Live from New York

その朝、僕が日課のメディテーションをしていた時に電話のベルが鳴った。
いつもは、メディテーションの最中の電話はとらないことにしている。
でもその日、僕はその電話をとった。
ダンサーの友人の女の子からだった。
「ねぇ、ワールド・トレード・センターで、なんか大変なことが起きてるらしいよ、飛行機が突っ込んだんだって。」

テレビをつけると、ワールド・トレード・センターの上階から灰色の煙が上がっている映像が映し出されていた。
この時はまだ、深く考えていなかった。

「また、セスナが突っ込んだんでしょう」と適当に返事をして電話を切り、途中だったメディテーションの続きにもどった。
小型のセスナが高層ビルに激突するという事故、あるいは故意に激突させる事件というのはこれまでにも何度かあった。
それに、ワールド・トレード・センターは、1993年にもテロの標的になり、地下駐車場が爆破されている。

3分もしないうちにまた電話のベルが鳴った。
「だめだこりゃ、今日は誰も俺にメディテーションさせてくれないみたいだね。」
電話をとると、全米ツアーでのルームメイトだった別の友人からだった。

「テレビ見てるか? 大変なことになってる。」 彼の声は震えていた。
いつもは穏やかな彼の、ただならぬ声の震えに驚いて、またテレビをつけると、
ツインタワーのもうひとつのビルからも灰色の煙が上がって、ニュースは大型旅客機がビルに向かって

フルスピードで突っ込んで行く映像を何度も再生していた。

「このまま、戦争になるかもしれない。」 と彼は震える声で言った。
彼が本気でそう思っているというのが、彼の声の震え方で伝わってきた。

電話を切って、マンハッタン西56丁目にあった当時のアパートの4階の道路に面した非常階段に出てみた。
ミッドタウン・マンハッタン、しかも火曜日のラッシュアワーである。
普段ならば、騒音でいっぱいのはずのこの辺りがこの時、説明のできない静けさに包まれいた。

時々、通りかかる車の音が、静寂の中で何倍にも増幅されてビルの谷間にこだましている。あの表現のできない静けさを、今でもはっきりと思い出すことができる。

「世界が静止しているんだ」 と感じた。

時間というのは、それを一定の空間の瞬間の積み重ねを一分ならば一分として認識する人達の合意の上で、はじめて成り立つ概念である。しかしこの時、その概念は意味を持っていなかった。この時、僕の感じた限り、ミッドタウン・マンハッタンはぴたりと静止したまま、固唾をのんでいた。そして、その静寂の中であの声は聴こえてきた。

「殺してやる!!俺がみんな殺してやる....」

その声は、空洞のように静まり返ったミッドタウン・マンハッタンの中で、届くあてもないまま、
ビルの壁から別のビルの壁へと反響して悲しげに彷徨っていた。

ハドソン川の方に目を向けると、僕のいた同じ4階の数軒となりのアパートで、
コードレスフォンの子機を片手に持った男が、非常階段から西56丁目に向かって、
いや、ある意味では全世界に向かって、悲痛な叫びを繰り返していた。

「俺を殺したいのか!!俺がお前を殺してやるぅぅ...」

2001年9月11日はそのようにして始まった。
あの日を境に世界が変わったかどうかはわからない。
でも、あの日を境に僕は変わった。

妻は当時、僕たちの住んでいたアパートから2ブロックしか離れていない、インド資本の投資会社の受付をしていた。
あわてて、彼女の会社に電話をすると電話には出たものの混乱の電話処理に追われていて、なかなか話ができない。
まず考えたのは、とにかくワールド・トレード・センターまで行ってみなければということだった。
この時にはもう、ふたつあったビルとも崩壊して、3000人近い犠牲者が崩壊したふたつの高層ビルの瓦礫の下敷きになっていた。

「とにかく、行ってみれば何かできることがあるかもしれない。一人でも多くの人を助け出せることができるかもしれない。」

しかしこの時、ニューヨークのローカルニュース・ケーブルチャンネル、ニューヨーク1からは、
ワールド・トレード・センターの近くにあるニューヨーク市庁舎から、
やむなく脱出せざろうえなかった当時のルドルフ・ジュリアーニ市長がニューヨーク市警察とともに事件現場から北に向かって歩きながら、

ニューヨーク市民に向かって、「今、キャナル・ストリートから南にいる人達は、とにかく北に向かって歩いていくように。

地下鉄もバスも止まっているので、とにかく歩いて北に向かっていくように。

それ以外のニューヨーク市民は冷静さを保って、家でじっとしているように。 混乱を更に招くだけなので、決して現場に集まらないように。」 というメッセージを伝え続けていた。

