ニューヨークのビジネスマンは昼からマティーニ

レストランでは、フロントで予約をとったり、予約を確認したり、重たい大きなガラスの扉をお客様のために開けてあげたり、
テーブルやお座敷にご案内したりする仕事だった。靴を靴箱に入れてあげるのも私たちの役目。
コートやジャケットをお預かりして中国人のクローゼットの係りの人に渡すのも私たちだった。

そしてジャケットを持って袖を通しやすいようにもち着せてあげる。日本のレストランの至れり尽くせりのサービスである。
ついでに最後まで残って鍵をかけて帰るのもフロントの仕事である。

ただし、お客様が来なくて退屈なときも、ずーっと玄関で立って待っていなければならない。
いつもフロントの女性同士でおしゃべりしたりして過ごすのが普通になった。

初日にフロントに立った時、まったく疲れを予測していなかったので、面接のときに用意していたローヒールの靴をはいていた。
私はハイヒールをはくなんて絶対に無理なのだが、ローヒールでも足の痛さに耐えられない。
まるで拷問をうけてるような小さなかかとの高い靴を女性がなぜ履いてるのか、女性でありながら今でも疑問に思ってるほど。

そんな状況を見ていた女将さんが、「あなた大丈夫?」と声をかけてくれた。「大丈夫です」と答えたものの、
ほとんど初日は足を引きずって歩いていた。すると、30代半ばくらいのフロントの女性が、「私のいらない靴あるから、明日
持ってきてあげるわよ」と、親切にも素敵な黒いヒールのない靴をいただいた。

しかしその人は、かなり手足がしなやかな人だったので、私のべったりしたギョウザのような足には、それでも窮屈だった。
結局、二日目も足を引きずっていた。

さておき、

お客さんは、大手商社や銀行のえらい人が次から次へとランチやディナーにやってくる。日本は景気が悪いっていってても、
接待費はたっぷりあるのだなぁ~などといつも首をかしげていたものだ。高級和牛をトンカツのように揚げるという
メニューにはない、特別メニューをオーダーする常連さんもいて、そのオーダーが入ると、あの人が来ているのだと
わかったほど。

国連で働いている人たちもよく来ていたし、アメリカのテレビ番組でキャスターをしている人も来ることがあった。

バーカウンターは昼も夜もアメリカ人客でごったがえしていた。
一般のアメリカンバーと違って、音楽がガンガンになってないし、落ち着けるからビジネスミーティングなどに利用されたり、
お金持ちの常連客がやってきた。

cocktail昼から商談しながら、ガンガンにマティーニとか飲んじゃうんだから、アメリカ人ってやっぱパワフルだわ~って
思った。

バーの人気は、バーテンダーにもあった。ここのバーテンダーが作る、マティーニは最高だった。アメリカのバーみたいに
シェーカーで振るのではなく、ミキシンググラスに氷を入れて、ステアする。それがかっこいいのなんのって。
早くスピンさせてかき混ぜ、ミキシングの時間を短縮する。冷やしたカクテルグラスに氷が溶けないうちに注ぐというテクニックがあった。だからか、本来のアルコールの味が引き締まっていて、水っぽくないカクテルだった。

バーテンダーの雰囲気は、新宿あたりにある老舗のバーにいるような、いかにもって感じの白髪でダンディーな日本人バーテンダー。
彼がいる間は、このマティーニが飲みたくて、私はこのバーに足しげく通ったものだ。

彼と土曜日だけ交代で入るバーテンダーは、これまた新橋あたりでウンチクを語らせたら、この上ないくらいの
歴史学者レベルで歴史を勉強している人だった。だからか当時、NY大学で数学を教えていた日本人の教授と
いつも話がはずんでいた。

この二人にあこがれて、私はアメリカのバーテンダースクールに通うことに決めたのだった。

次回はアメリカのバーテンダースクールについて<弘恵ベイリー>

1件のコメント

  1. 90年代には昼からマティーニはいたけど、2000年を過ぎた当たりからもっとヘルシーに出勤前やお昼休みはスポーツジムでワークアウトに変化して行ったよね。
    もう18年も前の事で、懐かしい〜。
    今はもう無い、日本人の接待黄金期!!!

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