人に愛と幸せを与えられるヒーラー・シンガーRucosea

日本でも18歳くらいのころからシンガーとして歌ってきたというが、ニューヨークへ来てからは、オープンマイクなどで歌ううち、すぐにミュージシャンの仲間ができたり、今のベーシストであるご主人とも知りあうことができた。
「ステージでは、アメリカのカジノで歌ったり、モントーク音楽フェスティバルモントーク音楽フェスティバルに出たり、New York Asian Film FestivalNew York Asian Film Festival にも出していただきました。America’s Got talent(アメリカの人気オーディションTV番組)でも最終審査までいきましたが、盛り上げるためのコマとして使われていたようです。今となっては、それもいい経験となりました。

ライヴは、長年やっていて。ビター・エンドレッド・ライオンで毎週3回位ギグをやってきました。とにかくあちこちで歌うことを続けてきたので、場数は踏んでいます。そのおかげか、こういう歌い方をすると声がつぶれないというテクニックなども学んでこれたと思います。

日本でも、アルバムを出したことがあるのですが、日本では裏方ばかりをやっていて。たとえば、アルバムの中の一曲だったり、オムニバスの一曲だったり、バックコーラスをやったり。今回のアルバムは、すべて私のオリジナルです。まずピアノで作曲して、仲のいいミュージシャンたちがコードを付け加えてくれたり、膨らませたりしながら作りました」

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小学生になってからピアノを習い始めたが、ピアノの先生が厳しかったこともありトラウマからか、小学校卒業後はピアノを弾かなくなった。同じ先生からドラムも習っていたが、メロディーよりもリズム感は褒められていた。ニューヨークにて28歳になったころに、ようやくピアノを再び弾いて作曲をするようになったという。自分がピアノで作曲するようになるまでは、長い音楽生活を経てきた。

「19歳から1年間、ロサンゼルスにあるLAミュージック・アカデミー音楽学校へ通いました。当時、アメリカで有名なドラマー、スティーヴ・ガッド(スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズ、ポール・マッカートニーといった名だたるアーティストのドラマーとして活躍)の息子さんとかも通っていて、19歳の私には刺激的で、とても楽しい経験でした。それでも卒業後は、日本の音楽の世界で勝負しようと、日本に戻りました。ところが日本は自分に合わなかったのか、自分を見失っていたのかもしれません。気づいたときには27歳になっていました。裏方ばかりでライヴの経験がなかったので、アメリカへ戻りたいなぁ〜って思って。だったらニューヨークへ行こうって決めて来たんです」

日本で自分を見失っていたとは?
「日本にいた若いころは、色んなジャンルが好きで、自分のカラーがわかりませんでした。有名になりたいという思いも強く、何かを伝えたいというよりも自分のエゴが強かったんです。父がファンクバンドで黒人のミュージシャンと音楽をやっていたこともあり、もともとはR&Bやファンクが好きでした。そんなこともあって、黒人的な歌い方を真似てた時期がありました。ニューヨークに来て10年たつのですが、こういうことを伝えたいんだという原点にかえる思いで、スピリチャル系へ。だからか、自分の声で自分の歌を歌えるようになってきたのです。

ニューヨークへ来てからというもの、人間関係でいろいろな経験をつんできたという。今は妊娠していて、母となる自身の新たなステージへと向かっている。
「ニューヨークのオープンマイクで知り合ったベーシストのSOKUSAIさんは、偶然にも同じアパートに住んでたんです。その人のやってるバンドを見に来ないかってビター・エンド(1961年から続くナイトクラブ)に行きました。そこでスライ&ザ・ファミリー・ストーン(ファンク・ロック・バンドでファンクの神と称される)で何年かメンバーだったドラマーに気に入られて、彼のバンドDays of Wildに入れてもらうことになり、ビター・エンドやレッド・ライオン、永久閉店してしまったBBキング・ブルース・クラブなどで定期的にギグをやるようになりました。

