琴を邦楽だけでなくショーとして広げていきたい

15年前に映画のコーディネーターらしき人から電話があった。「ジョンをご存知ですか?」と聞かれ、ジョンっていっても沢山の知り合いがいるので、「どちらのジョンさんですか?」と聞き返したところ、「スターウォーズとかETを知ってますか?あのジョンです」とのお返事をいただいた。映画『SAYURI』(原題 Memoirs of a Geishaは、2005年のアメリカ映画)の演奏を了承し、カリフォルニア州のユニバーサルスタジオにあるオフィスへ。ジョンから「あなたが雅代ですか?」と直接聞かれ、案外気さくな人だというのが第一印象だったが、二言目には、「僕は日本人の友達がいっぱいいて、君も小澤征爾くんと友達かい?」と聞かれ、大物度合いがハンパでないことに度肝をぬかれたという。

「映画の音楽を演奏するのは、初めてだったのですが、100人くらいのオーケストラと、その倍くらいはいる録音や音作りのスタッフさんたち、その中にヨーヨー・マ(世界で著名なチェリスト)と、イツァーク・パールマン(世界で著名なバイオリニスト)そして私がゲストで呼ばれていました。映画にあわせて演奏をするのですが、秒刻みで音を入れていきます。ヨーヨー・マが間違って入ったときには、彼でも間違うことあるんだって思ったのですが。さすが世界でトップのチェリストだけあって、練習してこないけど、その場で楽譜をみて、あさっての方向見ながら弾けてしまうんです。とても明るい人で、私がイチゴの絵のついたTシャツを着ていってたのですが、『おいしそうなイチゴだね』って声をかけてくれたりして。演奏する雰囲気をなごませてくれる能力にも長けています。

ジョンは琴がどういった楽器なのか知らなかったらしく、『どんな音がするの?』って聞かれたのですが、緊張しすぎていたせいか、あまりいい説明ができなかったんです。それは今でも後悔しています。対して、これができたのだから、私は何でもできるんだって自信をもつことができた出来事起こるのですが。オーケストラとの演奏を終えて彼らを帰した後に、『雅代とハープだけは残ってほしい』ってジョンに言われました。録音や撮影のスタッフは100人以上は残っていて、彼らのギャラだけ考えてもものすごい額なのがわかってるのですが。『二人で同じものを弾けますか?』といきなり楽譜を渡されたんです。琴は、チューニングをあわせたりする必要のある楽器で、楽譜をみてすぐに弾けるものではありません。それを知らないジョンは、やれるだろう?って顔をして待ってるし、もちろん大勢のスタッフを待たしていたんです。凍りつくくらいに焦りましたが、『やるしかない』って心の中で思って、何分間かでチューニングをあわせて演奏しました。

『ジョンがよかったって言ってたよ』というスタッフからの言葉もいただきましたし、これをやり切れたことは、もう何も恐れることはないって自信がついたのです」

☆☆☆

日本での師匠は、世界でも琴の演奏者として著名だった沢井忠夫と妻の沢井一恵だった。5歳のころから琴に夢中になり、邦楽部をでて80年代終わりごろから6年間は、師匠とともに演奏で世界を飛び回った。一恵は、「これからは日本よりももっと広い世界にでていくべきだ」と、アメリカ、オーストラリア、中国、オランダ、各国へ6人もの生徒を1992年から送った。雅代は、コネチカットにあるウエスリアン私立大学の音楽部で琴と三味線のクラスを任されることになった。97年に忠夫が亡くなってからも、なんと一恵は一人、生徒たちに更に8年間も仕送りを続けたのだという。

「日本では、琴といえば女性が演奏するものっていう先入観があると思うのですが、コネチカットの大学で45人教えていたときに、その半分は男性が学んでいました。先入観がないからか、男の人が琴を弾くというのはむしろ、クールってイメージのようです。2012年から、ニューヨークのコロンビア大学でも教えることになりました。一般教養科目なので音楽専攻ではない生徒ばかりなのですが、卒業後も琴を日本へJETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)で渡って続けたり。コロンビアを卒業してからも習いにきたりして、卒業後も続けている生徒たちがいます」

