沓掛時次郎NY公演

7月31日(2010年)に舞台“KUTSUKAKE TOKIJIRO”の公演を終えた。
一晩だけの公演に一ヶ月を越えるリハーサルを行ってきた。
いつもそうだが舞台の稽古、本番中はぐっと気が張っているので終わってしまうと
しばらく気が抜けたようになってしまう。

“KUTSUKAKE TOKIJIRO” は昭和初期に大衆文芸の父と言われた長谷川伸によって発表された
“沓掛時次郎”という戯曲を元に、英語と日本語が交錯するバイリンガルの面白い舞台になった。

“沓掛時次郎”は股旅ものと呼ばれるジャンルを確立した作品で発表されてから映画化が8回、
テレビドラマ化が5回もされ、最近では今年に小林まことによって漫画化もされて現在、
イブニングに連載もされている。

そんなポピュラーな戯曲を普通に時代劇として舞台にするのは日本で何度も行われているし、
わざわざニューヨークでやる意味もない。世界中で日本のポップカルチャーに注目が集まっている今、
演出をしたジュン・キムさんはアニメ、ダンス、アクション、映像、ライブミュージック、
お笑いまで盛り込んで徹底的にニューヨークの観客を引き込むことにこだわった。

自身が俳優でもあるジュン・キムさんの演出で舞台をやらせてもらうのは今回で3回目である。
昨年6月公演の“KUTSUKAKE TOKIJIRO”では、苫屋の半太郎という敵対ヤクザの役で脇を固めたが、
今回は主人公の沓掛時次郎を演らせてもらった。

全編を通して、英語のセリフ半分、日本語のセリフ半分で主人公の沓掛時次郎を演じたが、
長谷川伸先生が1928年に書いた日本語のセリフは小気味のいい七五調なので、
言っている自分が気持ちよくなって、つい芝居がどんどん時代劇調になってしまい、
19年もアメリカに住んでいるのにやっぱり自分は日本人なのだなあと思い知らされた。

一晩だけというのが悲しいほどもったいないが、演出のジュン・キムさん、
振り付けのかよ子さんの二人がこの“KUTSUKAKE TOKIJIRO”のオフ・ブロードウェイでの公演実現に向けて
“くろたま企画”という会社まで立ち上げて執念を燃やしている。

僕がまだ日本にいて、俳優を目指していた十代二十代の頃は“沓掛時次郎”のような
日本のいわゆる商業演劇には正直、見向きもしなかった。

はっきり言って、おばあちゃんや中年のおばさんが団体でお弁当を持っていって観に行くようなもので、
シティーボーイズ、ラディカルガジベリビンバシステム、リリパットアーミーなどの
小劇場演劇に傾倒していた僕にとっては世界の違うものだった。

しかし、世界中の演劇人が集まるニューヨークに渡って19年、ミュージカル、シェークスピア、バレエ、
舞台の脚本演出、そしてなんと端役の端役ではあるが、中村勘三郎さん率いる「平成中村座」の
ニューヨーク公演で歌舞伎にまで二回も出させていただいた超ラッキーな経験を経てきた今では、
この日本の商業演劇という世界もひとつのスタイルとして見ると面白いかなと思うようになった。

ニューヨークの演劇の世界は、リー・ストラスバーグやサンフォード・マイズナーのような
メソッド・アクティングが主流のアメリカ演劇の中心地というだけではなく、

ヨーロッパ、アジアなどの世界中の演劇人がニューヨークに集まって常に場所を変え、形を変え、
ルールを破りつづけていくのがニューヨークの演劇であって、
アメリカ演劇でさえ、その中のひとつにしか過ぎない。

そんな中で、日本人である自分を最大限に表現しない手はない。

しかし、最近日本のポップカルチャーがアメリカでどんどんメジャーになっていっているというのは
本当に感じる。

僕が子供の頃に夢中になってみていた、ゴジラも鉄腕アトムもマッハGO! GOも
みんなハリウッド映画になった。

今年の1月にニューヨークのソーホーにあるオハイオシアターというところで1ヶ月間、
村上春樹原作の“ねじ巻き鳥クロニクル”という舞台に出演させてもらった時も、
1ヶ月連日ソールドアウトが続き、オフ・ブロードウェイのプラチナチケットになって、
ニューヨークでの村上春樹人気の根強さにも驚いた。

仕事に行く車の中で僕が村上春樹の小説を日本語で読んでいると
スタッフのアメリカ人もロシア人のスタッフも英語とロシア語で村上春樹を読んでいたこともあった。

メリーランド州の田舎に仕事で訪れた時、本屋さんで
“MANGA” というコーナーが大きく設けてあって、
日本の漫画の単行本の英訳本がずらりと並んでいるのを見て驚いた。

ニューヨークとかの都市部だけの現象かと思っていたら
日本のポップカルチャーはアメリカ全土に広がっているようである。

毎年、6月の終わりにセントラルパークで行われる “JAPAN DAY” というイベントに参加した時も、
多くのニューヨークの若者が思い思いのアニメキャラクターのコスプレに身を包んで現れた。

この若い世代のアメリカ人と話す機会が時々あるが、僕が日本人だとわかるとパッと目が輝いて、
にじり寄って来たりする。聞くと子供の時から日本のアニメや漫画、ポピュラーソングが大好きだが、
日本人と接するのは初めてだというので、この機会にと様々な質問が飛んでくる。

日本の基本的な歴史や文化は説明できても、僕の日本のポピュラーカルチャーの知識はせいぜい
20年前のものである。少年ジャンプももう20年ほど読んだことがないし、
ワンピースもEXILEもAKB48も噂を聞いただけでほとんどわからないので質問に答えられないのが
申し訳なくなってくる。

でも、僕がニューヨークに渡った1991年の頃には日本のポップカルチャーがメジャーになるなんて
想像もできなかった。

当時はパパブッシュの第一次湾岸戦争が終わったばかりで、アメリカ経済はどん底で不況の嵐のまっただ中、
今では考えられないがタイムズスクエアーもつぶれた映画館がずらりと並ぶ荒んだ状況だった。
アメリカでは(きっと田舎に行けばもっと)偏った愛国心が横行していたように思う。

当時ロックフェラーセンターやコロンビア・ピクチャーを買った、
ピカピカのバブル絶頂期だった日本への風当たりもものすごく強くて実際にずいぶん嫌な目にもあった。

あの当時のことを思い出すと、僕がニューヨークに渡ってから本当に世代が一回り
入れ替わったんだなあと思い知らされる。あの当時に生まれたアメリカ人が日本の漫画やアニメを見て
育って成人になっているのだ。

僕もがんばろうっと。<やす鈴木>

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