あの頃、毎日のようにツインタワーへ 9.11から25年、千子さんが語る人生<第四回>
18歳か19歳の頃だった。初日の出を見ようと、夜中に弟さんと山道を車で走っていた。運転していたのは千子さん本人。長いカーブが続く山道で、一瞬だけ眠気に襲われたという。
「ハッと目を覚ましたら、車が待避スペースに止まっていたの。その数メートル先は崖だった。あと少しだったら、本当に落ちていたと思う。」
静かに当時を振り返る。
「その時、ご先祖様に『見守られてる』って思ったの。」
偶然だったのかもしれない。でも千子さんにとっては、それ以来、「見守られている」という思いが心の支えになっているという。
子どもの頃の忘れられない記憶
千子さんは、もう一つ、幼い頃の出来事を話してくれた。いつも遊んでいる神社で3、4歳の頃、一人でいるところを知らない大人に手を引っ張られて、境内の人目のないところに連れて行かれたことがあったという。幸い大きな被害には至らなかったが、とても危険な状況だった。
「母は何かを察したんでしょうね。」
翌日から、千子さんは髪を短く切り、ズボンばかり履かせるようになった。まるで男の子のような格好で育てられたという。
「子供の頃は嫌だったの。でも今になって思えば、母なりに必死で守ろうとしてくれていたんだなって。今の時代なら子供を殺す人さえも居るのだから、私はラッキーだったかもしれない。」
子どもの頃には理解できなかった親の愛情。大人になった今だからこそ分かることがある。
「だから私は前を向ける。もちろん失敗もいっぱいしてきたわ。でもね、全部意味があったと思うの。」
事故になりかけたこと。子供の頃の怖い経験。思い通りにいかなかった出来事。どれも決して「良かった出来事」ではない。それでも、その経験があったから、人の痛みが分かるようになり、家族やご縁を大切に思えるようになったという。
「私は『ポジティブな失敗』って呼んでるの。」
その言葉には、長い人生を歩んできた人だけが持つ重みがあった。
千子さんの話をさらに聞いていると、人生の中で何度も「命」について考える出来事を経験してきたことが分かってくる。
一度目は次男、そしてさらに、ご主人の心臓発作だった。けれど、その話に入る前に、会話は意外なところから始まった。
日本は、本当に「貧しくなった」のだろうか
「タイの方が日本より豊かになったって聞いて、びっくりしたんですよ。」
と千子さん。自然と日本の暮らしの話になった。
「日本は貧しくなった。」最近、そんな言葉を耳にすることが増えた。
給料はなかなか上がらない。
物価は上がる。
将来への不安もある。
でも、千子さんは少し首をかしげた。
「私はね、日本にはまだまだいいところがたくさんあると思うの。」
「例えば?」
「医療。」
アメリカに住んだから分かること
「アメリカはね、本当に医療費が高い。」
そう話し始めた千子さんの表情が少しだけ真剣になる。私も1オクターブ声のトーンがあがった。
「アメリカは医療費、めっちゃ高いですよね。」
アメリカでは救急車を呼ぶだけで、1000ドル以上(日本円にすると15万円以上)かかることもある。ER(緊急外来)に、ちょっとだけお世話になっただけで、保険があっても自己負担だけで500ドルを超えた。
「日本にいると、病院へ行くことをそんなに深刻に考えないでしょうけど、アメリカでは、『この治療を受けたら、一体いくら請求されるんだろう』って考える人が本当に多いのよね。」と千子さん。
もちろん、保険の種類や加入状況によって事情は違う。それでも、日本とは医療に対する感覚がまるで違う。
そして、この話は千子さんにとって、単なる「日米の医療制度の違い」ではなかった。そんな高額なアメリカの医療制度の中で、ご主人が救われたというのだ。
「うちの主人が心臓発作を起こしてね。そのまま救急搬送されて。そしてバイパス手術になって、命に関わる大きな手術だった。その時に、本当にいい先生に出会えたの。」
主治医は、コロンビア大学の系列病院で心臓外科を専門とする医師だったという。その後も腎臓の治療が必要となり、移植の準備も進めているそうだ。
Medicare(アメリカの公的医療保険制度)に助けられた
「Medicareのおかげで、本当に助かった。もちろん自己負担はあるけれど、それ以上の医療費はかなりカバーしてもらえたの。」
私は思わず口にした。
「数十万ドルとか、かかりそうなイメージでした。」
「そう思うでしょう? 私も最初はそう思った。」だからこそ、公的な医療制度のありがたさを実感したという。
「本当に夫の命を助けてもらった。」その一言に、制度の説明以上の重みがあった。
日本の医療って、すごいんだよ
「日本って、救急車もすぐ来るでしょう。保険制度もしっかりしている。でも、それって世界では当たり前じゃないの。もちろん課題もある。でも私は、日本の医療って本当にすごいと思う。日本では、先生たちも、本当に大変。介護のお仕事をされている方もそう。」命を預かる仕事であり、責任は重く、決して楽な仕事ではない。
「だからこそ、もっと評価されてもいいと思うの。病院を支えているのは、人なのだから。」
医療費が高額なアメリカに暮らしながらも、必要な医療を受けることができ、ご主人の命も救われた。
そう考えると、千子さんはやはり、「見守られている」人なのだ。
そして今年、9.11同時多発テロから25年を迎える。かつてツアーガイドとして、ほぼ毎日のようにツインタワーへ通い、そこで働くセキュリティガードの皆さんと顔なじみとなり言葉を交わしていた千子さん。その当時の写真を見ていると、25年という歳月の重みを改めて感じずにはいられない。

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