☆☆☆

「その時代ごとに目標にかかげていたことがあったのですが、その一つはニューヨークへ来てかなえることができました。一度に大勢の人を琴の演奏のためだけに集めるのは大変なのですが、オーケストラのソリストとして演奏できれば、すでに集まっているたくさんの人に琴の演奏を聴いてもらえるのです。ニューヨークはオーケストラ公演の場も多いので、いろいろなオーケストラから声がかかり、琴のソリストとして演奏させていただくことができました。

一時期は、電子音楽と一緒にやったりして方向性を失っていた時期もあったのですが。たとえば、日本のダンサーの方たちが、欧米のダンサーと同じラインに立った場合、どうしても骨格などのつくりが違うからか、見栄えの面で違いがでる場合があります。なので、日本のダンサーは、日本舞踊など自分の国で生まれもって表現できるもので戦っていくみたいに、琴もそういう時期にきているのかなって思うんです。だからこそ、本来の琴や三味線を少しやっていけたらいいなと思っています。夢は、X JAPANのYOSHIKIさんに音楽を書いてもらって、ロックという別の音楽ジャンルを聴いている若い世代の人たちにも興味をもっていただけるといいなと思っています」

邦楽である琴は地味と言いつつも、琴の世界を様々な角度から見つめ直し、琴をさらなる世界へ広げていくため演奏を続けてくれることこそが、楽しみである。<敬称略 取材・執筆 ベイリー弘恵  掲載写真 ©Masayo Ishigure >

【プロフィール】
石榑雅代(いしぐれまさよ) 琴、17弦琴、20弦琴、地唄三味線
岐阜県岐阜市出身。5歳から琴、12歳で地唄三味線を始める。

沢井忠夫、一恵に師事。高崎芸術大学音楽科邦楽部(琴、三弦)を卒業後、両氏の内弟子となる。
1992年よりコネチカット州のウエスリアン大学音楽部にて10年間琴、三味線の指導に当たる。1996年にニューヨークに活動の拠点を移し、カーネギホール、リンカンセンター、 メトロポリタン美術館等を始め、ハワイ、アラスカ、メキシコ、ロシア、ベラルーシ、ジャマイカ、ブラジル、タイ、韓国、ヨーロッパ各地で公演。

ニューヨークシティーバレーの主席ダンサーのピーター・ボール氏との共演、ゲストソリストとしてサンディエゴシンフォニーオーケストラとの競演の他、ボストンモダン、シアトルシンフォニー、ニューヘブンシンフォニー、マンハッタンシンフォニーオーケストラ等、数々のオーケストラとの共演を果たしている。

2005年には巨匠ジョン・ウィリアムス氏の作曲による映画”さゆり(Memoirs of Geisha)のサウンドトラックのレコーディングをイツァーク・パールマン、ヨーヨーマ各氏らと共に行う。
2015年日本国大使館主催 ケネディーセンター メロディーオブジャパン ”koto-Opera”に出演。
2018年、在米25周年記念リサイタルツアーを全米5カ所で行い、今後の芸術活動に対する決意を表明。
現在演奏活動の傍ら、コロンビア大学で邦楽(箏)クラスを受け持つ他、ニューヨーク、ニュージャージー、ワシントンDC地区でのプライベートレッスンも行っている。
2016年6月 琴三味線の演奏活動を通じ、長年にわたり米国における日本文化の紹介に尽力にし、日米間の相互理解及び、友好親善促進に貢献した功績により在外公館長表彰を受賞
2007年 News week 紙「世界が尊敬する日本人100人」
2016年「ニューヨークで活躍する女性5人」に選ばれる
石榑雅代 琴三味線アンサンブル「MIYABI」主催

 

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