NYジャズ界で認められたAppleWatchCMソングの深尾多恵子(TAEKO)さん、4枚目のアルバムを発表

大阪の司法書士事務所からNYのライブハウスへ。
2007年に自社フラットナインレコードを設立。
デビューアルバム「One Love」を発表。
今年(2019年)4枚目のアルバム「CONTEMPLATION」が完成。 (アメリカ2019年10月10日、日本11月27日公式発売)
AppleWatchのCMソングはこちら
2019年6月、半生を綴った「Untraveled-ニューヨークが、ジャズシンガーにしてくれた」著・瓜生朋美が出版される。
在米20年、お子様を育てながらニューヨークで歌い続けるジャズシンガー深尾多恵子さんにしゃけがお話を伺いました。

しゃけ:
多恵子さんお誕生日おめでとうございます!!本日10月5日は多恵子さんのお誕生日!!そして、最新アルバムの発売おめでとうございます!!

多恵子さん:
ありがとうございます。しゃけさんもお誕生日おめでとうございます!

ニューヨーク在住ジャズシンガー深尾多恵子さんの最新アルバム
「CONTEMPLATION」米国10月10日、日本11月27日発売

しゃけ:
ありがとうございます。(私は8日です)
アップルウォッチのCM、見ました!大きなお仕事ですね!すごいです!

多恵子さん:
「アップルウォッチ4」のコマーシャルソング「ホーキーポーキー」のレコーディングのお仕事面白かったです。 オーディションに来るように急に連絡がきて翌日に決まって収録しました。その時は何のCMかは教えてもらえなったのです。オンエアされてから教えてもらってびっくり。 日本で2018年10月から数ヶ月間放送されていたようです。
大役といえば、毎年5月にセントラルパークで開催される JAPAN DAYの一環のJAPAN RUN で2011年からアメリカ国歌を独唱させていただいています。タイムズスクエアでの野外イベントでアメリカ国歌を独唱するお仕事をいただいたこともありました。

しゃけ:
!!かっこいい!!ニューヨークのど真ん中で活躍されているのですね。 国歌斉唱、ライブなどはTAEKOさんのユーチューブチャンネルで見ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=7gI4uw1JPh8

多恵子さん:
アメリカでの活動は、自分のグループのほかベテランジャズドラマーのビクター・ジョーンズ氏のカルテットやビッグバンド、デューク・エリントン・オーケストラなどで活躍するトロンボーン奏者のスタッフォード・ハンター氏のバンドで活動をしています。ニューヨークやニュージャージーのライブハウスが活動の中心ですが、コネチカット・オハイオ・フロリダ・カリフォルニアなどでも仕事が入ることは多く、今年はサンフランシスコのアジア芸術博物館でのGalaにメインアクトとして招いていただいたのは良い経験でした。

日本には毎年2回帰ってライブ活動をしています。今年も6月下旬から3週間の間に11公演行い、各地で大変よくしていただきました。

しゃけ:
お子様も一緒に日本を楽みながらお仕事もできるママ、すばらしいですね!!

多恵子さん:
娘は5歳になりました。子供に教えられながら楽しく子育てしています。次々と未知の世界に飛び込んでいく子供ってすごいなと思います。アメリカの公立校と週末の日本語補習校のダブル生活が始まって、アメリカで暮らすお母様がたのご苦労を味わい初めているところです。
子供は急に熱が出たりしますから大変な時ももちろんありますが、毎日とにかく楽しいです。
会場を歩きながら歌ったときには娘が走り寄ってきたのでそのまま抱え上げてステージに上がりました。「このままここにいたい」と娘が言ったので曲が終わるまで一緒にステージにいました。

しゃけ:
素敵ですね。旦那様も音楽関係の方なのですか?英語はどのようにして習得されましたか?

