清水 佑美(しみず ゆみ)Shimizu Yumi Instagram web
東京出身→大阪→岐阜 NY在住
フレキシンダンサー、ダンサーモデル
バスケットに燃える青春時代を送る
大学時代 ダンスサークルに入り本格的にダンスを始める
Dancing Base Zenith(岐阜県) でインストラクター
NYへ 語学留学
2018年・2019年
ダンサーモデル PUMA、JAHNKOY、Tommy Hilfiger
ランウェイモデル NYファッションウィーク
バックダンサー NYアーティスト多数
メキシコへ パフォーマンス招待
MV出演 Ann Nesby
ECON ANIME FEST パフォーマンス出演
2020年
モデル Vellion
MV出演 NYアーティスト
2021年
モデル Mecanico Jeans(メキシカンアパレルブランド)Hipcity Veg (看板)
ダンサーモデル Stadium Goods、Private Policy
2022年
モデル Google pixel 、Apple、Amazon、sistema
Dave & Busters 、Bubblehause、Pinktaco など
ダンサーモデル Tommy Hilfiger、HyperFly
ファッションショーモデル Vandy the pink Timberland
ニューヨーク、ロサンゼルスなどでフレキシンダンサー、モデルとして活躍中
しゃけ:
グーグル、アマゾン、アップル、プーマ・・・お仕事内容がワールドワイド!すごいです。Google pixelの広告では全世界のビルボードに登場したのですか?
佑美さん:
はい。ありがとうございます。大きなお仕事に抜擢していただき、本当に嬉しかったです。Google pixelのモデルは2度声をかけていただきました。ロサンゼルスのワーナーブラザーズスタジオに呼んでいただいて撮影をし、世界中のビルボードに採用していただきました。ラッキーでした。
しゃけ:
いやいや、ラッキーとかそういうレベルではないような。。一番最初のお仕事がPUMAのダンサーモデルですか?
佑美さん:
実は日本で大学卒業後に高校に就職しました。学校事務員です。ダンスへの夢が捨てられずにすぐに辞めてしまったのですが。
しゃけ:
!!なんと!!高校の事務員さんが髪の毛をピンク色に?(笑)幼少期から教えていただけたら嬉しいです。
佑美さん:
ピンクの髪を維持するのは結構大変なんですよ。毎日ピンクのシャンプーをして6週間ごとに美容院に行っています(笑)
東京に10年、大阪に3年住んでいました。中学時代からは岐阜県です。幼稚園時代はサッカー、そのあとはバスケットボールに燃える、完全体育体系健康優良児という感じで、モデルの仕事ができるとは思っていませんでした。
ダンスは18歳の時に大学のサークルで始めました。近所のダンススクールにも通い始めてダンス三昧。「ダンサーが目指す場所はニューヨークだよね」という気持ちからニューヨークに興味を持ちました。友達と旅行でタイムズスクエアに着いた時の衝撃は忘れられません。
「ここで生きていきたい!目指すならトップを目指したい!」と強く思い、語学留学でNYに住むことに。そんな時にダンスモデルのオーディションを受けてみたら受かった!というのがPUMAのお仕事なんです!
しゃけ:
うわ!最初のお仕事がPUMAのジャージのダンサーモデルだったのですね?英語はどうでしたか?
佑美さん:
英語力はゼロでしたね。グーグル翻訳を使って泣きながらがんばりました。惨めでした。仕事の現場には日本人は全くいなかったので、一人わけがわからず、他のダンサーたちともコミュニケーションも取れずに途方に暮れました。何も言えずに泣いている子供のように。ただ、ダンスという言語を越えた表現で評価していただけたので嬉しかったです。






しゃけ:
もしかしたら日本とNYでは、ダンサーに求められるポイントが違うのかもしれませんね。
佑美さん:
日本では「みんな揃っていることが美しい」とされることが多いような気がします。同じような体系、同じような動き、そこから外れたら評価が低くなるというか。
コンプレックスを隠したり、直したりすることが「努力」だと思われていたり。私は日本人が理想とするダンサー像からは外れているタイプだと思います。
しゃけ:
え?佑美さんにコンプレックスが?あるんですか?
