フランスで毎年行われている2on2ストリートダンスの世界大会『Juste Debout』。
世界中から数々のダンサーがこの大会に集まってくる。
HIDEKIは2009年の春に行われた大会で、相方のShuhoと共に日本代表として第2位という輝かしい成績を収めた。
彼らは、この大会の予選の中で最もレベルが高いといえる日本予選(Juste Debout Japan)を堂々の1位で勝ち抜き、
フランスで行われた本戦に臨んだ。
2005年、2006年の同大会でも見事3位の座に輝いている。
世界でもトップクラスのダンサーであれば、厳つい人というイメージを持つ人もいるかもしれないが、普段の彼は、やさしくて温厚。
色んな人とのコミュニケーションもスマートにこなす。お洒落で、多種の帽子を被りこなし、
ダンサーと言われなければ、一目見ただけではわからない。そのギャップも彼の魅力である。
HIDEKIがダンスを始めたのは、14歳の頃。
『RAVE2001』というダンスのTV番組が人気で、第2次ダンス
ブームともいわれた。その『RAVE2001』と姉の影響でダンスを始め、毎日のように練習に明け暮れるのだった。
高校への進学が近づいた頃、「卒業したら高校には行かずに仕事してダンスをやり続ける!」と言い張ったHIDEKIに対して
周りの人たちは皆反対したが、彼の意思が変わることはなかった。
その彼に母親は1つの条件を出した。「高校へ行く代わりに、卒業したらニューヨークに留学させる」ということだった。
約束通り高校卒業後、ニューヨークへ渡ったが、ここでさらにダンスと学問の両立生活が始まることとなるのである。
ダンスでは、ショー、バトル、コンテスト、バックダンサーなど世界中で活動し、
努力のかいあってアメリカやヨーロッパでHIDEKIの知名度があがってきた。
渡米から6年、ダンスを始めてから10年がたつ。
「今までダンスをしてきて1番よかったと思うことは、人との出会いかな。ダンスを通して、文化や価値観の違いを超え、
常に人と通じ合える。それが自分にとってお金じゃ買えない財産であり、幸せと感じられる」
さらに、もう1つの夢はダンスセラピストになること。
「ダンスで人を助けてあげたい」
彼がこのように思ったきっかけは、ある日公園でジャンベ(アフリカンパーカッション)叩きのお兄さんとセッションをしてた時だった。
遠い所から1人の少年とその母親が一緒にそのセッション風景を眺めていた。
その少年にHIDEKIは声をかけた。「一緒に踊ろう!」
彼は、満面の笑みで輪の中に入ってきて、本当に幸せそうだったという。
その少年の母親も同様に嬉しそうだった。
後に母親が、その子供は障害を持っていて、
上手く人とのコミュニケーションが取れなかったことをHIDEKIに話し、心から彼に感謝していると告げた。
その言葉は、HIDEKIの心に響いた。
将来はダンスを通して、人々を助けてあげられる人になりたいと心に決め
現在、勉強中である。
着実に自分の将来のプランに向かって歩み続けているHIDEKI。
ここまで来れたのも、彼の熱い思いと前向きな意思があったからだろう。
「自分の選んだ道に後悔はないです。何か1つのことが終わるたびに、
『ああしたらよかった。こうしたらよかった。』って思うことはありますけど、
それは次に繋げる為の反省であって、後悔とは違います」
常にポジティブ「自分に起こること全ては、自分の考え方次第で、どうにでもなる」と彼は言う。
最後に、HIDEKIの生きる道ともいえるダンスとは?
「何て言うか『癖』ですね(笑)。ついついやっちゃうっていうか。
もう自分の生活の一部です。
これがあったから、留学しようって気にも慣れたし、そのお陰で英語も学ぶことが出来たし、
親と遠い所で生活して親のありがたさを感じることも出来た。
ダンスがなかったら、今の自分はいないですね。」
HIDEKIは、これから更にダンスを通して誰かに生きる力を与えていけるよう、懸命に頑張っている。
彼の挑戦は、まだまだ続いていくのだ。
強い信念を持つ彼のダンスは、人々に喜びと幸せを与え続け、
必ず成功を収めるにちがいないと、私は信じている。(取材・執筆 REIKO)
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