多恵子さん:
夫は音楽関係の仕事ではなく、サラリーマンです。よくライブに来てくれていて、知り合いました。
歌がうまくても英語が美しくないと耳障りなだけなのでそこを打開するために長年足繁くレッスンに通いました。 話し言葉とは違う歌特有の技術も多々あります。 分かれば分かるほどまだ完全でないところが先生も私も気になって、今でもレッスンに通っています。
実際にアメリカ人のジャズ評論家が私におっしゃったことですが、アジア人の名前でアジア人の顔写真がついたアルバムは、残念ながらスイング感がないとか訛りがきついなどのイメージが定着していて業界の人に少しでも聞いてもらうことすら難しいのが現実です。
ミュージシャン仲間が私を音楽的に信頼してボーカルに迎えてくれても会場側から白人か黒人のシンガーに替えるよう指示がきて外される、というちょっと理不尽なこともあります。
一方、アメリカでプロとして活動するアジア人ジャズシンガーの数は限られていますから、なにかのときに抜擢されるというメリットがあります。また、変わった存在ですからかえって興味を思ってもらえるというのもあります。
アメリカは、抜群に実力があればバックグランドなど関係なく認めてもらえる国です。諦めずにコツコツ続けること、抜群の実力をつけられるよう日々努力するのみですね。

しゃけ:
「変わった存在」も認められれば大きなチャンスになるのですね。今回のアルバムでは箏が使われていると聞きました。

多恵子さん:
このアルバムは、ビル・エバンス、シーダー・ウォルトン、チック・コリア、ベニー・ゴルソンといった巨匠による優秀な器楽曲に焦点をあて、1970年代にブラックジャズレーベルから秀作を次々と発表した伝説的ピアニストのダグ・カーン(私の娘のガッドファーザーでもあります)とマッコイ・タイナーによるスピリチュアルな楽曲「コンテンプレーション」をタイトルに掲げています。黒人音楽に深く根付いた生命力あるサウンド、ジャズに伝統に基づく豊かなバラード、そして 在ニューヨーク箏奏者の金子純恵さんを3曲でフィーチャーして、自分の原点に帰る作品を目指しました。
数年前に実家にあったお箏を担いでニューヨークに帰ってきました。それ以降、ニューヨーク在住で山田流の木村伶香能先生に教えていただいています。そんなこともあって今回のアルバムにお箏をいれたいと強く思っていました。 アルバムでは金子純恵さんに弾いていただくことができ嬉しく思っています。 業界関係者から今までになく高い評価をいただいて、手応えを感じているところです。

アメリカ東海岸のジャズクラブでは必ず入り口に置いてあって、ジャズファンは誰しも手にする著名なフリー雑誌「ホット・ハウス・ジャズ・マガジン」の今月号に全面でインタビューが掲載されました。これはかなりの快挙です。たしかに1時間ほど電話でインタビューをお受けしたのですが、この有名誌にて全面枠がいただけるとは思っていなくて記事をみて私自身びっくり。渡米の経緯、アルバムのこと、ニューヨーク市内の老舗ジャズクラブ「バードランド」で今月10日に行うアルバム発売記念ライブのことを盛り込んでくださいました。厳しいニューヨークジャズ界のメディアからの力強いバックアップをとても嬉しく思っています。

ニューヨーク市の「ホット・ハウス・ジャズ・マガジン」2019年10月号に掲載された多恵子さんの記事

しゃけ:
「オールアバウトジャズ」紙上にも多恵子さんの特集が!!ライブ映像じっくりと見させていただきました。感動です。
ご実家は滋賀県ですね?音楽一家のおうちで育ったのですか?

多恵子さん:
プロの音楽家の家庭というわけではなく、よくあるピアノやバイオリンのレッスンという環境とも違いましたが今思えば周りに音楽があふれた子供時代でした。

5歳〜6歳の2年間お箏を習っていました。実家の一室が箏・三絃教室に貸し出されていてせっかくなので両親が私も習わせてくれました。
女性のやさしい先生でお箏はともかく先生が好きでした。

歌うことも大好きでした。ピアノに興味がありましたが田舎なので教室が少なく・・しかも小学校3年生のときに同じクラスに担任の先生よりもピアノの上手な女の子が二人いて「もう今から習っても遅い」と思ってしまいました。その子たちがやっているバイエルとやらの機械的な練習もやっていけない気がしました。
でもその女子達が教室で弾いているのをみて、音を覚えて音楽室で弾いてみていました。あとは家でピアニカをひたすら吹いていました(笑)

するといつかのクリスマスに父がヤマハの5オクターブくらいのミニ鍵盤楽器を買ってくれたのでそれをひたすら弾いていました。

そしてある年従姉妹のお姉さんからオルガンをもらい、その後エレクトーンをもらい、そのお姉さんにしばらくレッスンしてもらいました。エレクトーンは左足でベースラインをひき右足で音量を調節し両手で鍵盤を弾く楽器です。ひとりでいろんな音楽が作れて楽しかったです。ピアノではなくてエレクトーンだったおかげで、音楽の楽しさがすぐに味わえたしジャズにつながる和音や理論知識を身につける第一歩にもなったと思います。


