私は高校卒業と同時にNYJoffreyバレエスクールへクラシックバレリーナとして留学していましたが、ストリートダンスの魅力に取りつかれ、ヒップホップやサルサにはじまり、カポエイラ(ブラジルの武術とダンスが組み合わさったもの)など様々なジャンルにチャレンジすることで、筋肉のつき方が変わりました。だからこそオーディションに通過できたのだと思います」
ダンスの他には、即興という曲なしで1分間自分を見せる力を試されたという。ストリートダンスのバトルは常に即興だったので、NY留学中に鍛えられていた帆乃美は、なんなくこなした。
「実家がクラシックバレエスタジオで、3歳のもの心ついたころから『バレエは毎日やるもの』になっていたんです。弟もプロのバレエダンサーになり、アメリカのバレエ団に所属しています。私はバレエの流れるような音楽が好きだし、クラシックを踊ることが大好きだったのですが、身長156センチでバレエには不向きな上、筋肉質なのです。小さいころからバレエのコンクールなどでは受賞していましたが、身長や体形の問題でバレエ団に入るのは難しかったのです。結局、私だけが家族の中でストリート・ダンサーになりました」
卒業後はアーティスト・ビザをとりパフォーマンスやダンスの先生としてダンスを続け、カナダ発の有名なエンターテイメント集団、シルク・ドゥ・ソレイユのオーディションにも合格しダンサーとして登録されているという。
「シルク・ドゥ・ソレイユのオーディション後にディレクターに誘われ、カナダでワークショップ(体験型ダンス教室)をやり、子どもたちにダンスを教えたり、ダンスの審査員をやったり。ニューヨークでは公立の学校を回って、子供たちにインターナショナルのダンスを見せたりしていました。アフリカやブラジルのダンスだったり、お国柄的なダンスが多い中、ヒップホップはアメリカ生まれのダンスだと子供たちに見せてあげると、一番喜ばれました。」
日本に帰って1年半が過ぎたというが、NYに10年もいると半年くらいはカルチャーギャップからか、逆ホームシックになった。「母のバレエ教室で、パソコン作業などはリタイアした父が手伝ってくれていましたが、父が2年前にガンで他界してしまったんです。弟はアメリカでバレエ団に所属しているので日本には戻れませんから、私ならパソコンもバレエを教えることもできるので、日本帰国を決意しました。今も、子供たちにダンスを教えることは楽しいし、天職だと思っています」
バレエ教室は充実していたが、まだまだパフォーマーとしても十分にやっていけるパワーを秘めていたのだろう。合格後は、さっそくアルゼンチンでトレーニングに向かった。
「トレーニングは、とにかく空中に慣れることでした。体幹がとても重要で、ぶら下がるのにはインナーマッスルがないと、身体を一直線にして支えられません。トレーニング中に2人が怪我をしたんですが、アルゼンチンの病院では肉ばなれだって言われて、最後までやりとげていました。念のため日本に帰って病院で診てもらったら、2人ともあばら骨が折れたんです。誰でも怪我をするときはするので、自分の身体を知ること、バランスの良い筋肉をつけることを学びました」
日本のフエルサブルータはオリジナルと同じではなく、和を基調としている。パフォーマーは侍がメインで、壁を走るのは忍者、プールに飛びこむのが芸者なのだとか。「日本には歌舞伎のような伝統的で文化的なものはあるのですが、日本的なエンターテイメントがないのです。それならば創ってしまおうということで、全員パフォーマーを日本人にして、和をテーマにしたそうです」
同じパフォーマーが、1年で400回公演をするというから休みはなさそうだが、帆乃美はやる気に満ちあふれている。「フエルサブルータの舞台に立つという自分の夢が叶うとは思ってなかったのですが、きっと父が呼びよせてくれたのでしょうね。これからが楽しみです。」
長年アメリカに住んでいると、和をテーマにしているフエルサブルータはとても興味深く感じ、世界でも一番人気になりそうな予感がする。侍、忍者、芸者は武術、芸術、パフォーマンスの日本の象徴として、常にアメリカ人からも注目されている。日本のみならず、世界を公演して回る日は近いだろう。<敬称略 取材 ベイリー弘恵 取材協力 TMH DANCE, LLC>
【関連サイト】
フエルサブルータ和オフィシャルサイト
桑名帆乃美(くわなほのみ)
NYJoffreyバレエスクール卒業、NYでジャイロキネシス講師の資格取得。