鈴木ナオミ Suzuki Naomi
福岡県出身 ロンドン在住 シンガー、音楽プロデューサー
2歳から音楽を始める(エレクトーン・ピアノ・ダンス)
中学二年 エレクトーンコンクール九州大会で優勝
手を骨折し手術して二年後、コンクールで再び優勝
東京へ 声楽のレッスンを受け、数々のCMに声で出演
アニメの主題歌や舞台の前座で歌う
イギリス人音楽プロデューサーにスカウトされ、ロンドンへ
グラミー賞などを受賞したプロデューサーたちとレコーディング
「ブリジッドジョーンズの日記」に出演
日本人アーティストをオーガナイズする会社を設立
プリンセスダイアナ展のBGMとして制作したアルバム「Sweet Roses」(AJ Unity)がイギリス、アメリカでヒットする
免疫不全合併症で余命宣告を受ける
東日本大震災被災地応援ソングを作り、被災地など100ヵ所以上を訪問
英国の国会(英日議員連盟)の指名により、東日本大震災メモリアルと
して日本人で初めて英国の国会議事堂でコンサートを開催
肺の動脈が破裂し手術をする
日本の昭和の歌謡曲を歌うツアーを開催 ロンドン・NY
Save the Kids Project 虹の架け橋プロジェクト 他、東日本大震災、
熊本地震、九州豪雨など、災害被災地復興支援のチャリティーイベン
トを主催
世界のラジオDJ1693人が選ぶチャートでは、3作品連続で1位を獲得
鈴木ナオミの London Calling(FMラジオ7局)毎日放送中
しゃけ:
クラブハウスの「No name music for Japan」という本東さんのルームでナオミさんの歌を初めて聞かせていただき、ファンになりました。素敵な歌声をありがとうございます!
ナオミさん:
こちらこそこのような機会をありがとうございます。コロナが始まってから2年間、数か月に1度しか外出していないという日々が続いています。今日クラブハウスで拍手をいただけて涙が出てきました。本当に嬉しいです。ありがとうございます。
しゃけ:
え!数か月に1度しか外出していないのですか?
ナオミさん:
二年前に肺の動脈が破裂して手術を受けました。コロナの影響でロンドンで交通事故を起こしたら救急車が来てくれるのが2時待ちという状況です。肺の動脈が破裂してしまうと大量の出血から窒息する恐れがあり、ドクターから言われてほとんど外に出ていないんです。でも、不思議と今が人生で一番幸せで毎日楽しく充実しています。
今まで世界中を駆け回っていたんですよね。あちこちでツアーやイベントで忙しくしていて。コロナ禍になったことで、自分を見つめなおす機会ができ、オンラインで活動できるようになって、世界が広がりました。五年前よりも今のほうが夢に近づいたのではないかな?なんて。
しゃけ:
夢は紅白ですよね?NHK紅白歌合戦!!
ナオミさん:
はい。田舎のおばあちゃんに「ナオミはなにしとる?」と聞かれて「歌手だよ」と答えるんですが、「歌手なら紅白に出るはずじゃ」って、疑っているんですよ(笑)
ロンドンやアメリカでヒット曲を出し、「ロンドンで一番有名な日本人」というような記事も書いていただいたことがあるのですが、英語だから読んでもらえていないし。
紅白出場はこれまでずっと私のことを応援してくれている両親や親戚たちへの恩返し、プレゼントだと思っていて、ずっと夢だと言っているんです。
しゃけ:
夢が実現したらまたインタビューさせてくださいね!そんなに大きな病気をしたとは思えない、素晴らしい歌声です。小さなころから音楽が好きだったのですか?
ナオミさん:
はい。歌って踊るのが大好きな子供でしたね。中学2年生の時にはエレクトーンのコンクールで優勝(九州大会)しました。しかし、そのあと・・・歩道橋から落下して手を複雑骨折してしまい、手を切断しなければいけないような状態に。
でも、母親が「腐ってもいいからつけておいてください!コンクールがあるんです!」って半狂乱になって、切断を免れました。指が少しづつ動くようになった後、リハビリの入院中に病院の屋上でピアニカで練習したりしていました。その時に屋上から、普通に登下校をしたり自転車に乗っている同級生を見ながら、「絶対にもう一度弾く!」と誓っていましたね。そして怪我の二年後にはまたコンクールで優勝することができました。
しゃけ:
お母さま、さすがです!切断しなくてよかった!