 多恵子さんのお父様、深尾勝義さんは櫻美家天勝(おうみや・てんしょう)さんとのお名前で活躍されている江州音頭の名手。櫻美家天勝さんのホームページ https://www.goshuondo-omiya.com/

私の祖父は、私の生後数ヶ月で亡くなりましたが、滋賀の郷土芸能である江州音頭を歌うのが好きだったそうです。そして父も私が子供の頃に江州音頭を習いはじめました。ときおりお師匠さんが家に来られてました。生徒さん数人が歌い出しを何度も「違う」と言われてやり直して練習していたり、何度も何度も同じ歌詞を歌って暗記したりしていました。数年すると父も師匠について浴衣姿で盆踊りの櫓(やぐら)に立って人前で歌うようになり家族でよく聞きにいきました。
父は太鼓も好きで地元の太鼓祭りでは手の皮を擦りむいてテーピングだらけにしながら太鼓を叩いていました。
今も江州音頭を続けていて公演活動や大人や子供向けの教室を開いたりしています。

しゃけ:
音楽を心から楽しんでいた幼少期ですね。その後どうやってNYに?

中学・高校では、吹奏楽部に入りたいと思いつつも「いまのうちは体を鍛えるべし」との父の勧めでずっとソフトボール部でした。
高校2年生のとき、2週間の交換留学先のミシガン州で、ホストファミリーが映画館に連れて行ってくれました。その映画で流れていた「ソウルミュージック」に惹かれ、「大学にいったら絶対ソウルミュージックを歌うぞ!」と密かに心に決めました。

同志社大学へ進学、法学部を専攻する傍ら念願の軽音楽部に入部。ジャズ系の音楽サークルでした。ジャズはそのときはよくわからずとにかくアレサ・フランクリン、サム・クック、スティービー・ワンダーといったソウルシンガーたちを聞いて真似て歌い、ジャズマンたちをホーンセクションに迎えてバンドを組んで活動していました。
大学2年生のとき5歳上の兄が突然亡くなり家族みんなが途方にくれました。私は突然一人娘になってしまい、将来の土地の相続などが起こるときに問題ないように不動産関係の法律を勉強しようと思い、大学4年生の春から司法書士という資格を勉強しはじめました。合格率2パーセントの難関とは知らず。
その勉強も佳境にはいっていた秋頃、当時のゼミの教授がご自分の教授室に呼んでくださいました。兄が亡くなったこと、司法書士の勉強をしていること、音楽が好きなことなど話すうち、ふと先生が「合格したらニューヨークに行ってきたらどうだ」と。私は、「そうか!」と妙に納得。ニューヨークという目標ができそれからは勉強がはかどりました。
卒業後、無事に試験に合格して両親に「ニューヨークに行きたい」と打ち明けました。当然、家族親戚中が猛反対。

数ヶ月の口論ののち父がようやく「6ヶ月なら」と渡米を許してくれました。
1998年春にニューヨークへ。音楽を勉強したいというよりは世界を見に行きたい、まだ20代前半だし司法書士の仕事にどっぷり浸かる前に少しの間だけ好きなことをさせてほしい、という気持ちでした。半年しかいないつもりでしたからその間にニューヨークのすべてを吸収するべくひたすら街を歩き音楽を聞きに行きました。
その時に初めてニューヨークがジャズの街だと知ったんです。遅い・・・(笑)
半年でいったん実家に帰りまもなく大阪で一人暮らしを始め司法書士事務所で働きながらニューヨークで覚えたジャズを歌い始めました。でも、本場で体いっぱいに詰め込んだジャズと、関西で聞くジャズに違いを感じていました。それと同時にそれをちゃんと判断する耳も良い音楽を自分で作り出す技術もまったくないまま日本に帰ってきたことに気がつきました。

