ツアーガイドの英語も聞き取れなかったが数年で最新医療の通訳に

現在カナダにお住まいで、10日間にわたる車での旅行から戻ったばかりの優さんにインタビューをしました。

しゃけ:
旅行はどちらに行ってきたのですか?

優さん:
アルバータ州に片道13,4時間を車で行ってきました。
州都のエドモントンから、ジャスパー、レイク ルイーズ、バンフとロッキー山脈の自然を満喫してきました。

留学から帰ってきた2005年から今年(2009年)の5月まで、日本で薬剤師をしていたのですが、カナダ人の彼と出会って、今はカナダで移民申請中です。

<優さん 略歴>

1971年 大阪で生まれる
1989年 大阪府立天王寺高校卒業
1993年 京都薬科大学卒業
1993年4月 大阪ファルマプラン入社 (あおぞら薬局)
社会人3年目の夏休みヨーロッパ旅行後、留学を決意しお金を貯めはじめる
1998年8月(27歳) 語学留学で渡米 南ミシシッピー大学(語学学校)入学
1998年12月 ヒュ-ストン大学に編入
1999年5月 ヒューストンコミュニティーカレッジでファーマシーテクニシャンを学ぶ
2000年9月~ Memorial Hermann Hospital Pharmacyにて1年間勤務
2000年10月~2004年12月 コミュニティーカレッジでクラスをとりながら、パートタイムで働く(Lab assistant)
2004年12月 FPGEE(Foreign Pharmacy Equivarency Exam・外国で薬剤師資格を持っている人がアメリカで薬剤師として働くのに必要なテスト)を受ける
2005年1月 日本帰国
2005年2月 FPGEE合格 薬剤師として就職
2009年5月 退社 カナダへ

しゃけ:
カナダの大自然、すごいですね。
では早速、留学しようと決めたときの状況から教えていただけますか?

優さん:
留学したい気持ちは学生の頃からずっとありましたが、薬学部は融通が効かなくて断念しました。

社会人になって三年目の夏休みに、初めてヨーロッパ旅行したとき、ロンドンの郊外の町並みを見て、「住んでみたい!」と留学への思いが強くなりました。

ただ、そのときの私はツアーの説明(英語)も、ほとんど理解できなかったのです。

オプショナルツアーで一緒になったアメリカ人観光客の方とも、ちゃんとした会話は交わせずじまい。
こんなとき少しでも会話ができたらいいのに・・とおもいましたね。
旅行から帰って留学するまではECCで英会話を習いました。

しゃけ:
留学先をロンドンにしなかったのはなぜですか?

優さん:
実は、留学を決めた時、両親にすごく反対されました。せっかく薬学部を出て、薬剤師として働いているのにどうして?と。
語学留学だけが目的なら留学は駄目と父に反対され、薬剤師が活躍している国(アメリカ)を選びました。

南ミシシッピー大学は「日本人が少ない」と留学の本に書いてあったことと、授業料が安かったのが決め手でした。
知り合いも誰も頼らず入ったほうが英語の勉強になると、一人ポツリと知らない町へ飛び込みました。
今から考えたらよくやったなあと思います。やっぱり若いときは怖いもの知らずですね。
だけどいざ行ってみると、クラスメートに最低5,6人も日本人がいたので、日本語の生活から離れることはできませんでした。
このままではいけない、と、ミシシッピー生活四ヵ月後に転校を決意。
インターネットで、日本人が少なくて薬学部のある大学のある町を検索してヒューストンに決めました。
大学に紹介された変なホームステイ先に三ヶ月ほど住んだ後、一人暮らしをはじめました。

しゃけ:
でも、一人で引越しができるということは、この時点で英語力に自信があったのではないですか?

優さん:
いえいえ。
電気を引いてもらったり、電話線をつなげてもらうのに苦労しました。
カスタマーサービスの人によっては、英語に少しでも訛りがある人を面倒くさがって他のオペレーターにまわすのです。
何度も、同じ説明をつたない英語でさせられて、悔しくて泣いた事もありました。
でも、そうやって、悔しい経験をすることで、「なにくそ!うまくしゃべれるようになってやるぞ」って、勉強したように思います。

しゃけ:
私もアメリカで免許を取るとき、「英語ができない」という理由でと落とされて泣きました。
ヒューストンにはヒロミさん以外の日本人もいたのですか?