なにもできない無力感に僕のいらだちは次第に高まっていく。
気がつけば、携帯電話が不通になっていた。かろうじてアパートの電話の地上ラインは繋がっている。
友人と何度も電話連絡を取り合いながら情報を交換しあっていた昼近く、妻が会社から戻ってきた。
現場に行くことはできない。二人で話し合って、近所の病院に行ってみようということになった。輸血の血液が必要かもしれない。

最初に訪れた西58丁目のルーズベルト病院では、職員が救急患者の対応におわれていて、僕たちのできることはないと言われた。
南に向かって西52丁目のセント・ビンセンツ・ミッドタウン病院に行ってみる。ここでは、混乱を避けるため救急患者以外の外来をドアを閉めてシャットアウトしていた。どの病院にも僕達と同じ思いのニューヨーカー達が集まっていた。
今は病院で僕たちができることはないと、この時二人で判断した。

この時から、現場から5キロほど離れたこの辺りでも、きな臭い異臭が臭うようになってくる。今までに嗅いだことのない、はじめての臭いだ。
自然の中には決してない、人口物の鉄のかたまりを急激に高温で摩擦溶解させた時に出る

独特のきな臭さが東京の江東区とほぼ同じ大きさのマンハッタン全体を包みこんでいた。
灰色と黄色の混じった煙が、南の方角から上がっているのも見える。

次に西66丁目にある赤十字本部ビルに二人で行ってみようということになった。ここで、ボランティアの受付をしているという情報が入ったからだ。
ここでも、何千というニューヨーク市民が、ブロックをまたいで長い列を作っていた。みんな気持ちは同じなんだ。

シティーブロックふたつ分の大きな赤十字本部ビルでさえ、対応がしきれずに隣にあるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア・ハイスクールの大きなオーディトリアムを借りて、何十人もの赤十字職員がボランティア志願の人々のインタビューをしていた。

列に並んで待っている間、このオーディトリアムでニューヨークに渡って二回目の舞台出演であったダンスコンサートで踊ったことを思い出していた。20分ほど列に並んで自分の番がやって来た。名前と住所と電話番号を聞かれた後、職業を聞かれる。

「アクターです。」

誇りを持っていたアクターというプロフェッションがこのような非常事態ではなにができるのだろう? 正直に言って、この時、無力感を感じてしまった。
インタビューをしてくれた赤十字職員の同世代と思われる男性は、

「来てくれて本当に感謝しています。今は混乱していて何も言えないけれども、

この先、何かしてもらえることが必ずあるから、その時には必ず連絡します。」
と言ってくれた。

あてもないまま、二人でタイムズ・スクエアーまで歩いた。タイムズ・スクエアーにはアクターズ・テンプルという、シナゴーグがある。

そこに行けば、何かできることがあるかもしれない。

歩きながら空を見上げてみた。皮肉にも、濃い水色のこれ以上にない爽やかな秋晴れの空である。

3機のアメリカ空軍ジェット戦闘機が低空飛行で大爆音を響かせながら南のダウンタウンに向かって青い空を横切っていく。
タイムズ・スクエアーに着いて、そこで見た光景を今でもはっきりと思い出すことができる。

北に向かって歩いてきた事件現場近くにいた人達が、真っ白な灰をかぶったまま、一言も発せずに歩いていた。
何百という白い影が、無言でタイムズ・スクエアーをアップタウンに向けて歩いている。
あるものは、前を向き、あるものは焦点の定まらない目をうつむかせて一歩ずつ着実に北に向かって歩き続けていた。

今思えば、その一歩は、生に向かう一歩であったんだ。
この時、彼らが北に向かって一歩ずつ歩き続けることは、死から一歩ずつ離れていって、

生きること、これからも生き続けようとすることを意味する一歩だったんだと今になって考える。

その夜、近所のルーズベルト病院でようやく夫婦二人で、ボランティアをやらせてもらうことができた。
僕は、ヒスパニック系の病院職員といっしょに、近所の非難施設に新しいシーツなどをバンに乗って運ぶ。
妻は病院に搬入された犠牲者患者のリストを手渡され、病院の受付に立ち、行方不明の家族や友人を捜し、問い合わせにやって来る人達に対応するという辛い仕事を与えられた。

シーツを運び終わった僕も後からこの仕事に参加し、僕と妻、そして中年の白人女性の三人で対応にあたった。
「うちの息子がまだ帰って来ないのだけれど、こういった名前の患者はこの病院に運ばれてきていますか?」リストを調べて名前を探す。

「申し訳ないけれど、そういった名前の人はここには運ばれてきていません。」

問い合わせにやって来たほとんどの人達に、そう答えなければいけなかった。
もし、僕の妻が、そして僕の家族がこの日、行方不明になったとしたら...
行方不明の家族や友人を必死で捜す人達に対応しながら、そう考えずにはいられなかった。

