ピアニスト&作曲家
浅井 岳史
常にさまざまな事柄を計算し、効率よく行動する浅井にはビジネスのセンスが光る。音楽の練習一つにさえ効率の良さを考える。それもそのはず、音楽家になる前はIBMやオラクルに勤務し、他の大手IT企業からも引き抜かれるほどのビジネスマンだった。
それは、プロのミュージシャンを集めたコンサートでも同じだ。「時間単位でお金を払うので、ごちゃごちゃリハーサルが必要なアレンジにはしない。『効率のために音楽を犠牲にするのか?』って返されることもありますが、こだわりすぎた細かいアレンジは、かえって聞いている人には伝わらないことが多い。シンプルなまでにそぎ落とされた美が必要なのです」幼少期にエレクトーンを学んだこともあるが、ピアノはほぼ独学。10代のころにはビートルズの影響を受け、ギターにはまった。ロックからジャズへと移行していったが、そのうちジャズピアニストであるキース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』という全曲即興のアルバムを聞き、自分も即興演奏をやってみようと思った。このころから地元で小さなホールを借りて、チケットを売り、自分で企画したコンサートを開いていた。
「思えば、今も同じようなことをやっています。つまり中学、高校時代の時間があるころ一生懸命やっていたことに、自分本来の姿があるのではないでしょうか」
ただ、そのまま音楽の道には進まず、大学卒業後は商社マンだった父の背中を追い、国際派ビジネスマンを目指してIBMに入社した。仕事でアメリカとのやりとりもあり、そのうちにアジアパシフィックを任され、国際的な仕事もこなした。
「しかし実際は、日本にいる現地社員だったので、アメリカの社会に飛び込んでみたかった」
会社を辞め、経営修士号(MBA)を取得しようと留学した先のウィスコンシン大学で、音楽の先生に勧められジャズバンドに入った。いくつかのジャズフェスティバルで受賞し、音楽の実力を発揮。バークレー音楽院に転入し卒業するが、やはり音楽では就労ビザをとるのも難しく、再びIT業界へ舞い戻る。
2年がたち、翻訳ソフトを作る仕事にやりがいを感じ始めた。それでも定時で帰ってピアノを弾き、週末は音楽活動に費やした。
「シュバイツァーが哲学者で、医師で、音楽家であったように、一つの仕事ばかりをやるのではなく、多元的に世の中を見ていきたいのです」
残業の多い日本と比べれば、アメリカは仕事を効率よく切り上げ、アフター5は自分のやりたいことを楽しんでいる人が多い。効率を大切にする浅井は、アメリカにいることでライフスタイルにもそれを生かすことができた。
「会社を辞めて音楽の道へ進もう」と決意を固めたのは、いつものように夜遅くまでピアノを練習していたある日のことだった。
昨年10月初めてヨーロッパで演奏し、活動の場もさらに増えてきた。
「演奏していて自分で感動する瞬間があり、幸せな美しい気持ちになれます。それを聞く人と分かち合いたい。音楽を通して人を感動させることが、自分の使命だと思っています」
ビジネスマンとしての経験は、多元的に音楽の世界に反映され、これからもたくさんの人々に感動を与えることだろう。<取材・執筆 弘恵ベイリー>
【プロフィール】
あさい たけし
名古屋市生まれ。1987年同志社大学卒業後、日本アイ・ビー・エム(株)入社。6年後同社を退社し来米。97年にバークリー音楽大学ピアノ科を卒業し、翌年トランスパレントランゲージ社入社、同年にCD『Somewhere
in the Universe』をリリース。2001年Oracleに勤務しながらボストン、ニューヨークを拠点に演奏活動をする。6年後、音楽家としてニューヨークで独立。アジア、ヨーロッパで音楽活動を展開している。デジタル・プロダクション、ブロードウェー音楽、映画の作編曲など多方面で活躍中。www.takeshiasai.com
Takeshi Asai New York Trio が新年2月に新しいCDをリリース!
NYの精鋭ミュージシャンと結成したピアノトリオは、リリース前から注文が入るほど
ヨーロッパでもアジアでも評判を得ている。
