イギリス在住のバックパッカー夫婦

留学・海外滞在体験インタビュー第3回目は私と高校時代をともに過ごした(また!)正美さんです。
西高卒で、海外行った人多いよね?

正美さん:
そうだねー。やっぱり公立と言えども、英語教育に力を入れていた学校だったと思うし、何より2年生の時の研修旅行で実際に海外に行って、「将来は留学したい!」って思った人が多かったのでは?実際私もその1人です。
しゃけ:
正美さんは現在イギリス在住で働くママさん。
7ヶ月のルーシーちゃんとルーシー姫を溺愛するジョン氏(旦那様)と緑豊かなイギリスのスタワブリッジという街で楽しくのほほ~んと暮らしていらっしゃいます。
ですよね?
正美さん: ちょっとー、姫だけじゃなく、私も溺愛されていますが!そうですね。ざっと↓こんな感じです。

1995年3月-11月
西高卒業直後、IEF 交換留学生として、オーストラリア、クイーンズランド州のロックハンプトンガールズグラマースクールの12年生に在籍
その間に地元のセントラルクイーンズランド大学人文社会学部を受験して合格したのですが、通常2月からの前期をお休みして、7月からの後期入学にしてもらって、
日本で朝から晩までアルバイトして寮費を稼いでいました。

1996年7月-1999年3月
セントラルクイーンズランド大学
卒業直前に行った卒業旅行先(オーストラリアの首都、キャンベラ)で、ジョン君と「☆運命☆」の出会いを~。

1999年4月-2000年1月
帰国
歯車の会社に就職。社長と常務秘書、海外業務担当
貿易実務や海外業務を学べたけど、「ジャイアンツが負けた翌日は、ホチキスのとめ方まで文句を言う社長」に耐えられず退社。

2000年1月-2月
渡英
イギリスで日本へ行くための資金稼ぎでバイト生活をしていたジョン君と、ジョン君の家族と再会。
一人でバックパッカー旅行開始。
イギリス全土、ストックホルム(スウェーデン)、パリなど。

2000年4月
帰国 (ジョン君は英語教師として就労ビザを取り、来日)

車の部品会社にて海外営業担当。
本当に大変だったけど、やりがいのあるお仕事でした。渡英するまで勤めました。

2002年7月
結婚しました。

2005年4月
渡英
(ジョン君が教職課程を取るために二人で離日・英国永住は元からの約束だったので)

2005年6月
ジョン君と一緒に約7週間のバックパッカー旅行を終え、イギリス到着(大阪からフェリーで上海へ行き、電車で北京へ行き、そこからシベリア特急で、モンゴル、ロシアを経て、バスでエストニア、フェリーでスウェーデン、電車でノルウェー、飛行機でイギリス入り)

2005年9月-現在
バーミンガムのソフトウェア会社で、マニュアルやソフトウェアの技術翻訳 をしています。
(ジョン君は公立小学校の先生をしています)

2008年9月
ルーシーが生まれました。職場復帰は2009年1月からです。

しゃけ:
え!バックパッカーしていたなんて!知らなかった。何カ国を旅したの?
一番好きな国はどこですか?

正美さん:
アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、ロシア、中国、モンゴル、エストニア、スウェーデン、ノルウェー、アイルランド、フランス、イタリア、ドイツ、アラブ首長国連邦、ベルギー、インドネシア、スペインかなー。きっとまだ忘れている国がある。

一番好きな国は、やっぱりオーストラリア。約4年住んでいて、文句がない!人も気候も自然も大好きです。友達もたくさん住んでいるし。
真夏のクリスマスをまたやりたい!あと、西海岸や内陸など行った事がない所にも行ってみたい。
将来時間をかけて家族でまわりたいなー。キャンプとかしながら。あ、あと20年位たってから又シベリア特急の旅をしてみたい(その頃残っていればの話だけど)。
中国とロシアって今猛烈な勢いで変わっているでしょ?それも見たいし、またモンゴルの大自然の中で乗馬がしたいです。

しゃけ:
すごすぎ。http://photos.yahoo.co.jp/mcmcjonjon ←世界中を旅したお二人の写真はこちらです。
モンゴルで乗馬って・・・椎名誠さんじゃないですか!
身の危険を感じたことなかったの?(まあ、ちょっとそこらの男性よりは強そうだけど・・)

正美さん:
確かに強いわね。ふふふ。椎名誠さんはバックパッカーのバイブルだからね~!もちろん読破しましたよ。身の危険を感じたことはまだないです。
本物のバックパッカーと違って、経済的にも余裕のある旅をしているので、危険を冒すことがないというか。やっぱり身の安全が第一だし。
ただ、万里の長城への旅で騙されて、ツアーオペレーターと大喧嘩をしたり、ロシアの偽警官にパスポートの提示を求められたり。

あ、あと昔、下調べをあまりせずにベルサイユに行って、宿がずっと見つからずかなり高いホテルに泊まるハメになったこともあったな。宿のおじさんがかわいそうに思ったのか、
すっごく安くしてくれたんだけど、それでも高かった!ウェールズでも似たようなことがあったな。
それと、膝を痛めて、中国の病院でレントゲンをとられたり、ジョン君もロシアでお腹をこわしたり、スウェーデンでぎっくり腰になったり。
ハッピーな経験ばかりじゃないけど、それも旅の醍醐味なのでしょうね。

しゃけ:
息子には椎名さんのようになってもらいたい!と思う

(今のところ留守番もできない)けど。
将来ルーシー姫が一人旅すると言い出しても「いってらっしゃい~」と送り出せますか?