司法書士事務所に勤めて1年がたつころもう一度ニューヨークに行くことを決めました。そして2000年の春に2度目の渡米。そのあとで何を仕事にして生きていくかはともかくちゃんとジャズを学びたいという思いでした。
迷ったり、壁にぶち当たったりたくさんしましたが、2007年にデビューアルバム「One Love」を発表したときにやっと「一生ジャズで生きていく」という覚悟が固まりました。活動範囲も広がり、2010年に「VOICE」を発表したころには、アメリカでも日本でも派手にツアーを行っていました。2013年に 「Wonderland」を発表した直後に子供を授かり、それ以降の活動は前にくらべて緩やかになりましたがおかげさまで今では老舗ジャズクラブや、ベテランミュージシャンからお声をかけていただくことが多くなりました。
そして、今回、4作目「CONTEMPLATION」をアメリカでまもなく発表します。日本では6月のツアー時にライブ会場で限定発売をさせていただき、大変好評をいただきました。アメリカでも業界やジャズファンの方々の反応はとても良好で、ほっとしています。

アメリカで頻繁をライブをともにするメンバーとともに。
左から:アレックス・ブレイク(ベース)、深尾多恵子(ボーカ ル)、ビクター・ジョーンズ(ドラム)、ロバータ・ピケット(ピアノ)
写真撮影:マーティン・コーヘン

しゃけ:
NYジャズ界で認められたのですね。NYでの失敗や、好きなところ、日本とは違うところを教えてください。

多恵子さん:
いろいろありますが・・・面白い失敗は、渡米の最初の年、独立記念日の花火を見ようとそのとき住んでいたビルの屋上(13階)へ行ったら、屋上からビルの中に 戻るドアに自動で鍵がかかって戻れなくなってしまい、とりあえず花火を少し見たあとで (笑!)屋上伝いにあちこち歩き回って1時間半かけて汗だくになりながらほかのビルの屋上から脱出したことですかね!

あとブラックアウト(2003年の北アメリカ大停電)を覚えておられるでしょうか。オフィスで働いている時に突然の停電。「この建物は古いからなあ」と職場のみんなが思っていたらその建物やご近所どころか北アメリカの広範囲での大停電だとわかりました。仕方なく仕事を途中でやめて誰もが徒歩で帰宅。私も1時間半かけてクイーンズの自宅まで歩いて帰りました。あのときニューヨークでは「まだ冷えてるうちに(笑)」といってみんなでビールを飲んだり、車のライトをつけて明るくして電気のいらない釜戸焼きのピザ屋さんで知らない人同士が和気あいあいと食事したと聞きます。ニューヨーカーのそんな気質が大好きです。

しゃけ:
壁にぶつかっても楽しむ気持ちを忘れないのがニューヨーカーでしょうか。

多恵子さん:
どんなに大変でも忙しくてもいつも少しだけユーモアに場所をとっておく心の余裕はニューヨーカーのいいところですね。年齢を気にしないのも好きなところです。渡米最初の頃バーで出会った47歳の女性が「私、女優になりたいの!」って本気でおっしゃって、まだ日本からきたばかりの私はそのとき「えー、いまから?!」と正直思いましたが今となってはニューヨーカーのそういうところが大好きです。 今だったらその人に「頑張ってね、応援してる!」と絶対に言います!

It’s never too late (決して遅くはない)

私も長年のブランクを経てニューヨークで お箏のお稽古に通っています。ピアノのレッスンも昨年から受け始めました。小学校3年生のときに「もう遅い」思ったことを四十路になってから「まだ遅くない!」と始めるあたり、ニューヨークにきて身につけた気質ですね(笑)。夢はいくつになっても追っていい。歌と箏とピアノはこれから一生練習していきたいと思っています。
この秋からはジャズの巨匠たちをインタビューする「ジャズカフェ」というプロジェクトに関わることとなりこちらも楽しみにしています。
アメリカのジャズ界でコツコツと修行と経験を積み上げ、やがて大きなドアを開きたいと思っています。

しゃけ:
貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。多恵子さんの詳しい渡米の経緯や在ニューヨーク20年の足跡がつづられた「Untraveledーニューヨークがジャズシンガーにしてくれたー」(著・瓜生朋美 文と編集の杜刊)は、こちらのサイトにてご購入いただけます。ベテランニューヨーカーも「面白い!」「大満足」と唸る快作だそうです。
アルバム「CONTEMPLATION」の日本での正式発売は2019年11月27日とのこと。詳しくは多恵子さんのホームページをご覧ください。 ぜひ多恵子さんのブログフェイスブックページインスタグラムもチェックしてみてくださいね。

   写真撮影:ベン・シャウル

本 「Untraveledーニューヨークがジャズシンガーにしてくれたー」著・瓜生朋美 文と編集の杜刊 1600円+税

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