アメリカの人に美味しいお酒を~Shinobu Kato at Kato Sake Works

「酒蔵にお酒のテースティングに行こう」そんな知人の誘いでブルックリンに足を運んだ。前に記事にしたことのある Brooklyn Kura のように近代的でお洒落な感じの酒蔵が またできたのかなと思いながら L ラインのモーガンという駅で地下鉄をおりた。グーグルマップを頼りに店まで歩く。思っていたような洒落た店がある雰囲気はあまりない。気づくとマップの青い丸がお店を越している。酒蔵を見過ごすなんてあるかな、と思いながら来た道を戻る。青い丸が地図の終着点まで来た。ここが酒蔵?と思うくらいこじんまりとした店だ。中に入ると小さなカウンターの後ろから「ようこそ!」とエバンというお兄さんが迎えてくれた。その日の参加者は5人ほど。即お酒の飲み比べに入るのかと思いきや、ウェルカムドリンクのあとはお酒のミニ講義。スライドを使ってお酒造りの工程や種類などをわかりやすく説明してくれる。3種類のお酒の飲み比べもし、お酒について少し詳しくなったかな、なんてちょっと得意な気分で帰途に就く。アメリカの人達にもっとお酒のことを知って気軽に楽しんでもらいたい、ブッシュウィックにあるこの小さな酒蔵、Kato Sake Works には、醸造者である加藤忍のそんな思いが沢山詰まっている。

インタビュー当日、再び小さな酒蔵に足を運んだ。笑顔で迎え入れてくれる加藤の横ではお酒のミニ講義をしてくれたエバンと、ジョニという若い女の子がてきぱきと仕事をしている。エバンは日系3世で、自分でも家で日本酒を作っているそうだ。お酒造りの説明がうまいわけである。ジョニはイタリアのワイナリーで働くことになっていたが、コロナでそれがキャンセル。そのころ日本酒にも興味を持っていた彼女はKato Sake Works で働くためにロックダウン中にニューヨークへ引っ越してきたという。二人ともとても楽しそうに仕事をしているのが印象的だった。

加藤の日本酒との出会いは大学時代。学生同士の飲み会で飲んだ安いお酒で酷い二日酔いを経験し、日本酒など二度と飲むかと思うくらい酒の印象は悪かった。そんな加藤が日本酒をまた飲み始めたのは社会人になってからだ。大学を卒業して加藤はソフトバンクに入社した。運よくも加藤の上司はお酒と食べ物にこだわりのある人で、20半ばの加藤を六本木や乃木坂、西麻布などのこじゃれたお店に連れて行っては羽振りよくごちそうしてくれたのだ。そんなある日、よく行っていた居酒屋ですすめられて飲んだ日本酒が黒龍の「しずく」。福井県にある黒龍酒造の大吟醸で、入手困難なことから「幻の酒」とも言われているようだ。「ああ、おいしいなあ。」そのときに味わった「しずく」の美味しさを加藤は鮮明に覚えているようだった。大学時代に飲んだ酒とは全く違う、質の良い日本酒との出会いだった。それからも上司がいい店に連れて行っては美味しいお酒を飲ませてくれた。そんな上司のおかげで、加藤は若いながらに良い日本酒を飲む機会に多く恵まれていた。

そんな加藤のグルメな東京生活もアメリカ、メリーランドにある大学院留学で終止符を打った。学生で収入も無く貯金もそんなにない貧乏学生生活に逆戻りだ。しかもそこはアメリカ、飲める日本酒も昔大学時代に飲んだような安く質の良くない物に限られている。ニューヨークなどに行けば良いお酒も売ってはいるが、その当時の加藤に手の出せるような値段ではなかった。アメリカでは学生同士の飲み会などでビールやワインも飲むようになったが、それも日本酒で言えば、一升瓶一気飲みをするようなレベルのものだった。大学院卒業後は同級生たちも職につき収入が出来たことで一緒に飲むお酒も安いだけのお酒から、クラフトビールや近くのワイナリーで作っているワインなどへと質が上がっていった。しかし、日本酒はどうだろうか。寿司屋やラーメン屋は増えたが、そこで出される日本酒と言ったら火傷するくらい熱々に出されるハッピーアワーの ”Hot Sake” など、質の良いものでは決してない。ビールやワインは上等なものが手に入るが、日本酒はそうもいかいというもやもやした気持ちがいつもどこかにあった。