正美さん:
いやー、無理ー!!!寂しくて、絶えられない!!!心配で眠れないから一緒に行く!!!(嫌がられそうだなー。)
でも実際、性格にもよるだろうけど、一人旅って本当に色々学べるし、できればして欲しいな。
せっかく世界各国に「遊びにおいで!」と言ってくれる友達がいるんだし。

小さいうちから旅に慣れ親しんでいれば大丈夫かな。
やって良い事と悪い事、行って良い所と悪い所とかきちんと教えてね。
ちなみに今年の夏はイタリア。「イタリア人男性は優しいけど、ホイホイついて行ってはダメよ!」って教えなきゃ!

しゃけ:
親の気持ちは微妙だよね。でも、正美さんも日本を飛び出したからこそ、ジョン氏との運命の出会いがあったわけで。

正美さん:
そうですね。彼と出会わなかったら、きっと今、ここまで幸せじゃなかったと思います。
もちろん私の人生でルーシーが生まれたことが1番素晴らしいできことですが、ジョン君がいなかったらルーシーも存在しないので。
あとオーストラリアの大学時代に一生付き合える友達ができたことも私の人生に大きく影響していると思います。

しゃけ:
やっぱりかわいい子には旅をさせるべきかな。
ただ、海外生活も長くなると、日本が恋しくなりませんか?
「正直今、どこで暮らしたい?」という質問にはどう答えますか?

正美さん:
毎日帰りたいですよ!私実家大好き人間なんで。
しかもオーストラリア行った時と違って、イギリスは自分が希望して来た国ではないので!だからこそ嫌な所が目に付くんでしょうね。
今は「発展途上国だからしかたない!」って思うようにしていますが。

しゃけ:
毒舌出たー。(笑)

正美さん:
ただ、子供ができて、「この国もそう悪くないかなー」って思えるようになりました。電車にはバギー専用のスペースがあったり、親切なイギリス人も多いですし。
昨日も電車に乗ったら、何人も助けてくれました。ルーシーが3ヶ月の時、バックパック背負ってバギー押して帰国しましたが、誰も助けてくれませんでしたし、成田エクスプレスにも新幹線にもバギースペースはありませんでした。
だから隣の芝生なんでしょうね。でも何もしがらみ(家族や仕事など)がなかったら、やっぱりオーストラリアに帰りたいです。

しゃけ:
うんうん。私もアメリカで子育て中は、周りの人がみんな親切で、「特別扱い」を感じました。日本では・・・
おっと。テーマを留学に戻しましょう。
「留学したい」と思った一番最初のきっかけを教えてください。

正美さん:
当時(30年前!)にしては珍しく英語教育に力を入れている幼稚園に通っていたので、その頃から英語はずっと習っていました。で、「将来は英語を使う仕事がしたいなー」と思っていました。
高校時代たまたま実家でオーストラリアからの留学生をホストファミリーとして受け入れることがあり、その気持ちが高まったのもあります。
留学生から、オーストラリアでは当時日本ブームで、学校で日本語が必修であったり、親日家が多いこと、何よりアメリカに比べて信じられない位生活費が安いことをききました。それで親も安心したんでしょうね。

高校卒業後の進路を親と話し合っていた時に「とりあえず、交換留学で1年行ってみて、それからその先を考えたらどうか?」といわれてその通りにしました。
実際行ってみて、「1年じゃダメだー」と思い、親に「とりあえず受験だけさせてくれ。」と頼み、ダメもとで受験したら受かったので、そのまま大学に進みました。
普通の留学生はまず大学付属の語学学校に通ってから、大学に進むので、語学学校時代にパソコンの使い方、エッセイの書き方、プレゼンの仕方等を習うのですが、私はそれがなかったので、入学当初は本当に大変でした。

しゃけ:
おお。
30年前!って、そこにまずショックを受けました。
幼稚園児のころから英語を習っていたということは、まずは正美さんのお母様、お父様が英語に興味があったのだよね。
ちなみに、どういう英語教室に通っていましたか?

正美さん:
多分、「将来英語は役に立つだろう」とは思っていただろうけど。
自分達が英語が話せないから、子供が話せると便利だと思ったのかもしれません。
幼稚園の時は、幼稚園に外国人の先生がいて、放課後の英語クラブとかがあったような。それに入っていました。

小学校に入ってからは、早見優のLL教室!(今でもあるのかな?)あんまり意味がなかったような。
でも5年生から本格的な英語教室に行って、グラマーを習い始めました。
近所の個人塾だったんだけど、1対1でした。
まずはアルファベットの発音からきちんと教えてくれたので、後々とても役に立ちました。

高校卒業まで通ったのですが、ずっと発音にはとても厳しい先生でしたね。
(でも、学校で先生に指名されて読むときは、恥ずかしいからわざと下手に読んだりしていました。。。)
今でも宿題を忘れてすっごい焦る夢を見るんですよ!その先生厳しかったから。

しゃけ:
今でも夢を見るほど怖い先生なんて!
でも厳しい先生は熱心だということだよね、やっぱり。
ルーシーちゃんは二重国籍なの?母子同士は日本語で。とか、そういう生活は考えていますか?

正美さん:
そうそう。二重国籍でイギリスと日本のパスポートを持っています。一応日本語で話しかける努力はしています。将来、バイリンガルとまではいかなくとも、日本の家族や親戚と話ができたらいいなーって思って。でも私の日本語がそのまま反映されるかと思うと怖いですねぇ。かなりの毒舌になること間違いない!
しゃけ:
ははは。
ルーシーちゃん、日本語でメールできるようになったら、メールインタビューさせてね。母親譲りの毒舌っぷりを楽しみにしています。

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