SOHOのトンプソン通り位置するレストラン&バー。窓を開け放ち、開放感のある店内から聞こえてくるJazzyなサウンドは、
ひと際アダルトなムードを感じさせる。そんな成熟された場所で、ピアニストとしてジャズを奏でる”kAZUさん”に、演奏後インタビューを敢行。
日本を発ち、NYに移り済む様になって今年で10年目。現在に至る今までを振り返ってもらいつつ、NYや音楽についてじっくり語ってもらいました。
—-ギグ(ジャズのセッション)お疲れ様でした。今までにkAZUさんのギグを一度見た事があるのですが、とにかく表情が豊か。
演奏中はどんなことを考えているんですか?
演奏中はね、音楽のことを思ってるかな(笑)。どんなことかは口で言うのは難しいかも。だって音楽だから。表情はなるべくしないようにしているんだけどね。
でも結構いろんなことを考えてる。客観的に全体を見ているときもあるし、お客さんのこととかも。表情に関しては、
きっと音楽と自分がリンクしているんだと思う。なんかね、良い時や楽しい瞬間って、自分が弾いてるって感じがしない。
今日のギグもそうだけど、客観的に全体を把握している自分がいて、それと同時に誰かが降りてきているんだよね。
自分じゃない人が弾いている感じ。パイロットなんだけど、操縦変わって、自分は他の事やっているみたいな。
—-音楽との出逢いはいつ頃だったんですか?
音楽を始めたのは結構遅くて、僕が15歳の時。きっかけは友達みんなでバンドやろう!ということになって…っていう感じで。
『いか天』(いかすバンド天国)っていうのがあって、バンドブームの時代に入る2〜3年前に始めたんだけど。
その時まで全く音楽をやったことがない状態で、選んだのがピアノでありキーボード。その前は小・中学校とサッカー少年だったから。
—-ということは、ピアノは独学ですか?
そう、基本的に独学。習ったといっても近所のおじちゃんに少し教えてもらった程度。ちゃんとレッスンは受けた事がなくて、
コピーとかもするんではなくて、始めから即興で弾いてましたね。高校生のときは色んなバンドを掛け持ちしていたんだけど、
参加していたロックバンドとかってほとんどピアノとかキーボードのパートがなかったりするから、自分で思った通りに弾けばいいというか、
勝手にやればいいや…みたいな感じでやってたかな。良かったのか悪かったのかは自分でもよくわからないけど(笑)。
—-それでは、ジャズとの出逢いは?
実はさっき独学って言ったんだけど、二十歳から二年間東京の学校で音楽の勉強をしていました。
僕結構怠け者で練習とかあんまり好きじゃないから、その時はピアニストになりたいんじゃなくて、
アレンジャーとかプロデューサーとかもっと音楽の全般的なことをやりたいと思っていて、ギターやベースなんかも弾いたりもして。
その学校を卒業してからジャズをやろうかなと。
—-それは、なぜ?
ジャズピアニストの椎名豊さんという人がいて、その人に一回だけレッスンを受ける機会があったんだけど、
レッスン費の六千円を握りしめて彼の家まで行って受けに行ったんだよね。彼の教え方っていうのが、
カラオケみたいのをかけて『弾いてみろ!』っていうやり方で。いざ弾いてみろって言われると弾けなくて、
普段はノリノリで即興が出来るのに、その時は全く音がでてこなくて。それで次に椎名さんが代わって、ぐわーって弾いて、
『はい、じゃあまた弾いて。』って。もっと弾けなくなっちゃって(笑)。結局、ハナシにならないからお金もいらないって言われて家に帰って来たんだけど、
たぶん僕の練習嫌いっていうのを見抜いたのか、帰る前にtranscribe(音を楽譜におこすこと)の五線譜の束をばーんて持って来て見せてくれたわけ。
『ちなみにこれ、ごく最近やったやつだから。』って。当時椎名さんは結構有名になっていてそんな時間もなかったはずなのに、
まだそんなことやってるのかってね…。それでもう鼻をポキッと折られちゃった。もう悔しくて悔しくて、それでジャズをやろうと、
一年間家にこもったんです。きっと椎名さんに出逢わなかったら、音楽もやってない可能性もあるし、ちゃらんぽらんだったかなと。
—-それからは一年間家にこもって、ひたすらピアノを練習していたんですか?