ナオミさん:
はい。怪我から復帰した時に、「私は音楽で生きていく!」と決意しました。ただ、実家は福岡県の田舎でバスが一日に3本くらいしかない場所です。とにかく東京に行ってみたくて仕方がありませんでした。それで高校を卒業したあと、家出をするかのように単身で上京。
音楽関係のレッスンを受けて、素晴らしいピアニストたちに圧倒され、ピアノで生きていくのは無理かなあ、と。先生にも声楽を勧められました。
レッスンを受けながらいろいろな仕事を体験できたので楽しかったです。イベントの司会の仕事、アイドルのような活動もしてみたり。CMの声の出演を依頼されたり。と、出会いに恵まれていました。アニメソングも歌わせてもらいましたね。
そんなある日、伍代夏子さんの前座で歌ったあとに、イギリス人の音楽プロデューサーに声をかけられました。「イギリスでデビューしないか?」って。
それをきっかけに、今でもロンドンにいます。
しゃけ:
わお!びっくりです。ビザは簡単に取れたのですか?
ナオミさん:
最初はアーティストビザでした。連れて行ってもらったパーティーで、用務員さんのような人から話しかけられたので、「私はジャパニーズシンガーです」とか言いながら仲良くなったらジェフ・ベックやデビッド・ボウイのプロデューサーだったりして。実はグラミー賞を取っているような人たちに囲まれていたんです。その時に知り合った人たちが今でも私の音楽仲間です。
数年後、アーティストビザの更新がなかなか難しいというときに、アーティストをオーガナイズする会社を設立しました。夏木マリさんや、小柳ゆきさん、布袋寅泰さん、葉加瀬太郎さん、宇多田ヒカルさんなど、日本のアーティストがロンドンで活動をする時にコーディネーターとしてお手伝いさせていただきました。
しゃけ:
!!すごい!!ナオミさんもCDを出されてかなり売れたと。
ナオミさん:
周りの人がすごかったので、ラッキーだったんだと思います。売ってもらったというか。でも英語で挫折しましたね。どんなに頑張っても、発音の壁がありました。
しゃけ:
「ブリジッドジョーンズの日記」に出演されたのもその頃ですか?
ナオミさん:
これも本当に周りの方に誘われた感じです。「日本人が足りないからオーディションに行ってほしい」って言われたんですよ。行ってみたらスーパーモデルか?と思うようなナイスバディーな中国人や韓国人の方が集められていて、「早く帰りたい!」と思いました(笑)
オーディションで「あなたにとってLOVEとは何ですか?」と聞かれて、みんな色っぽく答えていたのですが、私は早く帰りたい一心で「LOVE is SEX」とか言っちゃって(笑)「私は犬を愛しています。あ、犬とはセックスしないか」みたいなことを言って退散したんですよ。そうしたらまさかの合格!
後日、リムジンが迎えに来て連れていかれたところには・・・ヒュー・グラントさんがいたんです。で、洋服脱がされて濃厚ベットシーン6時間撮影っていう流れです。
しゃけ:
ええええー!騙されてないですよね?騙されていたとしてもうらやましいけど(笑)
ナオミさん:
ちゃんと映画に出ていました。2秒だけ(笑)撮影中は「お母さんごめんなさい!」って思っていました。
しゃけ:
うわー。映画もう一度ゆっくり見直します!そのあと「プリンセスダイアナ展」を企画されたのですか?
