音への純愛、スネアドラム・エクスタシー喜安亮介

スネアドラムを使った独自のスタイルでの演奏・パフォーマンスが国際的に注目を集め、精力的な演奏活動で世界中を飛び回っている打楽器奏者、喜安亮介(Ryosuke Kiyasu)。黒く長い髪。黒のTシャツに黒のジーンズ、黒い靴。

スネアドラムとスティックだけをもってステージに立ち、ホラー映画のヒロインさながらの長い黒髪を振り乱し、スネアドラムに顔をうずめ、マイクを机にこすりつけてノイズを出したりしながら、時にはうなり声を上げたり、ドラムが置かれた机ごと抱え、くんずほぐれつ、身もだえして、最後はドラムを机もろとも地面にたたきつける。

そんな過激で奇抜な、一見不可解なパフォーマンスの様子がYouTubeやTikTokに投稿されて話題を呼び、今や引っ張りだことなっている喜安氏。ハワイでのショーを終え、1日だけ日本に帰国したのち、中南米ツアーのためメキシコに飛ぶという殺人的スケジュールの合間を縫って筆者のインタビューに応じてくれた。

松本(以下M):日本でのご出身はどちらですか?

喜安(以下K):出身は愛媛の伊予市です。

M:みかんの伊予柑の伊予ですか?

K:そうです。伊予柑の伊予です(笑)。本当に田舎で何もない所で目の前は海、みたいなところです。

M:子供の頃はどんな子供でしたか?

K:両親は共働き(父はタイル職人で自身の会社を持ち、母は人材派遣ビジネスと、ともに経営者)で忙しかったので僕にかまっていられず、いわゆる放任で自由に育ちました。兄弟は、兄が長男で、その下に姉が二人いますが、下の姉とも年が10歳も離れており、ほぼ一人っ子みたいにして育てられました。

だからいつも一人遊びが多かった。よくひとりで歌ったり、妄想にふけったりしてましたね。

―バンクーバーの空港のラウンジで、次のパフォーマンスがあるメキシコ行きの飛行機を待つわずかな時間を使ってインタビューに応じてくれた喜安が、ラップトップの画面ごしに笑顔で話す。

M:音楽との最初の出会いは?

K:ピアノです。二人の姉が習っていて、家にもグランドピアノがありました。姉たちのピアノに合わせ、よく歌を口ずさんだりしていましたね。そうこうするうちに、僕もピアノを習うことになり、小さいコンクールに出るぐらいに上達もしたのですが、先生がすごく厳しくて。

上手く弾けないと手を叩かれたりして。それが本当に嫌になり、結局辞めてしまいました。

M:昭和育ちの子供あるあるですね。私にも全く同じような経験があります。なぜ当時のピアノの先生ってあんなに怖かったんでしょうね(笑)。

M:その後、音楽とはどうかかわってきたんでしょう。ドラムとの出会いは?

K:高校生の時、仲間たちがバンドをやるというので僕に声がかかったんです。ドラマーがいないのでお前ドラムやれということになり、それでドラムをたたき始めることになったのが打楽器との出会いです。ピアノをやってたので、勿論楽譜は読めますが、ドラムとピアノでは全然違う。ただし、ピアノで習得したテクニックが、ドラムでリズムを正確に刻む上では生きました。

でも、しばらくドラムを学んでいるうちに、また疑問が湧いてきたんです。ドラムにもセオリーがあり、みんながそれに則って、その『あるべき姿』に向かっている。それに気づいた時に、『また自分はピアノの時と同じことをしようとしている』『また誰かに褒められようとしている』と気づきました。そして、『もっと自由であるべきだ』と思ったんです。

―そして自由な音楽の在り方について思索をめぐらせていた高校3年生の時、喜安は音楽仲間の影響で、前衛音楽や実験音楽に触れるようになる。

K:高校時代、メタリカとかスレイヤーとか、アメリカの人気バンドのカバーをやるバンドでドラムをやっていて、そこで一緒になったバンドメンバーに前衛音楽の事を教えてもらいました。