そう、全く人にも会わず。でもピアノが実家になかったから、まずグランドピアノを買って…。親にも黙ってたんだけど、
いきなり家の前にクレーンが現れて(笑)。一応親には『とりあえず学校は卒業したけど、俺働かないわ。家に籠るから。』って伝えて、
そこからはピアノと向き合う毎日。お袋とか今まで怒った事もないのに、僕が朝寝て夜はピアノ弾いて…なんて生活してるもんだから、
箒とか持ち出して、『出て行けー!』とかも言われてね。
でも行くとこもないわけで。でも次の年から、なんかギグとか出来るようになってきて、仕事が増え始めたんです。
筑波のカフェでギャラはスパゲッティと飲み物とかもあったかな。それでも、週5日とか色んなところで演奏してたから、
今よりも収入良かったかもしれない。そのときが24歳あたりかな。
—-それからNYに?
僕が来たのはちょうど9.11があった2001年のとき。ジャズをやるなら一度はNYに行ってみたいと思っていたのと、
日本がなんか窮屈だな…と感じることもあって。ミュージシャンとして上手くいっていないわけではなかったんだけど、
周囲からの期待やプレッシャーっていうのが自分の音楽をやっていく上でのリズムと合っていなかった。
たぶん、自分がまだ若かったのもあるけれど、その時はとにかく辛かった。それが29歳のとき。突然思い付いたというか、行き当たりばったりみたいな。
—-NYに来た当初はどうでしたか?
実はそこが重要なんだけど、あのね…ピアノを弾かなかった(笑)。友達も、みんなビックリ。
正確には渡米する前の日本での最後のギグの帰りに、横須賀でスピード違反で捕まってしまって、
免停が終わるまで国外に出ないでくださいとか言われてしまって。免停で車も乗れないし、仕事もピアノもいいや〜ってなってしまって、
また家に籠ってたんだけど、そのときからピアノを全く練習していない。
ギグもないから触れることすらなくて。それでもとりあえずNYへ。行ったはいいけど、英語は全然喋れないし、
音楽以外やったことがなかったのに、いきなりその状況だからたいへんだった。
とにかくサバイブするのに必死でピアノどころじゃなくて。ピアノはずっとやってきた訳だし一年ぐらいは休みたいな、なんて思ってたんだけど、
ピアニストが一年弾かないと、ほとんど全てを失った感じで弾けなくなる。弾いても以前のようにいかないから楽しくないし、
もちろん生のピアノも持ってなかったから。それが3〜4年続いたかな?
—3〜4年ですか!?
周囲からは、恐らく『あいつ何しにきたんだ?』って思われながら3〜4年過ぎてしまったのだけど。
いかに生き延びるかっていうのを考えてた。
そろそろピアノ練習ようかなって思っても、既に指とか全然動かないっていうのもあって。
—-そこからピアノを始めるにあたってのターニングポイントは?
今の奥さん(Tomokoさん)と付き合うようになってからかな。それまでごくたま〜にギグは知り合いを通じてやっていたことはあるんだけど、一年に何回とか。
当時はアストリアに住んでいて、彼女がイギリス留学前にNYに来るっていうから、さすがに何もしてないのはまずいなと思って、
ちょっと無理してギグとか探してみようかなと(笑)。それでアクセルが入った感じで。
ある時、アストリアにあるカフェに遊びにいって、『お金いらないから毎週楽器もってきて弾いていい?』って聞いたら、
いいよって言うから毎週強引に持っていって弾いてたんだけど、そのうち彼らが$15だけくれるようになって、あとご飯も。
それがNYに来て初めてゲットした定期的なギグ。
たしか1年くらい続いたかな。それ以来結構手の感覚とかも復活して、彼女に手伝ってもらいながらアーティストビザも取って。
それがピアニストとしてのスタートって感じかな。それで、彼女と結婚をすることになって、グランドピアノを買ったんだよね、
結婚祝いに。こっちに来てから生のピアノで、そっからだね。ぐわーーーーって!!(笑) 特にここ一年くらいはギグも多くなってきて。
でも糸切れない様には気をつけているけどね。
—-ということは結婚がkAZUさんにとって物凄い大きいことだったと?
そう!だから、それまではっきり言ってホームレスとなんら変わらないというか…。やっぱり結婚を機に、
家にピアノがあるのもあってか調子も段々良くなっていって、クラシックのレッスンを受けたりとかもして。
一時期”客観性”っていうのがテーマだったときがあるんだけど、奥さんがいることによって客観的な視点が生まれて、
一人でやっていたときに感じていた挫折や迷いから、ようやく抜け出せた感じ。
それからこっちのシンガーと組んでギグをやったりしながらアメリカンソングとかも覚えることが出来て。
–—では、日本とNYで音楽をやる時に感じる違いはありますか?