佑美さん:
ありますよ~!唇が厚いとか、お尻が大きいとか、ぽっちゃり体系とか・・・。日本ではマイナス面だと思っていたんですけど、NYに来たらそこを逆に褒められたんです。そこがかわいいとかセクシーだと言ってもらえて。より個性的で人と違うことが良しとされることに驚きました。
しゃけ:
確かに日本では「悪目立ち」と言われるような個性的すぎる人が、世界では求められる人材だったりしますよね。
佑美さん:
私の生活圏や仕事場ではほとんど日本人の方に会うことがありません。フレキシンダンスをニューヨークでやっている日本人も私の他には私の親友しか会ったことはないので、もしかしたらそれも個性的というか、希少価値になってお仕事につながったのかもしれません。






しゃけ:
フレキシンダンスというのは初めて聞きました。新しいダンスのジャンルですか?
佑美さん:
FDMというフレキシンダンスミュージックというクラブ音楽があります。ジャマイカ系ですね。ブルックリンのストリートが発祥の地で、2000年ごろに現れたダンスだと思います。フレキシンの中にもいろいろ種類があって、私の得意なスタイルはGliding(グライディン)という足を主に使うダンスです。ふくらはぎとつま先が痛くなります。
パンデミックでお仕事が急に止まってしまった時に、彼女からフレキシンを教えてもらいました。ロックダウン中に自分の部屋とブルックリンの公園で猛練習していたんです。フレキシンという、クリエイティブでユニークでアーティスティックな踊りとカルチャーの虜になりました。アパートの5階の私の部屋でも踊れるダンスです。
しゃけ:
面白い!新しいダンスですね。体幹が鍛えられそうな。NY生活で一番幸せな瞬間を教えてください。
佑美さん:
もちろんよい仕事に恵まれてカメラの前で踊っている時に最高の幸せを感じます。ただNY暮らしがずっと全体的にキラキラしていると思われていたらそれはちょっと違うかもしれません。実際は精神的にも肉体的にもかなり厳しいです。
何度もやり直し、撮り直しということで体力の消耗もすごいのですが、精神的には寂しさや厳しさが常にまとわりつきます。もう二度とNYに来れなくなってしまうのでは?という不安から日本には3年以上帰っていません。
母に泣いて電話をしたり。くじけそうな時も何度もありました。そんな時は父がすごいタイミングでアドバイスをくれます。いつも心が軽くなる言葉をかけてくれてありがたいです。両親のおかげで好きなダンスを続けることができています。世界で一番尊敬しているのは両親です。日本で応援してくれている姉、姪っ子、甥っ子たちにも感謝を伝えたいですね。いつも本当にありがとうございます。
しゃけ:
うんうん。その感謝の気持ちが人々を感動させるダンスにつながるのかもしれませんね。
佑美さん:
パンデミックが明けて仕事が動き出した時に、妙に焦ってしまって落ち込んだりもしました。でも、いつも「迷ったときには輝きを選ぶ」と決めています。複数の道があったとして、よりキラキラしているのはどちらだろう?というのを選択基準にしています。タイムズスクエアのビルボードで自分の姿を見ることを目標にしています!
しゃけ:
わ。聞いているだけでこちらも元気をもらえます。ありがとうございます。メキシコでもお仕事をされたのですか?
佑美さん:
はい。バンドのサポートメンバーとして招待していただき、メキシコで撮影とライブパフォーマンスをしてきました。ニューヨークのクラブで遊んでいると、その場でスカウトしていただいてお仕事につながることがあります。私はお酒が飲めないのでクラブでも真剣に踊っているんですけどね(笑)これからも大好きなニューヨークでダンスやモデルのお仕事を続けていきたいです。
清水佑美さん×しゃけの音声インタビューはこちらから。