ハーレムのイメージを変えるダンサーRIE

サルサのリズムと拍手の中に現れたのは、異国の香り漂うオレンジや青の浴衣をまとった日本人モデル。
アフリカのティンガのような幾何学模様に大輪の花や貝殻が散らばる着物。その上には金や銀の帯が光る。
この日のiNFiNiTYはサルサナイト。メインは浴衣デザイナーによるファッションショーだ。


EAST MEETS WEST
ハーレムで開かれるクロスカルチュアルパーティー ”iNFiNiTY”は、その名の通りいつも様々な人種が集まる。

ダンサーとして磨き上げたスレンダーな体に、編み上げた長い髪。
RIEは自らも原色の浴衣に身を包んだままサルサのリズムに合わせてステップを踏んだ。

大和魂、iNFiNiTY
NY在住の日本人なら誰でも一度は耳にした事のある数多くのイベントを主催し、
NYでも実力派として知られるダンサーチーム・Rhyhm Cityの日本サイドのマネージングを手がけるNY Hallelujah Company LLC(以下NYHC)に所属するRIE。
アリシア・キーズの振付師アシスタント経て、ダンサーとしてだけではなくイベントコーディネーター、プロデューサー、モデルとしても幅広い活動を展開している。
2009年セントラルパークで開催されたニューヨーク・ジャパンデーでは大統領就任式の専任トランペッターであるジョエイ・モラントと同じチームで共演し、
同年国連で開催されたユースセミナーでは、ガンジーの孫であるArun Gandhiや世界で活躍する優秀なアスリートやエクゼクティブが集まる中でのソロパフォーマンスを披露した。

「ダンスはソウル」

その根底には、踊るという行為そのものへの素直な敬意と、内側から湧き上がるグルーヴに忠実であろうとする姿勢がある。

元々は役者志望だったというRIEは福井県出身。
桐朋学園短期大学演劇科に在籍中、湧き上がる感情をそのままダイレクトに表現できるダンスに出会い、のめりこむようになる。
ヒップホップに出会ったのは21才のとき。短大卒業と同時にやってきたニューヨークで、型にはまらない自由なダンススタイルで世界中にファンをもつRHAPSODYに出会ったのがきっかけだ。

1970年代、ニューヨーク・ブロンクスのダンスパーティで生まれたブレイクビーツが発祥とされているヒップホップ。
1982年、アフリカ・バンバーターがクラフトワークの”Trans Europe Express”にインスパイアされた”Planet Rock”をリリース。
ファンクやソウルと電子機材の融合にエレクトロ・ファンクという言葉が生まれ、それが全米でヒットすると、ヒップホップは音楽のジャンルのひとつとして確立されていった。

元ギャングのヘッドで、暴力に明け暮れる若者を憂えていたアフリカ・バンバーダーが、訪れたアフリカの地で覚醒、
若者の衝動をカルチャーに変換する手段として定義づけた主に「MC、DJ、ブレイクダンス、グラフィティ」の要素で構成されるヒップホップ。
そのヒップホップも、90年代に入って商業主義が絡みついたことによって変貌を遂げていくようになる。
世間から忘れられ、苦難を味わってきた人たちのやり場のない怒りやメッセージを表す手段は、瞬く間に世界に広がったが、同時に
そこは、女性蔑視や暴力をあおるような言葉、犯罪暦を恥ずかしげもなくひけらかし、宝石や高級車を所持することをたたえる言葉が氾濫する場になった。

ダンス講師としても活動するRIEは子供たちのための非営利団体の施設、ABC(アソシエーション・トゥー・ベネフィット・チルドレン)でヒップホップクラスを担当している。
E(Educational)HIPHOP(日本語では「いいヒップホップ」になる)をキーワードに、前向きな音楽を使用してヒップホップに限らずJポップ、サルサ、アフリカンなど様々な前向きな音楽を使用し、
ダンスそのものの目的である「感情の体現」に重点を置いて教えるようにしている。
その際は、従来のヒップホップにありがちな否定的、攻撃的な言葉などは一切使わないという。

ハーレムに未だにあるネガティブなイメージを払拭するために始めたiNFiNiTYも今年で1年6ヶ月目を迎えた。
毎月2、3ヶ月毎にテーマを変えて一度の割合でハーレムのレストランなどで行われているイベントは、国籍や人種関係なく集まれる国際交流の場となっている。

RIEのブラックカルチャーへの思い入れは深い。
奴隷として酷使され、人間的な扱いを受けてこなかった黒人たちの心の支えとなり、魂の開放のために受け継がれてきたゴズペル(Gospel)。
日本語では「福音」と約され、もとは神の言葉(God Spell)や良い知らせ(Good Spell)という意味を持ち、
ジャズやロック、モータウンやなどほとんどすべての音楽の源流でもある。
RIEは、自身の所属するNYHC主催のニューヨーク観光ツアーでも教会を案内する際には訪れた人が心から楽しめるかどうかに気を配る。
「ダンスは言葉がない時代から、神様が与えてくれる平等な愛や救いへの感謝の気持ちを表したり、コミュニケーションの手段として存在してきました。伝えたいという思いを開放するのがダンスで、人の目を気にしたりジャンルにこだわる必要はありません」
教会だからといってうまく歌おうと構えるのではなく、そこにある音楽で気持ちを開放してもらいたいという。

ここまでたくさんのイベントを成功させてきたRIEだが、すべてが順調だったわけではない。
「SOULをやるときも、iNFiNiTYをやるときも、ダンスの教室をやるときも、ばかにされたり笑われたり、陰で悪口を言われたこともある」

パフォーマンスの場を求めて23才で単身渡米したRIEがここまで来ることができたのは、困難な状況に陥っても途切れることなく継続することを常に念頭においてきたからだという。
なんのつてもなく日本から出てきたばかりのRIEが、路上ではない、ちゃんとした舞台を得るのは並のことではなかった。
このままでは日本に帰るしかないとあきらめかけていたころ、「なければ作ればいい」という友人の一言で開催した「SOULダンスコンペティション」が予想以上の大盛況をむかえる。
最終的にはその後三年にもわたって開催されることになり、一年のつもりの滞在が、その後、数々のイベントを手がけることになる。

2009年2月のiNFiNiTYでのダンス(RIE 左、MIKA 右)

継続の大切さはダンス以外にも見ることができた。
ダンサーとして参加した国連のユースセミナー。そこでRIEは本気で世界を変えようと貧困や飢餓、環境問題に現在進行形で取り組んでいる人たちに出会った。
「たとえば百万円の援助で高価な水道をひとつだけ作っても、壊れてしまえばそれで終わりです。でも十万円の簡易水道を10個、各地に作ってさらに壊れたときにはどう直せばよいかの指導もすれば、壊れてもそれで終わりということがなくなります」

どんなに素晴らしい援助もやりっぱなしでは何の解決にもならない。
継続して物事を維持、発展させていくことで大きな成果を得ることができる。
待っているだけでは何も起こらない。あきらめずに続けていれば必ず結果がついてくる。

日本でも神奈川、九州などでワークショップをおこなっているRIEは、日本の高いスキルを評価しながらも、同時にフィーリングも大切にしてほしいと語る。
「ダンス本来の目的である、何かを伝えたい、表現したいという気持ちを開放させることに目を向けて、ダンスという行為そのものを楽しめるように教えています」

最終的には地元の福井にダンススタジオを開きたいというRIE、
勝ち抜くためのスキルよりも、表現すること、心を開放することができるダンスをみんなに知ってもらい、生まれ育った福井を盛り上げていきたいという。

(取材・記事  Yoshiko Sakamoto)

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