そこから目覚めた感じです。最初は全然意味がわからなかったけれど、何年もかけてたくさんCDを買ったり、ライブを見にいったりして、自分自身で色々考察し、調べれば調べるほど、答えの無いものだと気付き、僕なりの答えを表現していきたいと思うようになっていきました。

―大学進学のために上京したが、当時、東京に前衛音楽を演奏させてくれる場所はほとんどなかった。そんな中、自分が普段好んで聞いている前衛音楽の作曲家のほとんどがニューヨークにいることに気づく。

そしてニューヨークに行こうと決意するが、ビザが取れず、渡米を諦めざるを得なくなった。それで、大学卒業後、22歳の時にワーキングホリデーで、ニューヨークから車で5時間のカナダのトロントに1年間滞在することとなる。

M:トロントではどんな生活をしていたんですか?

K:トロントにいる間は、家を解体する仕事とか、子供相手にドラムを教えたり、ライブハウスの掃除やバーテンダーの補助みたいな仕事をしてましたね。仕事をしながらバンド活動を続けてました。仕事の合間を縫って、ニューヨークには音楽を聴きによく通いました。

ある時、ニューヨークでミルフォード・グレイヴス(20世紀後半のアヴァンギャルド・ジャズシーンを代表するジャズ・パーカッショニスト)のショーを見に行き、強い衝撃を受けました。「音楽をこんなにも自由に演奏できるのか!」と思って既成概念をぶち壊されてすごく感動しましたね。それが今の活動の原型となっていると思います。

M:喜安さんのパフォーマンスは、音楽ですか?それともパフォーミングアートですか?

K:完全に音楽としてやっています。

M:演奏中どんなことを考えてますか?

K:何も考えてないです。ただ「このスネアドラムをちゃんと歌わせてあげなくちゃ」っていう感じで無我夢中で、頭の中は真っ白みたいな。主人公はドラムで、僕は自分でいて自分じゃない感じです。

M:スネアドラムという楽器を選んだ理由は?

K:実は、22歳でカナダにわたった時に、スネアドラムならスーツケースにも収まるし、スティックとドラムだけでも音が出せてパフォーマンスできるから、というごくシンプルな理由からなんです。単に必要に迫られて、スネアドラムとスティックだけを持ってカナダにわたり、活動していたらスネアドラムに落ち着いた、という感じでしょうか。

M:喜安さんの名前が世に広く知られるようになったきっかけは何でしょう?

K:カナダにいた時、スネアドラムとスティックだけでは、どのライブハウスでも最初は演奏させてくれなくて、以前は路上とかで演奏したり、お金を払ってオープンマイクで演奏させてもらったり、そういうのをしばらく地道に続けてました。

あとは、同時並行でバンドもやってた。3つのバンドに入ってたんですが、そのうちの一つ、Sete Star Septというパンクバンドがアメリカで人気が出て、ツアーで全米各地を回ったりしてたんです。その人脈も徐々にできてきて。「実はソロでもやるんだけど、バンドの演奏の後に少しやらせてくれないか」ってお願いして少しずつソロでもやるようになりました。

あとは、灰野敬二さん(日本の前衛的なノイズ・即興音楽家。ジャンルを超越して独創的な音を追求し続けている国際的アーティスト)主宰のバンド「不失者(ふしつしゃ)」にも10年余り参加していたので(つい数か月前に退団)、実験音楽界隈でも知られるようになったというのもあったと思います。今はソロが忙しく、半年以上は海外なので、バンドではほとんど活動していないのですが。

M:スネアドラムの魅力は?

