「私ならできる」から始まり150人近くの子供たちを救った、国境を越えた旅<第一回>
「行ってくれる?」――そのひと言に、正子さん(土井正子 どいまさこ)は迷わず「OK」と答えた。行き先は、遠いアフリカ。米国の航空会社で客室乗務員を務めながら、25年以上にわたり世界各地でボランティアを続け、助けた子どもは150人近くにのぼる。彼女をそこまで突き動かしたものは、何だったのだろうか。
ある時友人から、「アメリカの航空会社で、日本語が話せる人を探している」と聞かされる。面接試験を受け、同航空会社へ入社することとなったのだ。
「最初はCA(客室乗務員)じゃなかったんですよ。米国の航空会社本社で、マイレージプログラムとの提携カード会社であるVIPがおいでになった際の通訳や、日本のお客様対応などをしていました。」
日本から来る大手の金融や商社、メーカーのVIPをお相手する職場であれば、一般職とはいえ、恵まれた環境に思える。
だが、正子さんの活動的な内なるパワーは、もっと何か世界の役に立てる方向性を探っていたのかもしれない。
「じゃあ、私も客室乗務員になるためのテストを受けてみようかなって」正子さんらしい決断だった。 しかし、その一歩は簡単なものではなかった。
訓練はすべて英語。安全訓練、緊急時対応、数々の試験。90点を下回れば脱落という厳しい世界だった。
「結構アメリカ人でもうかりませんでした。クラスメイトもどんどんいなくなって」アメリカ人のクラスメイトに囲まれながら、必死で勉強したという。 それを乗り越え客室乗務員として空を飛ぶようになった。
世界中を飛び回る華やかな仕事。多くの人はここがゴールだと思うかもしれない。だが、正子さんの人生にとってさらなる人生の転機は、その後に訪れる。
「Airline Ambassadors International(AAI/エアライン・アンバサダーズ・インターナショナル)」。公式サイト
米国の航空会社の社員が始めたが、特定の航空会社とは関係のない独立した国際的なボランティア団体で、正子さんはメディカル・エスコート・プログラム(Medical Escort Program)、医療物資の提供、学校支援に携わった。
手術をすれば治る可能性がある。しかし、医療設備が整っていなかったり、経済的な事情があったりして、必要な治療を受けることができない子どもたちが世界にはいる。
そうした子どもが見つかると、AAIは提携する団体などと連携し、治療を受け入れる病院や滞在先を調整する。準備が整うと、ボランティアが現地へ子どもを迎えに行き、治療先まで付き添う。治療後は、故郷まで送り届けることもあった。
正子さんは主に、現地へ子供を迎えに行き、アメリカまで付き添う。治療を終えれば、今度は故郷まで送り届けるという役目を担った。
客室乗務員には飛行機を利用できる制度があり、さらに彼女たちは旅にも慣れている。突然の欠航や乗り継ぎ、入国審査など、国境を越えて子どもを連れて移動するには、客室乗務員だからこそ生かせる経験があった。
当時、正子さんは日本便を飛んでおり、国内線を担当する乗務員に比べると、長距離便のため、フライトとフライトの間に比較的まとまった休みが取れたという。
そんな中、90年代終わりに、日本便でよく一緒になる同僚と偶然再会し、その人が参加している、AAIのボランティア活動について話を聞いたのだった。
「いつも、何か私にできることはないかなって思ってたんですよね。その話を聞いたときに、これだと思ったんです。私だったらできると思って。」迷いはなかった。すぐに登録した。そして、本当にすぐに活動を始めた。
最初の頃は、月に1回。多い時には月に2回。仕事の合間の休みを使って、子どもたちを迎えに行ったという。
「ツアーでは行かないようなところに行ったんですよ。」