そんな加藤はアメリカからの海外赴任で2年ほどインドで暮らすことになる。加藤の送られた先はほぼ禁酒の地域で、手に入るビールといえば貧乏なアメリカ学生時代に飲んでいたような安くて質の悪いものだけだった。そんな時、アメリカ大使館に勤めていた知り合いが自家製ビールを飲まないかと家に招待してくれた。彼はインドで不味いビールしか飲めない事が嫌で、アメリカから材料を持ち込み自分でビールを作り始めたのだ。彼の作った地元のマンゴー使用のマンゴーIPAは本当に美味しいビールであった。なければ自分で作る、そんな発想は加藤にとっては新鮮だった。そしてアメリカに戻った加藤は自分でお酒を作り始めたのだ。

とはいえ、加藤に酒造りの知識は全くなく、本やインターネットを頼りに独学。自家製ビールや自家製ワインはアメリカではよくあるホビーの一つで、自宅の台所でできるような小さいタンクなどを揃えた自家製キットなども手に入りやすいが、日本酒はそうもいかない。日本でお酒を自宅で作ることは禁止されているし、アメリカで日本酒を家で作る人もそうそういず、売っている酒造りの商品というと企業が使うような大きいものばかり。そうなると必要な用具もDYIに頼るしかない。見よう見まね、試行錯誤して全て手作りで初めて出来たお酒。その出来栄えは悪いものではなかった。「出来ないもんじゃない。」酒造りは難しいという最初のハードルを越えたられた気がした。

それから加藤はたまに酒を作っては友達に振る舞った。友達からの評判はとても良く、中には日本酒はあまり好きではなかったが初めて美味しいお酒を飲んだと言い、加藤の作ったお酒を売ってほしいと言う友達も出てきた。お酒を買いたいと言う友達は一人ではとどまらす、ちょくちょくそんなお願いをされるようになった。だがお酒を売るにはライセンスがいるし、量を作っているわけでもないのでその当時は友達にお酒を売ることはなかったが、良いお酒が手に入りにくいアメリカで、お酒作りをビジネスとしてやっていくのもありかも知れないと考えるようになったのはそのころだ。

一つのタンクで200本分のお酒ができる

お酒造りを2年ほど続け、自分でも納得のいくお酒ができるようになってはいたものの、やはりビジネスとしてやっていくかどうかについては葛藤があった。日本酒作りをビジネスとしてやるにはまず設備投資が必要だ。そしてその投資分を回収するまでは苦しい時期が続く。小さいスケールで始めることもできるが、そうすると投資分も回収できず自転車操業で終わってしまう。どのくらいの規模でやったらビジネスとしてやっていけるのか、その辺りの感覚が全くつかずなかなか踏み切れずにいた。そんな時、加藤の長年勤めていた会社からグリーンカードがおりた。グリーンカードがあれば自分でビジネスを始めることも可能だ。そして同じ時期に奥さんが仕事の都合で日本に一時帰国することになった。奥さんは何をやってもいいよと言ってくれていた。就職でテネシーに移り住んだが、会社に居続ける必要もなければテネシーにいる必要もない。踏み切れずにはいたものの、お酒作りをビジネスにすることは加藤の中ではもう決まっていた。グリーンカード取得と奥さんの帰国が最後のひと押しとなったのだ。

「やるんだったら一番大きいところでやってみなよ。どうせ失敗するんだったら一番大きい所で失敗した方が後腐れもないでしょ。」シアトルやサンフランシスコなど、いくつか候補はあったが、そんな奥さんの言葉で加藤は昔から憧れのあったニューヨークのブルックリンに酒蔵を建てることに決めた。ブルックリンの中で選んだ地域はブッシュウィック。殺伐としたコンクリート工場とグラフィティ、駅を降りて広がるそんな風景に一目惚れだった。ガード下でラテン系のおじさんが鶏の串焼きをうる風景は加藤が育った高円寺を彷彿させた。Kato Sake Works のメンバーもみんな徒歩圏内に住む地元住民だ。そんな所も地元密着の高円寺に似ているなと思った。

「来るまでは(ニューヨークには)冷たい大都会というイメージがあったんですよね。でも実際中に入ってみるとマイクロコミュニティー見たいなのがあって、どこの街よりもすごく皆さん優しくて、仲良くて、繋がってる。」