K:普通のドラムセットの場合、ドラムだけでなく、タムやバスドラムなど、音を出せるものがいくつもある。そうすると、演奏者がそこに逃げれる余地があると思うんです。なんとなくいい感じに演奏できてしまう。僕にとってはそれがピュアじゃない、中途半端だと感じるようになっていきました。

対して、スネアドラムはシンプルであるがゆえに、音を探す作業がある。だからめちゃくちゃ考えて音を出すんです。一つの音しか出ないから、たたく角度とか、力の加減とか、抑揚をつけてみたり。そうすることで、世界を作り、ストーリーを編んでいくんです。

M:スネアドラムと普通のドラムってそんなに違うんですね。

K:はい。呼吸の仕方一つとっても、スネアとドラムセットでは全然違います。スネアの場合はハートビートを感じるし、体と一体になって、音がダイレクトでより自然に伝わるんです。普通のドラムにはそれがなく、なんとなくうまく演奏できてしまう。

面白いのは、元々ドラマーだったのに、今みたいに1年のうち200日もスネアドラムをたたいていると、スネアをたたく体になっていって、普通のドラムをたたけなくなってくるんです。

M:そんなことがあるんですね!興味深いです。

M:喜安さんのパフォーマンスが国際的にこれだけのセンセーションを起こしている理由は何だと思いますか?オーディエンスは何を感じているんでしょう?

K:「こんなの見たことない!」「これまで見たライブの中で最高だった!」とかはよく言われます。中には泣いてる人もいたりする。オーディエンスがなぜそんなに感動してくれるのか、自分ではよく分かりません。おそらく、僕が演奏というものに真剣に向き合っているからなんじゃないかと思っています。

M:なるほど。ライブにうかがった時、確かにものすごく集中して、研ぎ澄まされている感じはしました。

K:僕のスネアドラムのパフォーマンスは、無酸素運動に近い。呼吸を整えながらとかではなく、言ってみれば、中距離を全力疾走しているような感じ。だからこそ音の密度が濃く、緊張感も出るんだと思います。自分はだらだらやりたくないし、パフォーマンス中は一秒も自分から目をそらしてほしくないと思っている。命を削る感じでドラムをたたき、出し尽くして倒れるぐらいまでやる。

M:実際、先日私が見たパフォーマンスでも、最後にはステージの床にぐったり倒れこんでおられましたね。誰かが一瞬「救急車を呼べ!」という声が聞こえました(幸いその必要はなく、喜安はしばらくするとぐったりしながらもゆっくり立ち上がっていた)。

M:欧州での評価が特に高いようですが、欧州、アメリカ、日本でのオーディエンスの反応は違いますか?

K:欧州もアメリカも、聴衆はダイレクトに感想をくれるし正直ですね。「何かよくわかんないけど、すげぇ!」みたいな(笑)。よかったら「よかった」というし、そうでもなかった日には「今日はあまり良くなかった」と面と向かって言われたこともある。日本だけは、聴衆がちょっと引いている感じ。あまり楽しめていない。「これは何?」と頭で理解しようとしている感じがしますね。

M:以前、BBCのインタビューで、「伝えたいことは何もない、演奏中は何も考えていない」と答えていました。あれは本当ですか?

K:何も考えていないし伝えたいことも別にないです。それなのになぜ敢えて人前でやるかというと、それは自分が気持ちいいからです。自分が好きなことで気持ちよくなって、それに対してお金をもらっているのでなんとなく申し訳ない気持ちもあるのですが(笑)。

M:それはどういう「気持ちよさ」なんでしょう?「気持ちよさ」にも色々な種類があると思うのですが。例えば大勢の人に注目される気持ちよさとか。

K:自分が好きな音楽をやっているところを人に見せるところだとおもいます。こんなに素晴らしい音楽を伝えることで、みんなでこの絶頂を共有したいと思っています。「みんなで一緒に絶頂に向かおうよ!」みたいな、そんな感覚です。

M:ちなみにパフォーマンスがない休みの日は何をしていますか?

K:疲労回復のために一日中ひたすら寝ていますね。(笑)

M:喜安亮介の今後の目標は?

