Jazzで夕涼み

七夕の夜、友人が経営するプロダクション、Mar Creationがプロデュースしたジャズライブを聴きに
アッパーウェストサイドのTRIAD シアターまで夕涼みがてら行ってきた。

TRIAD は典型的なニューヨークのキャバレースタイルのライブ劇場で大人の雰囲気の漂うニューヨーカーの大人の遊び場である。
店の中は赤と黒を基調にしていて舞台の調度もアールデコ風、トルコ料理レストランの入り口を入って
怪しげな階段を二階に上っていくのが禁酒法時代の隠れ酒場、スピークイージーを彷彿とさせる。

僕の映画に楽曲を提供してくれたアムステルダムを中心に活躍しているシャンソン歌手のミシェリンが毎年一度、
ニューヨークに帰ってライブを行う場所もここTRIADである。

全米ツアーでアメリカ中の劇場で舞台に立たせてもらったが、どこの土地の劇場もよく似た歴史があった。
ライブの劇場がエンターテイメントの中心であった1920年〜30年代にアメリカ中の町で劇場が造られ、
ボードビルショー等でどこも毎晩大盛況であった。どの劇場も舞台の下にちゃんと楽団が演奏できるオーケストラピットがあり、
階段の手すりひとつにさえも彫刻が施されて手抜きが一切されていなくて、調度のひとつひとつが本当に丹誠込めて創られている。

ミュージカル映画全盛の第二次世界大戦後の1950年代には映画館として人々に感動を与えつづけ、ある劇場はダンスホールとして生まれ変わる。しかし、多くの劇場はベトナム戦争を期に衰退の一途をたどっていく。

ある劇場は70年代にポルノ映画館として細々と生き長らえ、ある劇場は取り壊される費用の工面もつかないまま長く放置されつづけた。
しかし、多くの劇場はそんな時代を乗り越えて地元の人達に支持されつづけて今もその土地の中心で地元の人達に感動を与えつづけている。
そんなアメリカの劇場の歴史の中でもここニューヨークの劇場の歴史は格がひとつ違う。

80人でいっぱいになってしまうようなオフ・オフブロードウェイ劇場が実はその昔、
マルクス・ブラザーズがデビューを飾った劇場だっただとか、築120年はありそうな古くて汚い小さなビルの一部屋の
50人も入れないようなブラックボックス劇場で60年代にアル・パチーノが認められるきっかけになった出世作が上演されただとか、小さな劇場ひとつひとつに歴史は事欠かない。

いつもアッパーウェストサイドにTRIADを訪れるときは1920年代のアーティスト達に敬意を払って
20年代風のニューヨークの大人の不良ファッションで出かける事にしている。
この夜もピンストライプの黒のジャケットに濃いブルーのサテンのヴィンテージシャツ、ブルージーンズ、グレーのボルサリーノ風の帽子できめて家を出た。

しかしこの夜は陽が落ちてもなかなか気温が下がらず、家から数十メートル歩いたところで、あまりの蒸し暑さに音をあげて、
家に引き返してTシャツに着替えて出直した。
地球温暖化は大人の不良にも容赦ない。

この夜のライブは、松任谷由実のオリジナル曲の数々をジャズアレンジで聴かせるという、「YUMING Things」というジャズライブシリーズの第二弾だ。そう、あのユーミンである。
「ひこうき雲」「ミスリム」「紅雀」...僕が高校、大学時代、まだCDもなかった頃にLP盤のレコードを擦り切れるほど聴いたあの松任谷由実だ。

そのユーミンのオリジナル曲をピアノ、ドラム、ウッドベースと女性ボーカルという
ニューヨークスタイルのジャズアレンジで聴かせようというなんとも贅沢なジャズライブだった。
なによりもまず、ボーカルの平麻美子の力強いアルトのボーカルが素晴らしかった。

不安定なソプラノの歌声で繊細な日本の女の子の心情を見事に表現したユーミンのボーカルはそれで一時代を築いた80年代のアイコンと言える歌声であった。

しかしニューヨークスタイルのジャズアレンジで聴いたユーミンは、彼女の楽曲の数々が時代を超えて残るべく
名曲の数々である事を改めて実感させてくれたほど素晴らしかった。

しかしここはニューヨークなんである。平麻美子のユーミンは日本人の歌手のように「がんばります!!」しないんである。
時折彼女のアルトの力強い歌声が絶妙のタイミングでふっと肩の力が抜ける瞬間があって、80年代の日本とニューヨークを行ったり来たり、
それはとても贅沢でいて心温まる気持ちにさせてくれた夜だった。

「真珠のピアス」「気ままな朝帰り」「ルージュの伝言」、ジャパンポップス界に残る素晴らしい名曲の数々をある曲は60年代アメリカンポップス風、
そしてある曲はマンボ風のジャズアレンジを施して、素晴らしいジャズピアノ演奏まで聴かせてくれたのは大江千里さんだった。
そう、僕の大学時代、学園祭の彼のコンサートのチケットがプラチナチケットと言われていた、あの大江千里である。

ご存知の方も多いと思うが、彼は2008年以降、日本での活動を休止して、ニューヨークでジャズミュージシャンとして活動している。
この夜は、なんとユーミンのオリジナル曲の数々を大江千里さんのジャズアレンジとピアノ演奏でニューヨークのキャバレースタイルの
ライブ劇場で聴いたのである。これは80年代に青春時代を送った僕としては、とんでもない贅沢な事なんである。

どれぐらい贅沢かというと、これが芝居なら、自由劇場の「上海バンスキング」を渡辺謙主演でニューヨークのオフ・オフブロードウェイの
小さな劇場で観させていただいたぐらいの贅沢なんである。
これが映画なら周防正行の「Shall We ダンス?」をリチャード・ギアとジェニファー・ロペス主演のハリウッド映画で.....あっ、これはあったな。
でもあれは日本版のオリジナルの方が数倍よかった。

ニューヨークにいると時々本当にいい事がある。
80年代、90年代に日本ではプラチナチケットで絶対に手に入らないと言われていた、
イッセー尾形の伝説的な一人芝居も彼のニューヨークでの公演で簡単に観ることができた。

もう二十年もニューヨークで暮らしているので、僕が憶えていた80年代の大江千里さんからは想像できないほど、ひげをたくわえた彼の姿は違って見えた。50歳を超えた大人のミュージシャンに対してこんな言い方は本当に失礼なのだけれども、アーティストとしてずいぶん逞しくなられたように見えた。
ヒット曲を量産しなければいけないという呪縛から解放されてか、本当にのびのびと心から音楽を楽しんでいるように見えた。

ニューヨークという街は、そういう街なのである。

7月4日、アメリカ独立記念日。友人宅の屋上のバーベキューパーティーにて摩天楼に沈む夕日を眺める
<やす鈴木>

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