Brown Rice Familyの音楽は、それぞれパーツの演奏者が即席でつくりだすオリジナル。曲によって生まれ方はちがうが、たとえばこんな感じだという。ギターがメロディーを弾きだすと、それにあわせてドラムやジャンべといったパーカッションがリズムを刻みはじめる、サックスやトロンボーンが音を彩り、ベースが音域を広げ、そのうちにボーカルが歌いだす。メンバーのそれぞれがメロディーやコード進行を記憶してやっているため楽譜もない。本来のメンバーがいなくて、アーティストが交代するときには、違ったアレンジになってしまうのは仕方ないといった感じ。オリジナルメンバーにしか奏でられない音楽なのだ。今回は、人類の結束と環境のためにバンドを結成したという、Brown Rice Familyの創始者、飯田祐一に話をうかがった。

飯田は、興味のあることを、とことんまで突き詰めるタイプ。高校時代にヒップホップのダンスを始めてからは、学校さえもやめてしまうくらいダンスに没頭してしまったという。1999年、ヒップホップのダンスを学びたくてニューヨークへやってきた。だが1年くらいたったころダンスよりも刺激を受けたのは、ユニオンスクエア付近でやっていたストリートパフォーマーのジャンべだった。1時間ほどそこに釘付けになって彼らの演奏を聴いた。「自分もこんな人になりたいなと思いました。それからも地下鉄とかで見かけて、彼らがジャマイカンのドラムグループだということを知りました」そこからは、ダンスよりもドラムにはまってしまう。
偶然、一緒に住んでいたトランペットを習っているルームメイトがそのドラマーとコネクションがあり、彼を通じてジャンべのパフォーマーを紹介してもらった。「1ヶ月ほど彼からジャンべの基本を習いましたが、しばらくすると一通りのことは教えたのでこれ以上は教えることがなくなったからとマスタードラマーのジャーマイアを紹介してもらいました。彼はジャマイカのナショナル・ダンスカンパニーでも演奏している有名なパーカッショニストでした。教えたりはできないけど、横に座って覚えろって言われました」
レッスン料も払わずに学べるチャンスを逃すわけもなく、学生をやりながらもパフォーマンスに参加するようになった。次第にドラマー同志、パフォーマーとの横のつながりも広がっていき、バケツを叩くパフォーマーたちのグループでも演奏するチャンスを得た。ブロンクスでバケツビートを5歳から始めたというラリー・ライトとも演奏した。同グループにいたコートジボワール出身のドクター・ジョビからはアフリカンスタイルの太鼓も学ぶことができた。
「当時はストリートパフォーマーの全盛期でした。今のようにインターネットで演奏が聴けないのでCDが売れるため、一回の演奏で一人につき200ドルくらいのギャラが入るくらい好景気でした」
しかしドラムの演奏も軌道にのり10年ほどがたったころ、突然、右手が紫色になりドラムをたたけなくなってしまった。「病院にいってわかったことですが、本来は2本あるはずの動脈が1本しかないことがわかったんです。朝から晩までドラムをたたいてるせいで、その1本にストレスがかかってしまい、血管が閉塞しこのままでは右手が壊死するのですぐに手術をしたほうがいいと言われました」
術後に固まってしまった右手をリハビリし、1年でもどした。「ジャンべをたたくパフォーマー一本だと、また同じように右手を痛めてしまうので、音楽プロデュースの勉強をするためシティーカレッジでオーディオ・エンジニアリングを学ぶことにしました」そこで出会ったコリアン・アメリカンのクラスメート、ジョーとBrown Rice Familyをはじめることとなった。
「大学を卒業したら、どこかで働くかビジネスを始めるかやらないと稼げないですし、どうせやるのなら何か地球や環境にいいことができて、それがビジネスになればいいなって思ったんです。ジャマイカの太鼓グループにいる中で、ラスタマンからラスタの教えを学び、アイタルフードといって自然食を食べること関心をもちました。自分は日本人なので日本のアイタルフードはなんだろう?って思って」
ここでもとことんまで突き詰める彼らしさを失うことはない。日本のアイタルフードを求めるがゆえか、マクロビオティックを提供している日本食のレストランへ飛び込み勉強することとなった。「そのうち玄米にこりはじめたんです。玄米って栄養のバランスもよく、繊維もとれる完全食。まいたら芽がでるという生きている食べ物です」Brown Rice Familyというバンド名はここから生まれた。

学生のころにジョーとBrown Rice Familyを会社として立ち上げ、バンド活動を続けながら、有機米ぬかを使った石鹸や、静岡の有機お茶農家から取り寄せて、お茶石鹸をつくったりして販売しはじめた。「農薬や化学薬品をつかってないところにビジネスを広げていけば、農家も有機のほうへ広がっていくんじゃないかって思ってます」今ではオーガニックコットンを使ったオリジナルのTシャツも販売し、ビジネスも順調だ。
Brown Rice Familyのバンド活動も音楽だけにとどまることはなく、カーネギーホールを通して、ブルックリンやブロンクスの少年院や鑑別所でワークショップをはじめ、今年は2年目となる。異人種、異文化の仲間で集まっていても、お互いの違いをリスペクトしあえば、こんなに楽しいことができるのだというメッセージを世界の人々に伝えていきたいのだという。(敬称略 取材・執筆 弘恵ベイリー)
【プロフィール】
飯田祐一(いいだゆういち)
静岡県出身
母親がピアノの先生だったため幼少のころからピアノを始める。
99年に渡米し、1年語学学校に通った後、Brought of Manhattan Community Collegeに入学。卒業後、City College of New Yorkに進学しSonic Arts にてBFAを取得。2008年に起業。2014年からバンドで日本ツアーを毎年夏に行なっている。現在2017年夏の日本ツアーを企画中。
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