K:音楽の歴史に名を刻むことですね。「喜安がこの時代に生きていたからこそ、音楽の歴史が変わった」、みたいな、人に語り継がれるような存在になりたい。音楽の歴史を変えるようなレガシーを作るのが僕の音楽家としての目標です。

M:今後チャレンジしたいことは?

K:多くの音楽家が歩んできた道はできるだけ歩みたくないと思っています。また、単に「前衛音楽の人」みたいなくくりにされてそこにとどまりたくはない。もっとファッションとかカルチャーとかにも活動の場を広げて、「え!こんなことやるの!」みたいに驚かせたい。

自分は生来アマノジャクなので。いつも正攻法とは逆のものを目指している。みんながいいと思うものには振り向かないし、体制の真逆を行く「逆張りタイプ」なので、「最高」と言われるのが嫌なんです。だから、そろそろ「最低」なことをまたやりだそうかと思っています。(笑)

取材後記:

降ってわいた今回の取材。喜安亮介について何も知らなった私は、取材前に彼のことをいろいろとネット検索したのだが、出てくるのはYouTubeやSNSに挙げられている、パフォーマンスの奇抜で過激な部分だけを切り取ったショート動画ばかり。動画から想像していたのは、挙動不審でぶっとんだ変人。

ところがどっこい、実際に会ってみると、柔らかい物腰の、爽やかで育ちのよさそうな好青年である。初顔合わせで、彼のライブパフォーマンスをブルックリンのブッシュウィックに見に行った日、パフォーマンス前に私が目にしたのは、まだ人影まばらな会場の片隅で、スーツケースの中からパフォーマンス用の靴やTシャツを引っ張り出しながらもくもくと準備に取り掛かる喜安氏の姿だった。後ろから恐る恐る声をかけると、屈託のない、柔和な笑顔で返事をしてくれ、すっかり拍子抜けしてしまった。

パフォーマンス開始時間が近づくと徐々に人が集まって来、ムッとするようなマリファナの臭気が満ちた薄暗い会場はいつの間にか超満員に。演奏の開始を今か今かと待つ聴衆の異様な熱気に包まれる中、喜安氏がステージに上がり、おもむろにスネアドラムのチューニングを始め、何の前触れもなくいきなり演奏が始まる。最初はごく普通にたたいているが、徐々にドラムではなくドラムの際や胴体をスティックでたたいたり、スティックをこすりつけて音を出したり。会場には緊張感が満ちてくる。

やがて喜安はスティックを激しく打ち付けたり、マイクでこすったり、顔をうずめて悶えたりしてパフォーマンスは激しさを増していき、最後はエネルギーを爆発させて、スネアドラムもろとも床にたたきつける。

その瞬間、ピンと張りつめていた会場の空気がうち壊され、固唾をのんで喜安氏の一挙手一投足に集中していた聴衆も一緒にはじけたように熱狂するのだった。筆者のそばで見ていた高校の音楽教師をしているという男性も「彼のパフォーマンスの一瞬一瞬が本当によかった」と興奮気味に話してくれた。そしてパフォーマンスが終わった時、筆者の脳裏に「Honesty」という言葉が浮かんだのだった。<取材・執筆 Tomo Matsumoto>

【関連リンク】
Kiyasu Ryosukeオフィシャルサイト

Instagram @dr.kiyasu

Facebook @dr.kiyasu

【Contributor】
松本 知(Tomo Matsumoto) NY在住のフリライター。1999年に留学のため渡米し、ウィスコンシン大学マディソン校大学院でジャーナリズム/コミュニケーション論を学ぶ。2001年よりニューヨーク在住。毎日新聞、日経ビジネス(オンライン)、Wisconsin State Journal、 Cap Timesなど執筆多数。ストーリーテリング(物語を編む力)とナラティブを使い分ける日英バイリンガルの文化翻訳者として、2025年にPRパーソンとしても活動を開始。

©掲載写真すべてNY1page.com LLC

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