<映画監督・俳優の鈴木やすさんにインタビュー>
ダウンタウンの劇場で行われた2011年の舞台『沓掛時次郎』で、主役のやくざ役を演じた。舞台の袖では大河ドラマ「篤姫」で有名な音楽家、吉俣良の生演奏もあり、客席から拍手喝采を得た。アメリカには舞台俳優組合があり、所属していれば、組合の仕事のみを受けることができる。この舞台は組合外の作品だったため、鈴木は組合を退いた。
「アメリカで舞台を10年間頑張って、ようやく入れた組合でしたが、この役は日本人である自分じゃないとできないと思い、意を決してやめました」
アメリカで俳優として長年活躍しても、日本人としての誇りと一途さを失っていない。
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中学時代、現役の舞台俳優・林敏明が顧問を務める演劇部に入った。1年生のとき、林に見込まれ学園祭で主役を演じることになっていた。しかし、夏休みに一度だけ練習をさぼったら行きにくくなり、だらだらとさぼり続けたら、林から皆の前で叱責され、主役からも降ろされた。思えば、俳優として一番大切なこと、すなわち「穴を空けないこと」「一途であること」を学んだのがこのときだだった。
「演技力は大切かもしれませんが、リハーサルや舞台に、ちゃんと自分の体を持っていくことの方が大切なのです。それが約束できない仕事は断っています」
大学時代、名古屋のローカル番組「5時サタマガジン」のレポーターとして出演が決まった。司会の大竹まことが鈴木を見込んだこともあり、5000人の応募者の中から選ばれた。
人気も出て、東京進出も考えたが、自分の活躍の場は日本ではないと、アメリカに渡ったのが1991年のこと。昼は演劇学校に通い、ダンスのレッスンも続け、夜はウエイターとして働いた。それから5年、ようやくミュージカルで“いい役”をもらえた。そのときの相手役が、現在の妻・ペギーだ。
同年結婚もして、全米49州を回る『王様と私』ツアーの仕事が入る。調子に乗ったかのようだったが、もらった役はコーラスの一番下っ端。踊らせてももらえず、丸刈り頭でチョコチョコ舞台に出てプロップを渡すだけの役だった。朝は5時に起きてバスで移動し、午後劇場に到着、公演が終わるのが夜11時。酒を飲みに行けば寝るのは午前1時を回る。
それが毎日のように続く過酷なツアーで、次々と団員がやめていく中、「穴を空けない」「一途な」鈴木は、やめなかった。すると、次の公演では踊らせてもらい、その次の公演では役をもらった。公演が終わるころには、王様の右腕・クララホームの役にまで上りつめていた。
「どんなに体のコンディションが悪くても、ほかの団員と折り合いが悪くても、毎晩、舞台の幕は必ず開くんです。言い訳なしにパフォーマンスしなければならない。ここでさらに俳優として強くなりました」
35歳は、作品を作る側への転機の年だった。夫婦で初めて芝居を自主制作し、小さいながらも成功を収めたことで、人から役をもらうのではなく、俳優やスタッフのために仕事を作ることができると気付いた年だ。勢いに乗って今度は映画を作ることになり、製作費は乏しいものの、長年の俳優人生で培った人脈がモノを言った。2作目のコメディー映画『Radius Squared Times Heart』は、マンハッタン映画祭で最優秀コメディー短編映画賞を受賞している。
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友人と始めた映画祭「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト」が、今年6月で開催3回目を迎える。
「東日本大震災以降、映画を作る立場の人間として何ができるか考えたときに、僕を育ててくれた日本とニューヨークを、インディー映画でつなげて少しでも盛り上げたいと思いました 」=敬称略(ベイリー弘恵)
【プロフィール】
すずき・やす
名古屋市生まれ。中部大学国際関係学部国際文化学科卒。1991年来米後、ジャズダンスの神様と言われるフィル・ブラックから10年以上ダンスを学ぶ。メソッド演劇創始者リー・ストラスバーグ仕込みの、キャロル・グッドハートから演技を学ぶ。2006年、オフ・ブロードウェー『ゴールド・スタンダード』で演じたアルコール依存症の詩人役で話題となる。2011年、自作のコメディー映画『Radius Squared Times Heart』で、マンハッタン映画祭最優秀コメディー短編映画賞受賞。2011年から映画祭「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト」を企画・開催。現在ピラティスのインストラクターとしても活躍中。yasusuzuki.wordpress.com
ニューヨーク・ジャパン・シネフェストが2014年6月12日(木曜日)にアジアソサイティーにて開催!