まず年齢が違う…いうのはあるんだけど、人前で演奏するというのは基本的には一緒だから、あまり変わらないのかもしれない。
でもこっちの人は、曲を知ってるから。ミュージシャンもオーディエンスも。ハーレムに行ったら皆からだが動くし、
今最高!っていうときに絶対体が音楽とリンクしている。ミュージシャンと同じ目線で音楽を聞いているというか。
聞き方が違う…っていうのは日本と比べてあるかもしれないね。
ダウンタウンにArturo’sっていうピザ屋さんで演奏することがあるんだけど、そこに来る人たちは皆アメリカンスタンダードを知っていて、
僕が何かメロディを弾くと皆歌うわけ。日本じゃ皆知らないやつでも。今そういうのを一つ一つ曲を勉強して覚えていくのが楽しい。
そういうオーディエンスの中でやるのが一番楽しいかな。
—-日本のジャズシーンをどう見ていますか?
「もっとね、僕を好きになった方がいいね(笑)つまり、心をもっとオープンにっていうこと。もともと自分たちのものじゃないものを、
畳に絨毯みたいに定着させられるといいんだと思う。日本人固有のジャズの美意識をいい方向で高めていかないと。
でも、僕がそう思っている間にもすでに時代とともに変わっていってるんだろうね。ただやっぱり、若い人たちがもっと世界を見たほうがいいとは思う。
日本列島の中だけで完結せずに。世界にはいろんな人がいるんだよ!っていうのを見てほしい、っていう感じかな。
あと、これは音楽に限ったことではないんだけど、自分の頭で考えるってことがもっと大切にされていいと思う。
周りにはたくさんの情報が飛び交っていて、何が嘘か真実かわからなくなっているから、自分のフィルターをちゃんと持つことが大切になってくるんじゃないかな。」
—-たしかに。音楽だけでなく、どの分野にせよ必要なことかもしれませんね。せっかくなので、奥さんへの思いを語ってください!
奥さん?最高よ。会ったときから変わらず、今も後光が刺している感じで。会ったときから『ともちゃん、最高!』って言い続けて、
5年くらい待っていたら偶々来てくれたんだよね。もしかしたら僕たちはニューヨーカーよりベタベタしてるかもしれない。
ミュージシャンには芸の肥やしっていうのがあるけれど、それももう終わりだと思う。だからじゃないけど、
もっと日本人は自分の奥さんのことを大切にした方がいいと思うね。家族で誰も他に音楽をやっている人がいなかったから、
親や友達でさえも自分のやっていることがわからなかったんだけど、彼女は理解してくれて。彼女は良き理解者かな。
—-ありがとうございます。それではピアノや音楽以外に好きな事は?
ん〜あんまりないんだけど…ちょっと最近スクーターに乗ってるね。キックスクーター。子供用のじゃなくて大人用のがちゃんとあって。
どこへ行くにも大体いつも乗ってるかな。実は3ヶ月前に乗ってたら、転んで骨にヒビが入るほどの怪我をしちゃって(笑)。
だからあんまり趣味とかなくて一日中ピアノのことばかり考えているんだけど…旅行が趣味になってみたいね!
—-チャンスがあったらやってみたいことは?大きくお願いします!
あのね、ミュージシャンやらないで、ともこを幸せにすること。お金持ちになって、ともこを幸せにする。生まれ変わったら、
またともこと結婚して、ミュージシャンやらないでお金持ちになって、ともこを幸せにすること!
(同席していたともこさんの『苦労があった方が面白いよ!』とのコトバに…) あ、そう?じゃあまた生まれ変わってもミュージシャンやるか!!(笑)
—-それでは最後に、大切にしているコトバや思いを教えてください。
全体的に今まで言ってきたことではあるんだけど。自分の言葉でしゃべりたいっていうのは、生き方も音楽のことも含めてぜーんぶ、そのままだよね。
”言葉”っていうのはある意味喩えで、借り物じゃなくて自分のものでっていうこと。ただ好きなことをしゃべるんじゃないんだよ。
自信をもって自分のものを。だからって全部オリジナルっていうそんな簡単なことでもなくて。
自分の言語を組み立てていっていう意味もあるかな、自分の生き方を生きろっていうのもあるし。
”なぁ”っていうところが実はポイントで、それがないとちょっと傲慢じゃない?出来たらいいなぁと。自分が実際出来ているとかそういうことじゃなくてね。
ミュージシャンとして紆余曲折を経てきながらも、今のNYで、鍵盤を通してコトバを産み続けることを愛して止まないkAZUさん。
彼の発するコトバの節々には本物を追い求める真摯な思いが度々感じられた。インタビューをさせて頂いている間も、
そんなkAZUさんの隣でずっと寄り添う様に支え続けている奥さんのTomokoさんとの姿に微笑ましくもあり、羨ましくもあり…。
いつか日本に還元したいと思っている…とも仰っていたので、”kAZU”という新しいフレーバーを近い将来日本のミュージックシーンで感じることがあるかもしれない。
(インタビュー Taiki Yamanaka)
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