それを感じたのは特に Kato Sake Works のオープンが2020年4月、コロナがちょうど始まった頃だったこともある。3月中旬にソフトオープンにこぎつけ、一週末だけ店内でお酒を楽しんでもらったが、その次の週からニューヨークはロックダウンに入り、ソフトオープン、まグランドオープンもキャンセル。4月1日に店の前に棚を作りボトル売りだけ行った。Kato Sake Works がオープンに漕ぎ着けるまでを見てきた地元の人達はそんな店のオープンをみて駆けつけてくれた。なんでも買ってあげるよ、と何本もまとめてお酒を買っていってくれる人もいた。それだけのサポートが受けられたのも、地元のお店を助けてあげようというコミュニティー感の高いブッシュウィックならではだったのかも知れない。難しい時期のオープンではあったが、ブッシュウィック住民の暖かさを肌で感じながらのスタートであった。今でも Kato Sake Works のお客さんは地元の人が多く、しっかり地元に根付いた店となっている。

そんな Kato Sake Works で作られるお酒はスッキリとしとても飲みやすい。ニューヨークの水は軟水で日本の水と比べても比較的柔らかいそうだ。水の硬度はミネラルの含有量で決まる。このミネラルの含有量がお酒の発酵の仕方に影響し、ライムストーンなどを含んだテネシーの水で作ったお酒は荒々しく、ドライでパンチのあるものだったが、ニューヨークの軟水で作るお酒は発酵が緩やかで、比較的甘めでスッキリとした口当たりの優しいお酒に仕上がる。

Kato Sake Works の美味しいお酒たち

使っているお米はカリフォルニア米のカルロース。「スモールバッチ(小規模生産)のクラフトでお酒を作っているとはいえ、毎回お客さんに提供したときに、毎回同じ味じゃなければダメだなというのは作り手として思うんですよね。」安定的な品質を保つためには原材料の手に入りやすさは重要。カルロースはお寿司やさんなどでも使われるような生産量の多い食用米で入手しやすい。それは米選びには重要な点ではあったが、加藤がカルロースを選んだのにはもう一つ訳があった。

ゴールドラッシュで日本移民がカリフォルニアに移り住んだとき、彼らはお米を持ち込み新しい土地でそれを育てようとしたがなかなか上手くいかなかった。その時にアメリカの長米と日本から持ち込んだお米を掛け合わせて出来たのがカルロースだそうだ。アメリカという全く文化の異なる地に渡り、相当な苦労を重ねた移民一世によって作り出されたお米。「移民がどうやって自分たちのルーツを保ちつつ、かつアメリカ人としてこの地でで受けられるようになったかというのを僕はすごく尊敬していて。移民一世の人たちの苦労がなかったら僕もこんなこと(酒造り)も出来ていないだろうと思うんですよね。日本の山田錦とかもいずれは使うと思いますけど、カルロースという日本から来て、そしてアメリカに根付いたお米でアメリカ人が美味しいって言ってくれるお酒を作り続けるっていうのが自分のやりたいことかな、と思って。」

Kato Sake Worksは来年早々今より広い店舗に移転予定だ。広めの店舗に移ったらゆくゆくは日本のグルメ雑誌、”danchu” などに乗るような種類のお酒は全て作ってみたいと加藤は言う。「うちのラインアップはそんなんいクリエーティブなことをしているわけでもなく、純米とか濁りとか教科書に乗っているようなお酒を出してます。まだ僕らのマーケットってそんなもんだと思うんですよね。そんな中で純米や生などが分かってきたお客さんに、生酛とか他の日本スタンダードなものを広めて行って、お客さんが(品揃えの多い)居酒屋に行った時に(お酒を選ぶ)道標にならないかなって。」

Kato Sake Works のテースティングに参加した時、気に入った生酛を1本買って帰った。スタイリッシュなロゴ、そしてローマ字で “Kimoto” と書かれたラベルを見ながらボトルを開ける。少し温めて飲んでみた。スッキリとりた口当たりだか冷で飲んだ時より風味が増し深みを感じる。ハッピーアワーの “Hot Sake” を飲みながら「嫌いじゃないけど日本酒ってきついね。」と言っていたアメリカ人の友達に紹介しようと思う。 黒龍の「しずく」が加藤にお酒の美味しさを気づかせたように、加藤の作ったこのボトルがお酒を再発見をさせてくれるかも知れない。

-e
Instagram: @evillagestone


Kato Sake Works
5 Central Ave, Space B
Brooklyn, NY 11206
(917) 719-1603
kanpai@katosakeworks.com

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