メンバーからいろいろなことを教わったり、しごかれることもありました。そんな中、一方的に酷いことを言われ、2年間一切そのバンドで歌うことはなくなってしまいました。そのうちに、向こうから謝ってきてくれて、これまでの揉め事を何もなかったことにできるくらいに許すというのは、難しかったです。しかし、それを乗り越えれば人間はもっと強く、優しく、そして自由になれるって思って。恨み続けていれば、カルマとして自分にかえってきます。許すことができるようになった自分は、ニューヨークでもまれて成長し、強くなったのだなと思いました。許す心や、心を広くもつことができれば、自分の身も軽くなっていくのです。

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37歳となった今、歌を歌いつづけてきたそ彼女が人々へ伝えたいものとは?
「愛や幸せを選べば、自分も人も愛に包まれ、幸せになっていくんだなという思いがあって。自分の歌詞や思いにこめています。人にそういう思いをこめ歌で伝えることによって、温かくなってほしいです。できれば、自分が人を癒やすことのできる、ヒーラーみたいな存在になりたいです」

そんな彼女と今回、アルバム発表のライヴにて演奏するメンバーは、ライオネル・リッチーなどのバックで演奏していた事もあるアメリカ人のギタリスト、フリッツ、フランス人のギタリスト、ベンジー、オーストリア人のドラマー、ピーター、そして、ベースは現在のアメリカ人のご主人ニック、Rucoseaの中で今回のメンバーは10年のニューヨークの音楽ライフで知り合い、繋がる事が出来た、かけがえのないファミリーなのだという。

「若い頃は、誰かになろうとしている歌い方をしていたのですが、今はリラックスして自分の声で自分の思ってることを歌えるようになりました。だから自分にとってこのアルバムこそが、本物のシンガーとしてのデビューという感じがするのです」<取材・執筆 ベイリー弘恵>

ニューヨークでヒーラーとして人々に愛や幸せを与えることのできるシンガー、Rucoseaの歌をぜひ聴きに行こう!アルバム発表ライヴはニューヨークにて2月23日に行われます。

【プロフィール】
RUCOSEA 札幌出身。ソウル、ファンク好きの両親の元、幼少の頃からブラックミュージックが常に部屋の中で流れる環境で育つ。習った楽器はピアノとドラム。中学、高校時代は、R&Bのカバーバンドを組み、札幌のフェスティバルやラジオに出演。卒業後はロサンゼルスの音楽学校に留学、ボーカルの基礎を学び、帰国後は地元のクラブで数々の著名アーティスト、倖田來未、DJ Hasebe、SOUL’d OUTなどのフロントアクトを務める。その後、東京に拠点を移し、Flower、K、上原多香子などのメジャー、インディーズ・アーティストへの作詞やコーラス、歌唱提供、ソニーミュージックからリリースされたオムニバス・アルバムなどに参加し活動の幅を広げる。2010年からニューヨークに拠点を移し、ライブ活動を精力的に行う。リンカーン・センターで行われたニューヨーク・エイジアン・フィルム・フェスティバルのオープニング・パーティーで歌った模様がニューヨーク・タイムズに掲載される。他にも、ニューヨークのベテラン・ファンクバンド”Days of Wild”のメイン・ボーカルとして8年間活動し、ボーカルのジャンルの幅を更に広げた。2019年、9/11にインターナショナル・ピースデイのイベントにてニューヨークのタイムズスクエアにて、ライブを行う。現在はライブ活動を行う中、レコーディングにも力を入れ、デビュー・アルバムを制作中。

[メンバー] Rucosea (ボーカル)、ベンジャミン・コロソン (ギター)、ニック・ヴァレンテ (ベース)、ピーター・トラウンミュエラー (ドラム)、ジョナサン・フリッツ (ギター)
[日程] 2020年2月23日(日)
[開演] 6:00pm (45分)
[会場] ロックウッド・ミュージック・ホール(ステージ1)
[住所] 196 Allen St, New York NY 10002
[電話] 212-477-4155
[入場料] 無料
[その他] 21歳以上、身分証明書要
[イベントページ] https://rockwoodmusichall.com/event/rucosea
[詳細] 2010年にニューヨークに拠点を移して以来、Days of Wild、Ideal Orkeatraなどの現地グループで活動した、札幌出身のシンガーソングライター”Rucosea”が、ソロデビューのコンサートに出演する。会場は15周年記念を迎えた著名音楽ライブハウス、ロックウッド・ミュージック・ホール(ステージ1)

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