黄色い晴れ着のドレスを着た女の子テグシガルパ(Tegucigalpa)、中央アメリカにある ホンジュラス共和国の首都の子供たち。貧しい暮らしの中、親御さんは精いっぱいの思いで子供に晴れ着を着せたのだろう。空港に来たこともない子供を、見知らぬ人に託し、遠い異国へ送り出す。「愛しているからこそ、行かせる」。その親心を思うと胸が締めつけられる。元気になった子供を親御さんのもとへ送り届ける。再会した瞬間の親御さんの嬉しそうな笑顔を見ることができたのは、雅子さんにとって何よりのご褒美だったという。
それまで仕事で世界を飛んでいた正子さんだったが、この活動で向かった先は、客室乗務員として訪れる場所とはまったく違っていた。
飛行機が毎日飛んでいるとは限らない。目的地によっては現地に数日間滞在しなければならず、知人でもない現地の人の家に泊めてもらったこともあったという。それでも、正子さんは子供たちを迎えに行った。
「大変じゃなかったんですか?」そう聞くと、「今だから笑って話せるような、本にしたいくらいのエピソードがたくさんあります。」という。
私たちが観光以外で行くことのない、アフリカの貧しい地域や、アジアの貧しい地域などといえば、想像できないような、出来事があったと思う。
「なんだか知らないけど、西アフリカのブルキナ・ファソ(Burkina Faso)には何度も何度も行ったんですよね。」長距離を移動してまで子どもを迎えに行ける人が、なかなかいなかったからだ。
「行ってくれる?」そう頼まれると、「OK」と、正子さんはあっさり軽い返事で引き受けた。
客室乗務員の最も重要な任務は、乗客の安全を守り、緊急事態や緊急着陸時の脱出、機内での急病などに対応することだ。正子さんが付き添った子どもたちは、誰もが何らかの健康上の問題を抱えていた。だからこそ、万一機内で異変が起きたとき、訓練を受けた客室乗務員としての知識と経験を生かすことができた。
「例えば、ブルキナ・ファソからの18ヶ月の女の子は、口蓋裂の手術を受けるためにオハイオ州に連れて行くはずだったのですが、パリでASF(Aviation Sans Frontières/アビアシオン・サン・フロンティエール、国境なき航空団。フランスを拠点とする人道支援団体)から子供を受け取った時、あまりにも小さく弱々しかったので、他にもっと問題があると直感しました。
というのは、過去に何度となく心臓疾患の子供をエスコートした時、同じように小さくて弱々しかったのです。処置が遅れていたら、機上で命を失うところでした。
シカゴでは救急車が待機していて、空港の近くの病院へ直行しました。肺に穴が開いていることが分かって手術を受け、危篤を繰り返しながら、やっと数ヶ月後にオハイオへトランスファーされ、口蓋裂の手術を受けられました。
ほぼ1年後に、パリまで送って行きました。
お気の毒なことに、送り届けた時点では脳にも障害が残っているように見えました。医療や福祉の支援が十分ではない地域では、障害のある人が周囲から受け入れられず、孤立してしまうこともあると聞きます。あの子がその後どうしているのか、今でも気になります。」
経済的に厳しく、医療や栄養へのアクセスが限られた地域では、妊産婦や子どもが十分なケアを受けられず、さまざまな健康上の問題を抱えることがある。正子さんが出会った子どもたちの姿は、こうした医療格差の現実を物語っていた。
「怖くなかったんですか?」
「あんまり、そういうこと考えなかったんですよ。後から考えるとね、よくあんなところに行ったなと思いますけど。命がけですよ。」
アフリカには、政治情勢や治安が不安定な地域が今もある。慣れない土地で、幼い子どもを連れての長旅。言葉も通じず、何が起こるか分からない環境の中で、彼女は何度もこの活動を続けていた。その行動力と勇気には、ただただ驚かされるばかりだった。
「私にもできる」
そう思って始めた、小さな一歩。
その一歩が、この後、正子さんを想像もしなかった場所へ連れていくことになる。
<第二回につづく>
二人とも、ロシア人の女の子。

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