ダウンタウンにある小さな映画館に時間よりも早く着いてしまったので座席に座って読みかけの小説を読んでいた。
この映画館はインディー系の面白い作品やドキュメンタリーを中心に上映するのでよく訪れる。
映画が始まる前の映画館の中では、インディー系の映画館らしくインディーズのミュージシャンの曲をいくつかかけて紹介していた。薄い明かりの中で小説の世界に没頭していた時、そのピアノの旋律が静かに僕の中の隙間に沁みいってきた。
ふと顔を上げて目をつぶりそのピアノの旋律に聴き入る。 女性ボーカルが静かに、しかし力強くドラマチックにピアノの旋律の後に続く。もう小説の世界にはいなかった。そのピアノの旋律と歌声は僕を静かに小説の世界から奪い去った。
私の身体は檻
恋に踊ることさえできない
檻の鍵を握っているのは私自身
私は怖れと疑心のステージの上に立っている
それは中身のない芝居のよう
でも誰かがおざなりに手をたたく
私の身体は檻
あなたは私のすぐ横に立っているのに
私は檻の鍵を握りしめている
私の生きている時代は
暗闇を引き寄せて
言葉は死に絶え
それでもまだ頭の中を満たそうとする
私の生きている世代には
名前なんかない
怖れが私の動きを止め
私の鼓動はおそくなる
私の身体は檻
私たちは与えられたものを受け取るだけ
あなたは忘れ去られても
許された訳じゃない
私の生きている時代では
真夜中に私の名前を叫び
ドアまで走るとそこにはもう誰もいない
Sara Lov
My Body is a Cage
Written by Arcade Fire
サラ・ラブとの衝撃的な出会いだった。
その時にどの映画を観たのか全然思い出せないが、その時のSara Lov との衝撃的な出会いは今でもはっきりと憶えている。
その時の僕の創造性の波長とSara Lov の独特のピアノの旋律に乗った音楽の波長が
薄暗い映画館の中でぴったりと寄り添ってダンスをし始めた。
もう一度あのピアノの旋律が聴きたい...映画を観終わってその足でダウンタウンのレコード店でサラ・ラブのCDを探しまわった。
Sarah Love? Sara Luv? …. サラ・ラブのスペルもあやふやでとうとう見つけられなかった。
家に帰ってインターネットでの検索でやっとSara Lovを見つけた。CDがレコード店に置いていなかったはずだ、
まだ5曲入りのミニアルバムを発表したばかりで一枚もアルバムをリリースしていなかった。
今では彼女は4枚のアルバムを発表している。
それからずっとSara Lovを聴きつづけている。
ニューヨークには本当に様々な音楽が街に溢れている。
ジャズクラブ、ライブハウス、コンサートホールはもちろんのこと、夏にはいたるところで野外無料ライブが行われる。
地下鉄の中はクラシック弦楽四重奏、ジャズ、民族音楽、タップダンス、インディーズ・ミュージシャン…..etc.
の様々なジャンルと国籍の音楽で溢れかえっている。
そんな街に暮らしていて心を奪われる音楽との出会いは本当にうれしい。
Key もそんな僕の心を奪ったミュージシャンの一人だ。
僕たちのプロダクションで初めて制作したオリジナル舞台 “RANT” では音楽を手がけてもらった。Keyのオリジナル曲、
“Candy Goes” に乗って主人公のリナが怒りの絵の具をキャンバスに叩き付けるシーンは演出家としても忘れられない仕事になった。
マンハッタン映画祭で最優秀コメディー・ショートフィルムを受賞した僕の監督第二作目 “Radius Squared Times Heart”
でも、“You’ve been a Big Girl” という素晴らしい楽曲を提供してくれた。別の音楽で同じシーンを編集していたが、
Keyのこの楽曲があまりにも素晴らしいので、この曲に合わせてシーンを一から編集し直した。
以前住んでいたヘルズキッチンのアパートの別の階に住んでいたバイオリン奏者のエニオンとは屋上でひなたぼっこをしていた時に出会い、
すぐに友達になった。その頃、ホームレスシェルターの子供達の為のショーを企画していて、話を持ちかけるとエニオンはすぐにミュージシャンとして
参加すると乗ってくれた。彼女とは結局、日本にまで一緒に行って同じ舞台に立った。
その後彼女はギタリストでリュートからマンダリンまで弾きこなすミュージシャン、デイビッドと出会って結婚し現在はTAARKAというバンドを組んでオレゴン州ポートランドを中心に活動している。
あえてジャンルをつけるなら、ジプシー・ブルーグラスとでもいうかな?
ジャンルに縛られないTAARKAの音楽を聴いていると自分は本当に自由になんだということを思い出させてくれる。
魂は鳥のように自由でいつでもどこにでも飛んでいける。そうやって生きていってもいいんだよという思いにいつもさせてくれる。
前述した僕の映画のメインテーマになった、“Camille’s Last Jump” という素晴らしい曲も彼らはこころよく提供してくれた。
バラ色の人生、愛の賛歌...エディット・ピアフの名曲を水のように澄んだソプラノでゆっくりと語りかけるように歌う。
その美しい赤毛の女性の歌声は酔っぱらってバカ話をして笑い転げていた僕たち4人を一曲目でピタリと黙らせた。
彼女が三曲目を歌い終わった時には、僕はそばに置いてあった彼女のCDを手に取っていた。20ドル札を渡すと
この美しい赤毛の女性は20ドル札をドレスの胸元の中にスッと忍ばせて 「ありがとう」 と言った。セクシーな仕草での客扱いも絶妙である。
MichelineとCDにはある。すっかりと魅了されてしまった。
後で調べて、ミシェリン・ヴァン・ホーテムがニューヨークのキャバレー・シーンでは超有名なシャンソン歌手であることがわかった。
ことわっておくが、ニューヨークでキャバレーというのはお酒を飲みながらピアノとボーカルのライブを静かに聴き入る洗練された大人の遊び場で、
日本のような 「1時間3000円、飲み放題、さわり放題」 みたいな場所ではない。子供の頃うちの近所にはそういうキャバレーがたくさんあって、
うちは喫茶店だったのでホステスさんがよく出勤前にコーヒーを飲みにきた。あれはあれで懐かしい。話がそれた。
何度も聴きつづけた。
そのアルバムの中の一曲、Les Vieux を前述した僕の映画の最後のシーンで使わせてもらおうと、今ではアムステルダムを中心に活動しているミシェリンを探し出してお願いしてみた。ミシェリンはこころよく承諾してくれた上に、このシャンソンの名曲の使用許可を取るのに八ヶ月もの間、ジャック・ブレル財団との交渉にずいぶんと協力してくれた。
ミシェリンはこの秋、ニューヨークのTRIAD シアターに戻って来て、フルアコースティック・バンドを従えて歌ってくれる。
今から楽しみである。
こうして振り返ってみると僕はミュージシャンと縁が深い。
人生の折り目に必ず素晴らしいミュージシャンと出会って親交を深めていつか必ず一緒に仕事をすることになる。
<やす鈴木>