なので忘れ物のないようにしなければ。
しかしリムジンが迎えにくるとは、やはりハリウッド映画はすごい。あの胴長のでっかいリムジンが僕一人のために迎えに来る事を想像していたが、実際に迎えにきたのは黒いSUVだった。それでもありがたい。
ラガーディア空港に着いてエアーカナダのカウンターでパスポートを機会に差し込んで搭乗券を発行する。4日間の滞在なので荷物は機内持ち込みだけで済むようにコンパクトにまとめた。
セキュリティーの列に並んでいる時にグリーンカードを持って来るのを忘れた事に気づいた。
「しまった!やはり忘れ物をしてしまった。」
僕はアメリカに在住していても日本国政府が発行した日本のパスポートを所持した日本国民である。アメリカへの出入りにはビザと同じ効力を持つオリジ ナルのグリーンカードを出入国管理局に提示しなければならない。グリーンカードは在米外国人の僕にとっては紛失したら大変なことになるとても大事なものな ので、普段はコピーだけを財布の中に入れて、オリジナルは家の中に大事にしまってある。久しぶりの海外旅行でオリジナルのカードを引っぱり出してくるのを 忘れてしまった。
「でも、日本のパスポートがあるんだからなんとかなるだろう。」 と、この時は、まだのんきに考えていた。
セキュリティーのお兄ちゃんに荷物を開けろと指示される。やはりローションのボトルがでか過ぎたか。最近は皆さんご存知のように機内へ持ち込みので きる液体は、3.4オウンス、約100ミリリットル以下である。乾燥肌なので風呂上がりの全身へのローションが欠かせない僕は、ローションの小さいボトル を洗面用具入れに入れてきた。あのボトルが200ミリリットルはあるだろう。わかってはいたが、ローションを液体と受け止められるかどうかわからなかった のでいちかばちか持ってきた。
やはりだめだった。 無情にもセキュリティーのお兄ちゃんはローションを取り上げてゴミ箱に捨てた。まあ、しょうがない。
気をとりなおして朝食をとるためにベーカリーカフェに入る。
卵のサンドウィッチを頼むとカウンターのおねえちゃんは白い四角い物体を冷凍庫から出して電子レンジで温め始めた。あれが卵らしい... もう40を越えて人生の半分を折り返したので、一回の食事たりとて、くだらない心のこもっていないものは食べたくない。
毎回食事の度に贅沢をしなければ気が済まないというのではない。質素でも手がかかった心のこもった祖食ならうれしい。ファスト・フードでさえ、アー ビーズのローストビーフ・サンドウィッチやケンタッキー・フライドチキンのような独創的なものは、時々食べたくなって立ち寄る事もごくたまにある。でも電 子レンジで解凍された冷凍の四角い卵のサンドウィッチは勘弁して欲しい。 メニューにはそれしか食べられそうなものがないので仕方がない。無理してでも家 で朝食を済ませてくるべきだった。
ニューヨークから国境を越えたカナダのモントリオールまでは飛行機で約1時間。車で行っても8時間程度である。
実はこのモントリオール、初めてではない。20年ほど前に一度行った事がある。
当時ニューヨークに渡って、二年目ぐらいの頃だった。ダンスと歌と演劇のレッスンを
週7日、夕方は週5日8時間以上レストランで働くという生活をノンストップで二年間続けていた。そんなある時、他のウェイターとのスケジュールの都 合で3日間のオフになったことがあった。 二年間ノンストップで働き続けてきたので、この辺りでバケーションをとってモントリオールへ行こうと思い立った のが旅立つ前日の夜だった。
次の早朝、飛行機代は高くてとても手が出なかったのでニューヨークのポートオーソリティー・バスステーションでチケットを買ってモントリオール行きのバスに乗った。
雪の降る一月のことである。 こんな寒い時期にさらに北に向かうような酔狂な奴は自分ぐらいだろう。モントリオールの観光シーズンはもちろん夏の暖 かい時期である。 極寒の真冬のカナダはよほどの思い入れがなくては行きたいとは思わないだろう。バスのチケットもホテルも予約なしの飛び込みだった。
しかし、初めて訪れた一月のモントリオールは本当に素晴らしかった。
雪に閉ざされたヨーロッパ調の街並はグリム童話の世界そのもののように思えた。
もちろん夜にもふらふらと出歩いたけれど、雪深い街の中を歩いている人にはなかなか出会わない。でも不思議な事にどこのレストランやバーに行っても若者や地元の人達でいっぱいだった。
真っ白な雪に閉ざされた誰もいない細いヨーロッパ調の路地を歩いているとパブの明かりが遠くから見えた。その時の僕はまるでマッチ売りの少女のよう にその明かりに吸い込まれるように向かって行った。パブに入ると地元の人達がビールを飲みながら、60年代、70年代のアメリカンロックを演奏するライブ バンドに合わせてクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルやらステッペン・ウルフなんかを大合唱していた。
20代に初めて訪れたモントリオールは今でも強烈に心に残っている。
1時間後にモントリオール空港に到着した。
カナダの出入国管理でやはりグリーン・カードの提示を求められた。 家に忘れてきた旨を正直に伝えると、係官はごく落ち着いた様子で 「わかりました、こちらの椅子にかけてお待ちください。」 と言われた。
この落ち着き様がなんだかかえって不安をかき立てる。
結局、30分ほど待たされた後、別の係官のインタビューを受けた。
僕の日本のパスポートを見てなんだかいろいろ調べた後に、
「日本国民である以上、パスポートがあればカナダへの短期の滞在でビザの提示は必要ありません。しかし、アメリカに戻るときは少し問題になるかもしれませんよ。」
ありゃりゃ...
