サッカー選手からIT企業の営業へ転身したビジネスマン

日本ではサッカー選手だった濱田は、現在NYにも支社のあるIT企業で、持ち前の情熱と粘り強い性格を活かして、営業力を発揮する。「今の時代インターネットを使わないと仕事にならない時代ですし、今後、自分のキャリアや視野を広げていけることもあってIT企業で働くことを選びました」

両親が体育教師だったこともあり、幼少の頃からスポーツは常に周りにあった。93年に開幕したJリーグに魅了され、サッカーに夢中になった。 やがて市立船橋サッカー部所属し、2・3年時には全国優勝を経験、大学時にはフットサル日本代表の選出、大学卒業後はザスパ草津チャレンジャーズチームでプロへの道を目指した。

高校時代にヒップホップに出会ったのがきっかけで、アメリカのカルチャーに興味を持ち始めた。 2007年ザスパ草津時代のオフシーズンに、1人でNYへ観光にきた。 そのNYへの旅行が人生の転機をむかえることに。

それは偶然、人事採用のため来日していた旅行会社で当時の人事部マネージャーから、NYへ向かう飛行機の中で名刺を渡されたことだった。「飛行機の一番後ろにあるCAさんが座るイスに座って、自分のサッカーの写真を見ていたところ、声をかけられました。彼も野球をやっていたらしく、スポーツの話をしているうちに、もしよかったらうちの会社へ来ない?って名刺をいただいたんです」NYに渡り、ロウアーイーストサイドにあるドミトリーに20日間滞在していたが、NYで過ごすうちに、「こんな街で働けたらな」という思いが強くなっていった。

「飛行機の中で名刺をもらったことをルームメイトに話したら、電話をかけちゃえばっていう話になって、勢いもあってか何も考えずに、電話をかけてみることにしました。最初は、応答がなかったのですが、留守電を残したりしながら4,5回電話をかけました。そのうちにコールバックがあって、今もその初めてお会いした日の状況を覚えているのですが、41丁目のマディソンアベニューにあるスターバックスが混んでいて、マクドナルドの地下で話をしたんです」

NYで働くには就労ビザが必要であるが、取得のためにはキャリアがない場合、4年制大学卒でその業種に関する単位が必要となる。 「そこでは4年制大学を出ていることを伝えました。次の日に連絡があって、3日後にはオフィスへ行くことになりました。旅行で来ていたため洋服はカジュアルなものしかなかったので、GAPへ行ってピッタリした白いシャツだけは買いました。ヒップホップが好きだったので、パンツもジャケットもダボダボしたものでした。面接では、社長から直々にいろいろと質問をされたのですが、その場で、『サッカーチームの契約更新をしないでNYに来ます!』って、言い切ってしまいました。

その時に、これからサッカーを続けたとしても、30代くらいで引退しているだろう自分が見えていたんです。それよりも、海外にでて自分がこれまでにやってこなかった世界へ身をおいて挑戦することの方が魅力的でした」このビジョンと決断力こそが決め手となったのか、即決で、内定をもらったという。

いったん日本へ戻ってから、VISAを取得して渡米。最初の3年は旅行会社(IACE TRAVEL)で働き、3年目でグリーンカードを取得した。「グリーンカードを取得したことにより、VISAに縛られることなく自由な身になったので、自分の好きなエンターテイメント業界(OLD SOULZ Ent)へトライしました。そこで1年働きましたが、思うように芽が出ず、安定を求めて食品業界(Morinaga America, Inc.)へ転職しました」

担当していたのは、北米のアジアンマーケット。ウォルマートやCOSTCOなどにもHi-Chewが入り始めたときで、どんどん全米に広がっていき、MLBやNBAなどスポーツチームのスポンサーをやり始めた頃だった。しかし今度は、さらに自分の成長を求めて、IT業界(IIJ America, Inc.)へ転職したという。

「ITの業界は、色々と細かい作業が多いですが、学ぶことが多く楽しく仕事をしています。 社会人になって既に3回転職していますが、常に意識しているのが、その環境で自分自身を成長させることができるか、できないかで転職先を選んでいます。常に会社とは50/50だと思っていて、会社に寄り掛かるようなことはしたくないですねぇ。学ぶことを学んだら、次に新しいことを学べる環境を求めて転職すると思います。」

アメリカでは、正社員でも会社からその人材が必要ないと判断されれば、レイオフされるのが当たり前の世界。どんな方面であっても自分自身がスキルを磨いておかなければ、生き残っていけない。会社に所属していたとしても、自分の能力を磨いていって、次へと自らを売りこんでいかねばならない、個人経営をやっているようなものだ。
 「どこかでサッカーしかできないっていうのが、自分の中でコンプレックスだったと思うんですよね。だからこの10年はサッカー業界では仕事をせずに、あえて自分が知らない世界に身を置き、自分自身を成長させることにフォーカスしていました。 今後の私のビジョンとしては、やはり自分を育ててくれたサッカーの業界に戻ると思います」スポーツと仕事の両立、彼ならば果たせるに違いない。

最後に、私の個人的な感想になるけど、アメリカにはスポーツエージェント(プロスポーツ選手を売り込む代理人)という業種がある。スポーツと営業のどちらも熟知しているので、その世界に向いてるのでは?と思う。<敬称略 取材・執筆 ベイリー弘恵>

【プロフィール】
濱田雄也(はまだゆうや)
1984年生まれ、千葉県出身。6歳からサッカーチームに所属。
市立船橋高校、帝京大ではゴールキーパーをしていた。
2007-2008年、ザスパ草津チャレンジャーズで活躍。

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