T.J.Yoshizaki IMDB
北海道出身 ロサンゼルス在住
Baseline Productions代表 フィルムメーカー
高校卒業後ニューヨーク州立Stony Brook大学に留学。芸術と社会学を専攻
ニューヨーク市立John Jay College of Criminal Justice大学院に入学。犯罪学を専攻
NYPD(ニューヨーク市警)に勤務
9・11米国同時多発テロ、ニューヨーク市内にてカメラを回しドキュメンタリーを撮る
ニューヨークからカリフォルニアへトラックで横断
映像制作コンサルタント”Baseline Productions” をスタート
オークションで16mmフィルムカメラ2台、レンズ一式を手に入れる
「DUSK」で最優秀短編賞を受賞(in LA)大林宣彦監督から授与される
「Hot Dog」でバズり、20以上の賞を受賞
クラブハウス内の人脈で「パラレルヘイト」を製作
3/2/2022,ハリウッドのチャイニーズシアターにてプレミア上映決定@Golden State Film Festival
現在「Hot Dog」の長編を製作中
しゃけ:
先日クラブハウス内で「Hot Dog」を観させていただき、ありがとうございました。なかなか衝撃的で、見た後しばらく放心状態でした。素晴らしかったです!
T.J.Yoshizakiさん:
ありがとうございます。2018年に製作しましたが本当に作ってよかったです。こんなにバズるとは思っていなくて。たくさんの映画祭で20以上の賞をいただきました。
しゃけ:
コロナがなければ、今長編を作っていたはずだったのですね?
T.J.Yoshizakiさん:
はい。コロナがもう少し落ち着いたら撮影を開始しようと思っていますが、いつになるのか・・・まだ未定です。その間にクラブハウスでできた人脈で、短編映画「パラレルヘイト」を製作することができました。今こちらを映画祭に出しているところです。
しゃけ:
え!クラブハウスから映画が生まれたのですね?すごいです。「Hot Dog」の製作期間はどれくらいだったのですか?
T.J.Yoshizakiさん:
全キャスト/クルーは30人ほどで、編集も含めて1か月くらいです。コロナ前だったのでスムーズに撮影できましたね。私は自身を「映画監督」とは名乗ったことはなくて。映画制作全行程に深く関わるので「フィルムメーカー」と名乗っています。
しゃけ:
映像に興味を持ち始めたころのお話から聞かせていただけますか?
T.J.Yoshizakiさん:
札幌で生まれて、剣道、野球、水泳などをやる健康体の子供でしたけど、父が写真とか映画が好きでよく映画館には連れて行ってもらっていました。そのころからアメリカン・カルチャーには憧れていたかもしれません。中高は英語が好きでした。日本の大学に行く気にはなれなかったのでニューヨークのロングアイランドにある州立大学に留学。卒業後もこのままアメリカにいたいという気持ちが強くなっていきました。なので大学院に進んで犯罪学を専攻しました。同時にニューヨーク市警を含む司法機関に勤務しました。
しゃけ:
!!ニューヨークの警察官だったのですね。「Hot Dog」の主人公も女性警官でしたね。そこからどうして映像関係に?
T.J.Yoshizakiさん:
2001年に同時多発テロが起きたとき、自分の持っていたカメラで映像を撮って、一本のドキュメンタリーを製作したのがきっかけです。それが最初の作品ですね。
ニューヨークは充分堪能したのでカリフォルニアに行こうと決意しました。トラックに荷物を積んで5日間運転して、奇しくもテロから一年後の2002年9月11日にロサンゼルスに到着しました。
しゃけ:
おおー。トラックで5日。そして本格的に映像関係のお仕事を?
T.J.Yoshizakiさん:
知り合いがいたわけでもないので普通に求人情報から仕事を探して、映像の編集の仕事を見つけました。会社はDVDの生産業で大きくなり、自分は部長クラスまで出世しましたが毎日の激務で目は疲れるし肩はこるし・・・数年で限界がきましたね。
そのころLAは空前の不動産バブルでした。ビバリーヒルズにあった不動産投資会社での就労を経て、エージェントの免許を取り住宅売買をしてるとリーマン・ショックでバブルが弾けました。しかしながらそのタイミングで会社の宣伝資金で不動産売買をストーリーに取り入れたヒューマンドラマを撮る事が出来ました。 遠隔オーディションして、わざわざ日本から主演女優を呼び寄せたりもしました。そのころ作った作品は「出会いのエスクロー」「出会いのエステート」「サブプライム・チルドレン」で、勝手に「不動産3部作」と名付けました(笑)。地元の映画祭にも出品してレッドカーペット・デビューも果たしました。
映像制作にそこそこ自信が付いたので、不動産業界が底冷えした事もあり、独立して映像制作コンサルタント”Baseline Productions”を立ち上げました。主にコマーシャルやイベント、自主映画の撮影等で何とかやってましたね。
その後、映像業界にパワフルなデジタル・シネマカメラが出始めて、フィルムカメラが売り捨てられるようになりました。当時の主流、RED機種とかすごいな、と思いましたが私はフィルムが好きなので、オークションで2台のプロ仕様16ミリフィルムカメラとレンズ一式を手に入れたんですね。Baseline Productionsでは機材のレンタル及び撮影編集業を請け負います。「逆張り」となったフィルムカメラへの投資は結果的には吉と出ました。縮小したフィルムマーケットの中で競合他社も少なく、そこそこの需要がありました。中にはローリングストーン誌が絡んだプロモ撮影で、グラミー歌手のブルーノ・マーズを白黒フィルムでスローモーションで撮る、という難しい依頼にも対応しました。ハリウッドという場所柄、芸能人と仕事する機会もたまにあり、パリス・ヒルトンの自宅にてイタリアのスーパースター、フィデスのミュージックビデオの撮影に参加した事もあります。
「ダスク」という作品ではロサンゼルス日本映画フェスティバルで作品賞をいただき、私の尊敬する映画監督、故大林宣彦監督にトロフィーを授与してもらいました。
しゃけ:
今後もフィルムで撮っていく予定ですか?
T.J.Yoshizakiさん:
今現在、デジタルカメラ業界は飽和状態に達しました。コダックも事業を立て直し、商業映画業界におけるフィルム作品も徐々に数を戻しています。フィルムは死んでいないのです。”フィルム”メーカーを名乗る以上は、これからも相変わらず16ミリフィルムで撮っていこうと思います。
クラブハウスでの音声インタビューはこちらから聴くことができます。
2022年2月6日朝10時 T.J.Yoshizakiさん×しゃけ