ナオミさん:
はい。「プリンセスダイアナ展」は私が企画して日本に持っていき、全国の三越で開催しました。ダイアナ妃の持ち物、写真、ドレスなどを展示するイベントです。私はプロデューサーでもあったのですが、このイベント用のBGMを作ろう!ということになり、オーストリア人のベーシストと私の二人でAJ Unityという名前で8曲入りのアルバム「Sweet Roses」を作りました。プリンセスダイアナ展は大成功でした。
が、そのあと、「Sweet Roses」のアルバムの中の「JUPITER」がイギリスの音楽チャートで上位に入ったんです。BBC(イギリスの国営テレビ局)からも出演依頼があり全国放送されました。驚きましたし、嬉しかったです。
雑誌の取材もすごくて、それを読んだアメリカ人の方からメールがきました。「アメリカでも売りましょう」と。機会があればぜひ。と、曖昧なメールの返信をしたら、なんとその人がすぐにロンドンまで来ちゃったんです!「この曲はアメリカでも売れるから!10万円出してくれたらPRをやってあげる!」と言うので、まあ騙されたと思って・・という感じでお支払いしました。
そうしたら本当にアメリカでもかなり売れました。ビヨンセ、レディー・ガガを抜いて上位に入りました。
しゃけ:
すごすぎます!!「JUPITER」はこちらから聴くことができます。
ナオミさん:
次に作った音楽は東日本大震災の頃です。私はその時、免疫不全合併症という病気と闘っていました。ドクターから余命宣告されていたんです。「もう助からないだろう」って。そんな時にツイッターのメッセージで「ナオミさんの歌で被災地を元気づけてください」という手紙を受け取りました。
人間の使命というか、自分が生きている意味は何なのか?と考えていたので、これだな!と思いました。
無我夢中で作詞、作曲、歌って・・・と一生懸命やっていたんです。そうしたら、体の調子が良くなってきたんです。あれ?みたいな。
自分で被災地に歌を届けるぞ、まだ死ねない!という気持ちが生きる力になったのかもしれません。
出来上がった曲を持って、メッセージをくれた方に会いに行った時にはかなり元気になっていました。
それをきっかけに、東北や熊本の災害被災地を100ヵ所以上訪れ、歌を届けるというチャリティーイベントにのめり込んでいきました。
2021年3月11日には「東日本大震災10thメモリアル」を配信で開催しました。夏木マリさん、小柳ゆきさん、矢井田瞳さん、東北オースターズや、他沢山のアーティストの方々が賛同してくださり嬉しかったです。
しゃけ:
素晴らしすぎます!その時に作った曲が「MOTHER」なんですね。こちらからYouTubeで聴くことができます。
ナオミさん:
はい。日本にはもう何年も帰ることができていません。お母さんに会いたいですね。母もまだかまだかと待ってくれています。今は世界中の子供たちのために歌いたいという思いで、「Save the kids Project」虹の架け橋プロジェクトを立ち上げています。
ロンドンで実際に体験したのですが、近所のスーパーで6歳くらいの女の子が、大きなお肉のかたまりをお腹に隠したんです。私と目がしっかり合ったので、お腹から出して戻すかな?と思ったんですが、彼女は私の目をじーっとにらみつけました。そしてにらみつけたまま、一歩下がるんです。また一歩下がって、また一歩下がって、走っていきました。
彼女のことが今でも忘れられません。お腹を空かせている子供たち、悲しい思いをしている子供たちに大人ができることはなんだろう、と考え続けてチャリティー音楽祭をオンラインで始めました。
チャリティーって誰かのためにやっていると思われがちなんですが、私は私のためにやっています。チャリティーをすることで、自分の歌が社会の役に立っているという喜びを感じさせてもらっているんです。歌を歌って拍手をもらう。その拍手で今日も生きられた、寿命が1日のびたかもしれない、と。ですから、今このクラブハウスで拍手をくれた皆様、私の寿命をのばしてくれてありがとうございました!
しゃけ:
胸がいっぱいのこの気持ち、なんでしょう。ありがとうございます。YouTubeでニューヨークで日本の歌謡曲を歌っているナオミさんの動画を拝見させていただきました。ロンドンと比べてニューヨークはどんな街でしたか?
ナオミさん:
ロンドンとはぜんぜん雰囲気が違うと思いました。NYは殺気立っているというか、人々のエネルギーの強さを感じました。ここで生き抜くのは大変だな、って。ロンドンはのんびり、ほんわかしている気がしますね。
英語で勝負するより、私の武器は「日本語だ!」と考えたあと、日本の歌謡曲を世界に広めたいと思うようになりました。NYといえばジャズだよね、と歌謡曲をジャズ風にアレンジして挑戦してきました。日本の太鼓や琴の文化はもうNYでは知られているとは思うのですが、日本語の昭和の歌謡曲は新鮮だったのではないかと思います。ロンドンでもコロナ前は2000人くらいのお客さんが盛り上がってくれていたので、オンラインを通じてこれから世界で流行るかも?と思ったりしています。是非Youtubeをご覧ください。YouTube
クラブハウスでは昭和歌謡曲のリクエストをいただいて私が歌っていく、というルームを立ち上げる予定ですので、ぜひ聴きに来てください。また、ラジオでは「鈴木ナオミの London Calling」という番組がFM7局で放送されています。最新のロンドン情報をお伝えしています。今年も新曲をどんどんリリースしていきたいと思いますので応援よろしくお願いいたします!
しゃけ:
2022年1月9日に行われた、クラブハウスでの公開インタビューの音声(ナオミさんがライブで歌ってくれました)はこちらから聴くことができます。 https://www.clubhouse.com/room/m2Knv6Dp