優さん:
私の唯一知っていた日本人の友人のルームメイトがひろみちゃんだったのです。
そのうち同じ日本食のレストランでバイトするようになり、仲良くなりました。
最初は、日本人を避けていた私も、ある程度英語ができるようになってくると、日本人の同じ文化を分かり合える人も必要であると感じ始めていました。

友達というのは、自分の「財産のひとつ」だなと思います。
語学学校には英語を勉強しに、或いはアメリカで学位を取る為に、10代から50歳くらいの人(英語はできなくても、

その国ではドクターや先生だったり)が英語を母国語としない国から集まってきています。
そんな環境にいると、私も自然に5,6ヶ国の言葉で軽い挨拶をしたり、それぞれの文化に触れることもできました。

日本では、大学は20代の人が通う場所、というイメージがあります。
でも、アメリカでは40代、50代の学生が居ても全然おかしくない。いくつになっても勉強し直せる。
私自身、20代後半でカレッジに行ってクラスの中で浮くことはありませんでした。
逆に、人生経験の豊富な人にいろいろ教わったり、助けたり、助けてもらったり、いい経験になりました。
“It”s never too late”(遅すぎるということは決してない)という言葉は、私は大好きだし、本当にそう思います。

しゃけ:
友達のことをもっと知りたいと思うからこそ、語学が上達するのでしょうね。

優さん:
テキサスではメキシコ人の移民が多かったのでスペイン語が第二外国語として盛んで、実際に私もスペイン語のクラスをかなり取りました。
日本にいたら、スペイン語を勉強しようなんて思わなかっただろうな。

そこで半年ほど語学を勉強した後、ヒューストン大学に入る予定でしたが、学校の不手際により入学が一年延ばされ、

「1年間待つなんて、どうしよう・・・」と思っていたとき、コミュニティーカレッジにファーマシーテクニシャン(薬剤師助手)のクラスがあることを知り、早速申し込みました。
もうプログラムは1週間後に始まるというときだったのに、学部長のLizさんが迅速に対応してくれたのと、日本での薬剤師経験も幸いして、

プログラムにねじ込んでもらうことができました。
このときのLizさんとの出会いが、私のヒューストン生活をより充実させる鍵になったと思っています。

しゃけ:
ヒューストン生活での思い出深いエピソードを教えてください

優さん:
今になると、笑い話になるような怖い思い出があります。
まずは、車の運転中に反対車線の車がいきなり自分の前に向かって走ってきて、結局は私のもうひとつ先の斜線まで張り込み、

さらには私の車体の右部分全体をぶつけて、当て逃げされたことがありました。
その時は、ほんとに正面衝突されるかという勢いでした。 しばらく車に乗るが怖かったです。

あとは、あの2001年のテロの時、ハイジャックされた4機のうち、最後の一機の行方が分からなくて、ヒューストンが狙われているのではないかということになり、

Downtown近くのMedical Centerで働いていた私は、非難するよ うに言われ、午前中そこそこで家に帰されたのを覚えています。
なんか、悪い思い出ばっかりみたいですけど、いい思い出もたくさんあります。

ヒューストンコミュニティーカレッジでの職場の仲間とよくパーティーをしました。ラテン系の人は、ダンスが好きで、

集まりごとに音楽にあわせて気がついたらみんな体を動かしてる。
ダンスの下手な私もとりあえずは体動かしてました。

お誕生日のサプライズパーティーも何度もしてもらいました。
特に、ひろみちゃんたちにしてもらった、Big 30(三十路)の誕生日は今でもよく覚えてます。
サプライズのはずなのに、ひろみちゃんが入ってくるなり、『ゆうさん、お誕生日おめでとう!!』って言っちゃって、みんな面食らってたの。

しゃけ:
ははは。ヒロミさん!一生忘れてもらえないでしょうね!
そのままヒューストンで就職することは不可能だったのですか?

優さん:
テスト(FPGEE)に受かれば、チェーン薬局が就労ビザのスポンサーになってくれるだろうと思っていたのです。
ところが。。テストの結果が出る前に学生ビザが切れてしまい、日本に帰らなければならなくなりました。

アメリカの薬剤師は医療チームのなかで大きな役割を果たしています。ドクターにも信頼され、意見を求められることも少なくありません。
今の彼と出会うまでは、「アメリカに戻りたい」とずっと思っていましたが、今は、カナダでの免許取得にFPGEEが役立つと信じてまた勉強しなおしています。

ヒューストンには全米No.1いわれるメディカルセンターがあり、その中でもMDアンダーソン癌センターは有名で、各国の患者さんが、最新の治療を求めて訪れています。
日本からも毎年たくさんの医療従事者が見学に来ているのですが、その人たちへの通訳を私が任されたことがありました。
最新医療に関わることの通訳なので、責任が重く大変でしたが、自分にも刺激になることがいっぱいで、専門をもっと勉強しようと思いました。
また、プロの通訳の人はいつも緊張の糸を張り詰めながら話を聞いているのだろうな、と尊敬しました。

しゃけ:
す、すごいです。
留学前はツアーの説明内容を聞き取れなかったのに、数年で最新医療についての通訳ができるまでになったのですね!!

優さん:
去年一人旅でカナダのナイアガラツアーに参加しましたが、一緒になったアメリカ人四人組の観光客の方たちが私とほぼ一緒に行動してくださり、

カナダ旅行のいい思い出になりました。

現在は少しずつですが、カナダの国家試験の勉強をはじめています。
時間はかかっても、また薬剤師になりたいです。せっかく覚えた英語と、薬剤師の免許を両方使いたいですからね。
It’s never too lateを信じて・・・。

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