税関を出るとプロダクションの車が迎えにきてくれていた。ホテルに向かう前にスタジオに直行する。アシスタントで今回の仕事のいろいろな事を全てアレンジしてくれたデイビッドに会って挨拶をしてからホテルに向かう。
ホテルは観光名所、オールド・モントリオールのど真ん中の小さいがシックで行き届いたホテルである。チェックインして部屋に入る。
ツアーでのホテル生活が長かったので部屋に足を踏み入れるとすぐにそのホテルの経営者、マネージメントの哲学が伝わって来るようになった。
部屋は清潔で細かいところまで行き届いている。小さな冷蔵庫、電子レンジ、小さなキッチンまでついていてキャビネットには皿やボウル、ナイフにフォーク一式が奇麗に整頓されて収まっている。申し分ない。この先、数日間この部屋が自分の空間になるのだ。
エスプレッソメーカーとお湯を沸かせるホット・ポットがある。 ありがたい。
このホット・ポットはぜひとも全世界のホテルの標準装備にして欲しい。僕はお茶をよく飲むので熱いお湯がかかせないのだ。
一度、友人の結婚式で訪れたカリフォルニア州メンドシーノの小さな B&B (ベッド・アンド・ブレックファスト、部屋と朝食を出す日本の民宿のような感覚だ) でこのホット・ポットが部屋に装備されていなかった。 結婚式の前日 のディナーでしこたま酒を飲んだので、部屋に帰ると持ってきた緑茶で胃袋を落ち着けたかった。しかし、熱いお湯が沸かせない。このB&B にはフロントデスクというものがなく、夜9時を過ぎると宿泊客だけで管理するものが誰もいなくなる。だめだとわかると余計に欲しくなる。どこかにキッチン があるはずだから、そこでお湯を沸かそうとホテル内をうろうろするが、キッチンはしっかりと施錠してあって入れない。なにかあったときのためにオーナーの 自宅である緊急の電話番号が小さく張り出してあるのでそこに電話をした。もう夜の11時を過ぎていた。どうしても熱いお湯が欲しい旨を伝えると電話の向こ うのオーナーは露骨に迷惑そうにして取り合ってくれなかった。
そんな自分本位で宿泊客無視の考え方でホテルなんか経営するんじゃねぇ!バカヤロー!! あぁ、昔の事だけど、ここで書いてちょっとすっきりした。
それに比べてこのモントリオールのホテルは素晴らしい。
冷蔵庫の中には白ワインとロゼワインが一本ずつ、キッチンカウンターの上には赤ワインとワインオープナーとクリスタルのグラスが揃っている。赤ワイ ンには丁寧に可愛らしいサインがぶら下がっていて、そこには「どうぞワインをお楽しみください。$59」とある。これには手をつけないでおこう。
誰かがドアをノックした。開けるとホテルの制服を着た男性が立っていて。
「この度は、モントリオールへようこそ。当ホテルでごゆっくりご滞在くださいませ。」と言って、きれいに飾られた金色の小さな四角い箱を手渡してくれた。
可愛らしい小さな高級そうなチョコレートがふたつ入っていた。うれしい。
午後5時にはいったんスタジオに戻らないといけない。時計を見ると間もなく午後4時になる。朝から空港で食べた冷凍ものの卵サンドウィッチしか食べ ていない。なにか食べよう。自分で定めた旅先でのルールで食事は宿泊しているホテルではしない事にしている。なるだけ街に出て地元のレストランでその土地 の食文化に触れるためだ。しかし、1時間足らずではホテルで食事するしかしょうがない。
一階のメインフロアまで降りて、レストランの中庭のテーブルに着く。
なかなかウェイターがやってこない。
あまり時間がない。急いで食事をかき込むのは嫌だ。ウェイターがやっとメニューを持ってきてまた奥に引っ込んでしまう。メニューには飲み物しか載っ ていない。食事のメニューを持ってきてくれと頼むのに更に待つ。やっとやって来たウェイターはこの時間帯はレストランでは飲み物しか出せないので食事は ルームサービスで頼んでくれと言う。この時点でもう30分ぐらいしか時間がない。あきらめた。スタジオのフードトラックでなにか食べるものを貰おう。
ロビーで今回一緒に仕事をする二人の日系人俳優と再会する。どちらもニューヨークの俳優仲間である。一緒にバンに乗ってスタジオへ向かう。スタジオ は港の工業地帯の造船工場の広大なスペースを改造してスタジオにしてある。天井にはまだ大きなクレーンなどがところどころ残っている。
今日は二人の演じるシーンの撮影はなく、衣装合わせとメイクのみである。
フ−ドトラックでサンドウィッチをもらって楽屋であるトレーラーの中で三人で無駄話をする。映画の撮影は待ち時間が長いのでイライラしてもしょうがない。待ち時間を楽しむが勝ちだ。
先週の金曜日からモントリオール入りしている二人から街のレストランや面白そうな場所の情報を教えてもらう。
午後8時、ホテルに帰る。
まだ陽が沈んだばかりで辺りはまだ明るい。まずはこの数日間の必要なものを買い出しにいこう。<執筆・写真やす鈴木>
☆次回へつづく