森澤勇司(Morisawa Yuji)
東京生まれ 新宿区在住
重要無形文化財「能楽」保持者、能楽師小鼓方
20歳 テンプル大学(新宿校)在学中にポスターを見て能楽養成所へ
重要無形文化財能楽保持者(日本能楽会会員)
32歳 映画「失楽園」大河ドラマ「秀吉」に出演
独立
43歳 脳梗塞で倒れる
退院後、1日10冊の本を読む
マインドマップ・記憶術・心理学・マーケティングを学ぶ
日本メンタルヘルス協会 入会
『ビジネス版「風姿花伝」の教え』(マイナビ出版)出版
海外公演 ニューヨーク(ジャパンソサエティー)・モナコ・北京・ガルニエ
Zoomにてロサンゼルス サウスベイマネージメントセミナー講師
桐蔭大学 生涯学習 講師
能楽普及のためにSNSで発信中(メルマガ・オンラインサロン・クラブハウス)
二冊目の著書を執筆中
リットリンク
しゃけ:
YouTubeで「船弁慶」(Funabenkei)を鑑賞させていただきました。能をしっかり観たのは初めてだったのですが、最後の方はけっこう激しく小鼓を打つ森澤さんを見て驚きました。
森澤さん:
ありがとうございます。能は現存する最古の生きた芸能です。650年前に観阿弥、世阿弥が今の形を作りました。能は静かで眠くなると言われたりしますが、元武士たちが作った文化なので結構激しくて体力がないとできない芸能なんですよ。
しゃけ:
え!武士のもの?でも女流もあるんですよね?
森澤さん:
能は謡(うたい)と囃子(はやし)で成り立っています。「女性はダメなの?」というのはロックは女性は歌っちゃダメなの?と聞いているのと同じなので。大丈夫です。女流の能もあります。「シアターNoh」という外国人たちの能もありますね。しゃけさんも小鼓打てますよ(笑)ただ、一つだけ「翁」(おきな)という作品は神事的儀式演目である名残から、男性だけで構成されています。
しゃけ:
私も小鼓を打ってもいいんですか?能面は誰でも触れるものではないという気がしますし、由緒正しいお家柄の方たちだけのものというイメージがあるのですが。
森澤さん:
確かに、1400年代々能の家系の方もいらっしゃいますし、親から子へ面(おもて)や装束が受け継がれるというのが普通です。
でも、私の実家は能とは全く縁がない小さな商店で、父は会社員です。能楽師は全員個人事業主なので日本能楽会会員だからといってお給料をもらえるわけではなく、仕事の依頼も個々人です。
しゃけ:
森澤さんは家系ではなく、一般公募で応募して能楽師になられたのですね?
森澤さん:
コンサートやミュージカル、舞台演劇には興味があってバイトをしては最前列で観ていましたが、能は一度も観たことがありませんでした。
ギターにハマっていたのでギターのクラフトマンになりたいとか、音楽関係の仕事をしたいとは思っていました。火を見つめる仕事に憧れて、刀鍛冶、陶芸家、お坊さんになりたいな、なんて思っていました。
進路に悩んでいた大学2年の時、近所で「能楽三役(「ワキ方」「囃子方」「狂言方)養成 一般公募」というポスターを見つけ、舞台の上の仕事だし音楽関係だな、と。
あと夢を見たんです。険しい山道を自分が登っていくのですが、岩や崖を越えてどんどん進んでいくと・・・能の舞台にたどり着いた、という夢を見ました。
知り合いに能関係の方は全くいなかったのですが、一般公募で申し込んでテスト(口頭テスト・作文・面接)を受けたらその日のうちに合格をいただきました。
しゃけ:
なるほど。一般の人にもチャンスはあることはあるんですね。その中で頭角を現すとは相当な努力が必要だったのではないでしょうか。
映画「失楽園」や、大河ドラマ「秀吉」に出たというのはいつ頃なんですか?
森澤さん:
内弟子の時でしたね。大河ドラマの撮影って何十時間も時間を取られるので僕に声がかかったのかもしれません。養成所に入ったのは20名でしたが、数年で5名に減っていましたし、子供のころから能の世界にいる同世代たちはすでに仕事で忙しそうだったので。
「失楽園」の現場は野外セットの特設会場でした。役者さんではなく、現役の能楽師たちが集められて撮影がありました。冬で天候が悪くて雨が止むのを待ったのを覚えています。黒木瞳さんと役所広司さんのデートシーンの場面ですが、ちらっと顔がでていますし、名前のクレジットもしてもらえて嬉しかったです。
しゃけ:
古典芸能の世界は上下関係が厳しいというイメージがあるのですが、内弟子時代はつらいことが多いのですか?
森澤さん:
養成期間は6年間でしたね。その間はお給料がでないので、東京湾のクルーズ船でバイトをしていました。
今はお酒を飲まないんですが、若いころはよく飲みに連れて行ってもらっていました。先輩方に呼ばれて行く飲み会のノミニケーションで学んだことは多かったです。チャンス(ハプニング代役)をいただくことも多かったですし。
32歳で独立して自由に仕事を受けられるようになったのですが、師匠の送り迎え(公私の運転手)は毎日続いていました。
そして、43歳、娘が生まれてもうすぐ1歳になるという時、「楊貴妃」という演目で舞台の上で汗が止まらなくなりました。小鼓を持っていられないくらいの汗です。舞台上から後ろに下げられ救急車で病院に運ばれると、即入院でした。
脳梗塞でしたね。1週間で退院できたし後遺症などもなかったのですが、知らぬ間にストレスが溜まっていたのか、心身ともにボロボロで。半年で21キロ痩せました。
退院後は運転手を卒業させていただき自分の時間ができたので、本を毎日10冊読んでいました。「このままではいけない」とマインドマップや記憶術、心理学を学びました。
日本メンタルヘルス協会に入って能とはちがった人間関係ができました。新しい世界に触れて気が紛れたのか、少しずつ霧が晴れていきましたね。
しゃけ:
わー壮絶!
能楽師としては靖国神社ではもちろん、海外でも公演をされているのですか?
森澤さん:
はい。ニューヨークはジャパンソサエティーフェスティバルで公演させていただきました。モナコ公演ではちょうど前日がモナコグランプリだったので公的な方々やF1の選手たちに鑑賞していただけました。北京は「日中交流40周年」で呼んでいただきました。大歓迎していただいて嬉しかったです。
しゃけ:
コロナ禍で変化はありましたか?
森澤さん:
そうですね。オンライン上映が普及したのは良かったと思います。個人的には4か月間舞台がなくなるという体験をしました。休みもいいものですね(笑)
能の仕事の世界はほとんどが口約束で、契約書がないんですよ。私は先約優先にかなりこだわっていて、先に入った約束事を必ず守りたいんです。目先の損得を優先しません。長期的に見た場合、その方がうまくいったりするんです。
病気をしたことで本を読む機会が増え、結果的に自分の本(『ビジネス版「風姿花伝」の教え』マイナビ出版)を出版することができました。自分の人生を見つめ直すために自分史もアメブロで書いています。
今は二冊目を執筆中です。世阿弥の言葉、「人には命あり、能に果てあるべからず」を信じて能楽の発展に貢献していきたいです。

森澤勇司さん×しゃけの音声インタビューはこちらから聞くことができます。
インタビューの続きはクロスロード「知識で遊ぶ」で読むことができます。
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