そして、その時は気づかなかったのだけれど、この時にいっしょにこの仕事をした、

ルースと名乗ったその中年女性は、1997年のニューヨーク市の市長選挙に立候補して、ルドルフ・ジュリアーニに惜しくも破れた、元市会議員で政治活動家のルース・メッシンジャーさんだと後で気づいた。

くしくも、この2001年9月11日、ニューヨーク市では、ジュリアーニ市長の後任を決める市長選挙の投票日に予定されていた。

こうして、2001年9月11日は終わった。

あれから8年の歳月が過ぎ、その8年間の自分を振り返ってみると、あの日から確実に僕の生き方が変わったと思う。

この2001年は、前年の2000年に1年半に渡ったミュージカル“王様と私”の全米ツアーを終えたが、

その後、なかなか次の仕事にありつくことができずに、ニューヨークのショービジネスの厳しさを実感しつつ、虚脱感とその後のうまくいかない結婚生活に苦しんでいた時期でもあった。

でも、ある意味でその後の僕を支え続けててくれたのは、あの時、赤十字職員の言ってくれた
「この先、何かしてもらえることが必ずあるから、その時には必ず連絡します。」という言葉。

この言葉を僕は、「自分を信じて、自分の一番愛することを続けて成長して行けば、必ずなにか人のため、自分のためにも出来ることがある。」と受け止めて、今でも続けている。
その数ヶ月後、赤十字から、一通の感謝状が届いた。

「2001年9月11日にあなたの応えてくれた大切な援助に対して、ここに感謝状を送らせていただきます。」

そして、あのルーズベルト病院の受付で感じた家族や友達の大切さ。
「あなたが僕の人生にいてくれるから、僕の人生は素晴らしいものになっています。」
そんな、エルトン・ジョンの歌に出てくるようなセリフはなかなか人に言えないけれども、自分なりにその気持ちを家族や友達に表現しようと努力している。

2001年9月29日土曜日。
この日、1975年から続き 、エディー・マーフィー、マイク・マイヤー、ウィル・ファレルなど、
数々のコメディー俳優を生んだニューヨークからの生放送人気番組“サタデー・ナイト・ライブ”が、あの事件からはじめて、生放送を再開した。

番組は自らも何度もゲスト・ホストとして出演したサイモン・アンド・ガーファンクルのポール・サイモンの歌う、“ボクサー”の生演奏で始まった。

“切り裂かれたリングにボクサーは立つ
あいつは喰うために戦うんだ
こぶしのひと振り、ひと振りが、あいつに刻み込まれる
叩きのめされ、怒りと屈辱に
もうだめだ、もういやだと叫びながら
それでも、あいつはまだ戦い続ける
ライラライ...ライラライラライラライ...”

ロックフェラー・センター・スタジオから生放送で歌う彼の後ろには、ニューヨーク市警察とニューヨーク市消防局のユニフォームの人達が整列している。

ポール・サイモンが歌い終わると、ルドルフ・ジュリアーニ市長が制服の警察官、消防員達の前に進み出て、神妙な面持ちで静かにカメラに向かって語り始めた。

「私たちはテロリストの攻撃を受けましたが、ニューヨークはいつもどおり、そしてサタデー・ナイト・ライブも予定どおり、新しいシーズンを始めます。」

ここで、プロデューサーのローン・マイケルズがこれも神妙な面持ちで出て来てジュリアーニ市長におそるおそる質問する、

「でも、笑わせてもいい?」

ジュリアーニ市長は答える

「今からはじめなさいよ」

そして、番組の最初に必ず言う言葉、

“Live from New York, It’s Saturday night!!”

「ニューヨークからの生放送、サターデーナイトです!!」

という言葉をジュリアーニ市長自らがカメラに向かって叫ぶ。

しかし、“Live from New York!!”と彼がカメラに向かって叫んだ途端、

公開生放送のスタジオの観客は割れんばかりの拍手と歓声でその言葉に応えて、

ジュリアーニは次の“It’s Saturday Night”という言葉がなかなか言えない。

“Live from New York”

“Live”という言葉は、ここではもちろん生放送の意味だが、生きているという意味の“Live”という意味も含まれている。

「ニューヨークから生きている」

このジュリアーニ市長の言葉を聞いて、僕はこの時、テレビの前で涙が止まらなくなった。
スタジオの観客の拍手と歓声は、まだ続いている。
そして、ジュリアーニ市長はカメラに向かって叫んだ、

“It’s Saturday Night!!”

<やす鈴木>

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