武内 剛(たけうち ごう)Go Takeuchi Instagram YouTube
映画監督・プロデューサー https://padreproject.jp/
1980年 愛知県・名古屋市に生まれる(父カメルーン人・母日本人)
2004年 ニューヨークへ HB studioで演劇を学ぶ
2012年 帰国 お笑い芸人【ぶらっくさむらい】としてデビュー
2017年 「エンタの神様」「おはスタ」等、テレビ舞台出演多数
R-1グランプリ準決勝進出 第 1、2 回歌ネタ王準決勝進出
2022年 日本とイタリアで映画『パドレ・プロジェクト/父の影を追って』製作・企画・監督・出演・プロデュース・編集・ナレーションを手掛ける
2023年5つの映画祭で賞を受賞 ニューヨークへ
2024年5月 株式会社ぶらっくかんぱにー代表取締役就任
2024年8月31日より、日本全国ロードショー開始
https://padreproject.jp/#theater
しゃけ:
映画『パドレ・プロジェクト』の映画館上映が続々と決定しているようですね。おめでとうございます!お忙しい中NY1page.comのためにお時間をいただき、ありがとうございます。
武内監督:
こちらこそ、映画『パドレ・プロジェクト』に興味を持っていただき嬉しいです。
ありがたいことに自分の今までの人生で一番忙しい日々を過ごしています。こんなことになるとは想像していなかったんですけど。
NY1page.comのライターひろえさんとは、ニューヨーク時代に知り合いました。もう15年ほど前になるでしょうか。ニューヨークで演劇のクラスを取っていた頃です。
しゃけ:
14年前の武内監督のギター弾き語り(貴重映像)はNY1page.comのYouTubeで見ることができます!
幼いころから映画に興味があったのですか?
武内監督:
小学生の頃は絵を描くのが好きで、漫画家になりたいと思っていました。映画は高校時代に影響を受けましたね。スパイク・リー監督の映画が特に好きです。
スパイク・リー監督、マーティン・スコセッシ製作の『クロッカーズ』は繰り返し観ていて、実は『パドレ・プロジェクト』の中のあるシーンでオマージュさせていただきました。
嬉しいことに映画祭で5つの賞をいただきました!
2021年のクラウドファンディングから始まった『パドレプロジェクト』の企画、プロデュース、出演、監督、編集、ナレーションは僕がやっています。協力してくださる方々が日に日に増えて、皆さんのおかげでバク進し続けています。どこまで行くのか・・・自分でも驚いているところです。このインスタライブもそうですしね。少しでも多くの方に『パドレプロジェクト』を観ていただけたら嬉しいです。特に若い方たちにぜひ映画館を体験してもらいたいです。
しゃけ:
監督ご自身はどのような青年時代を過ごされていましたか?
武内監督:
思春期あるあるで、みなさんそうかもしれませんが、プライドが高く格好つけることに夢中でしたね。今思えばとても格好悪いんですが(笑)
アイデンティティーの悩みを誰にも話せなかったのは辛かったです。父とは2歳に会ったきり。全く記憶に残っていません。アフリカ系の方との接触のないまま、英語も話せずにギリギリ高校を卒業。卒業後は進学も就職もせずにフリーターで、ダークサイドにいました。
女手ひとつで自分のことを大切に育てくれ母に「この国が嫌だ!」「なぜ産んだんだ!」と言ってしまったことがあります。
しゃけ:
お母さまの反応は?
武内監督:
母はひたすら「ごめんなさい」と言いながら号泣していましたね。本当に申し訳ないことを言ってしまったと後悔しています。
母は今78歳で認知症が進み老人ホームにいますが、若いころは20カ国以上を一人旅するような女性でした。イタリアが気に入った母はペルージャの語学学校でカメルーン人の父と出会います。そして生まれたのが僕。母はその時30代だったので、子供を持つなら最後のチャンスかもしれないと、「一人で産んで育てる」と決心をしたそうです。
日本に帰って出産。僕は0歳から保育園に。母は証券会社の営業をしていて、仕事大好き人間でした。シングルの家庭の割には貧困を経験することもなく、そんなに嫌な思いもせずに幼少期を無事に過ごせたのは母のおかげです。
見た目のことでいじめられないようにと地元の学校ではなく、越境入学させてもらって、小1から地下鉄に30分乗って小学校へ行っていました。
しゃけ:
おお、お母様、強い!そして深い愛を感じます。お父様へはどんなお気持ちだったのですか?
武内監督:
これも母親のおかげなんですが、父の悪口を聞いたことはなかったのでマイナスイメージはありませんでした。嫌な思い出も何も、音信すらないので・・・。アーティスト気質でドキュメンタリー映画の監督を目指していたと聞いていました。
しゃけ:
え!?ふむふむ・・・。この続きは映画を観てから・・・ですね!
アイデンティティーに悩んだ時期をどうやって乗り越えたのですか?
武内監督:
日本を出てみたことが大きな変化に繋がりました。音楽が好きだったのでジャズの街を歩いてみようと、ニューオリンズから一人旅をスタート。グレイハウンド(バス)やアムトラック(電車)で、メンフィスやシカゴ、ニューヨークに滞在しました。
ニューヨークに着いた時、「最高!なんて居心地がいいんだ、ここが僕の居場所だ!」と思いましたね。誰からもじろじろと見られることがない。むしろこの電車一車両の中に同じ人種の人がいない!(笑)
いったい今まで何を気にしていたのか、何をくよくよ悩んでいたのかがわからなくなるほどの衝撃でした。
しゃけ:
ほほう!
武内監督:
若いころにコンプレックスだと思って悩んで苦しんだことは、大人になったら強みになる。強みにする!と思いましたね。
ただ、ニューヨークは才能豊かなトップクラスの方たちが常にたくさんいるので、その中でエンターテイメントで自分がどこまでできるんだろうか?という新たな疑問が湧いてきました。英語もそんなに流暢ではないし、歌もギターもそこまでうまいわけではないことが明らかだったので。
ビザの申請のために弁護士さんとお話した時に、ニューヨークでの経験を持って東京に行けば仕事につけるのでは?と助言していただいたのをきっかけに、帰国を考え始めました。
その時はもう、いかにして自分を見てもらえるか?と思っていたので、日本でなら目立てるかも?という状態です。コンプレックスって一体なんだったんだろう(笑)
しゃけ:
おおおーーー。「若い時のコンプレックスが大人になると強みになる」というのは名言ですね!
武内監督:
そして日本で【ぶらっくさむらい】として芸人デビュー。それから自分を主人公にドキュメンタリー映画製作。我ながら不思議な感覚なんです。たくさんの方との素晴らしい出会いと勢いに乗ってここまで来ることができました。クラウドファンディングから協力していただいている各社、個人の皆様、本当にありがとうございます。
『パドレ・プロジェクト』がきっかけになって、シングルのご家庭や人種ミックスで悩みを抱えている方々と知り合うことができたことにも感謝しています。この映画が悩みを持つ誰かの希望になったら嬉しいです。
新宿公開の1週間は全日、舞台挨拶とトークショーをしようと考え中です。映画館でみなさんにお会いできるのを楽しみにしております。



