「ご先祖様は、ちゃんと見ていてくれる。」─勘を信じて生きる、千子さんの人生哲学<第三回>
「私、ご先祖様にお願いするんです。」千子さんが、ふとそんな話を始めた。
「子供だけは守ってください。」毎日そう願うことが、自分にとって当たり前になっているという。家には神棚があり、「ご先祖様」と書いた札を置いている。
「気休めかもしれない。でも、自分は何度もご先祖様に助けられてきた実感があるんです。」
宗教の話ではない。誰かに信じてほしいという話でもない。千子さんにとって、ご先祖様に手を合わせることは、ごく自然な日常の一部なのだ。
勘って、みんな持ってると思うんです。
「最近は、あまり考えないようにしてるんです。」
「考えない?」千子さんの突拍子もない発言に、思わず私は繰り返した。
「うん。勘で決めます。」
この人と会いたい。
ここへ行きたい。
何か違う気がする。
そんな心の小さな声を、できるだけ無視しないのだという。
「人間って、本当はみんな勘を持ってると思うんですよ。動物は勘だけで生きていますよね。人間だけが、考えすぎて分からなくなっちゃう。」
たしかに私にも、思い当たることがある。ライターという仕事をしていて、「なぜかこの人に会いたい」と思って取材をお願いした人が、その後何年もの付き合いになることがある。
偶然だと思っていたことが、あとから振り返ると全部つながっている。そんな経験は、一度や二度ではない。
神社とご縁がある家系だった
さらに話を聞いていると、千子さんは愛知県一宮市にある神社とご縁がある家系で育ったことを教えてくれた。名前の「千」も、その神社に祀られている神様の名前から一文字をいただいたという。だから特別な力がある、という話ではない。
ただ、小さい頃から「目に見えないものを大切にする」という感覚が、ごく自然に身についていた。
「信じる者は救われるっていう言葉がありますよね。私は、あれは本当にいい言葉だと思うんです。」その言葉を聞きながら、私は「信じる」ということは、自分自身や人とのご縁を信じることでもあるのだと感じた。ご縁は、自分では選べない。
自分を信じること。
自分の勘を信じること。
そして、人とのご縁を信じること。
夢を否定する人とは、一緒にいなくていい
私はこれまで、近しい人と突然距離を置いたことが何度かある。価値観の違いやすれ違いから、最後は離れることを選んだ。そのたびに、「あれでよかったのかな」と何度も自問自答した。
その話をすると、千子さんは否定も同情もしなかった。「何事も学びがあるから。世の中には『断捨離』という言葉がありますよね。人間関係も同じなんです。」無理に誰かとつながり続ける必要はない。人生には、それぞれ進むタイミングがある。一緒に歩く時期が終われば、自然と離れていくこともある。それは決して失敗ではない。
「私は、夢を語るのが好きで、せっかくニューヨークに渡ってきたのだから、『こんなことをやってみたい、あんなことを実現できないかな~』って、ついつい口に出してしまうんです。すると、相手によっては『そんなの無理だよ』『できるわけないよ』って言われることもあります。」
「自分がやりたいって流れに乗って、上がっていけばいい。自分を否定する人と一緒にいると、自分まで小さくなっちゃう。だから離れてよかったんですよ。」責めるような口調ではなく、人生をたくさん経験してきた人だからこその、優しい言葉だった。
ご縁は、自分では選べない
会話はいつしか「前世」の話にまで広がっていった。
説明はできないけど確かに、「あの出会いが人生を変えた」と思える瞬間があるのだとか。人生には、理屈だけでは説明できないことがある。
ご先祖様なのか。
勘なのか。
ご縁なのか。
答えは誰にも分からない。
穏やかな笑顔で「私は、その勘を信じて生きています。」と、千子さんが言った。
ポジティブな失敗
「失敗したって思ってる出来事も、あとから振り返ると必要だったって思える日が来ますよ。」
思い通りにならなかったこと。
離れていった人。
悔しかった出来事。
その瞬間には意味が分からなくても、時間が経って振り返ったとき、「あの経験があったから、ここに来られた」と思えることがある。そして、その先にはまた、新しい出会いが待っている。
「ポジティブな失敗。」千子さん流、失敗をただの後悔で終わらせないということだ。そこから何かを学び、次の場所へ進んでいけば、それは人生を前へ動かしてくれた大切な経験になる。
こうして千子さんと同じテーブルを囲み、お話を聞けたこともまた、ご先祖様によって与えられているのかもしれない「ご縁」であり、「経験」となっていくのだろう。
<取材・執筆 ベイリー弘恵>

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